1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
法隆寺釈迦三尊像に連なる 中国・北魏の仏教の歴史 |
聖徳太子(厩戸皇子)没後1400年の御聖諱法要が、来年2021年、法隆寺で営まれます。冠位十二階に憲法十七条、遣隋使の派遣……。説明するまでもないですね。
もうひとつの功績は、〈法隆寺・四天王寺などを建立して仏教の興隆に尽くした〉(ジャパンナレッジ「デジタル大辞泉」)ことです。当時の仏教は、建築や美術の最先端。「仏教おし」は仏教=最先端技術の導入と同義でした。
この法隆寺金堂にあるのが、国宝・釈迦三尊像です。法隆寺の公式webによれば、止利仏師(鞍作止利)が造った聖徳太子等身の像が、この釈迦像だといいます。
〈この像(釈迦三尊像)の正面観照・左右相称の厳しい造形は北魏様式を伝え,光背裏面には謹厳な六朝風の書体で銘文が刻されている〉(同「世界大百科事典」「飛鳥美術」の項)
北魏様式(別名、北魏式)。これ、今回のポイントです。
中国の北と南に王朝が並立していた5、6世紀を南北朝時代と呼びますが、北にあったのが北魏(386~534)です。この北魏の正史がこれから紹介する「魏書」です。その中でも、仏教と道教についての歴史を記したのが、『魏書釈老志』というわけです。ここで聖徳太子とようやく接続しました。儒教が主の王朝にあって、珍しく仏教が隆盛だったのが北魏なのですが、ゆえに正史の一冊としてわざわざ仏教の歴史が書かれました。そして仏教美術は日本へも影響を及ぼしたというわけです。
本書では丁寧に、仏教とは何か、から紐解いていきます。続いて仏教の受容の話が続くのですが、圧巻は、最後の記述でしょう。著者の魏収はこう嘆くのです。
〈正光(五二〇~五二五)以後には、天下に憂慮が多く、〔防備の為に〕国家の徴用がはなはだしくなった。そこで至る所の庶民が相ともに仏道に入った〉
徴用とは徴兵のこと。魏収いわく、徴兵と納税逃れのために、庶民はこぞって仏門に入ったというんですね。僧尼は200万人、寺は3万有余もあったとか。
〈仏教界の猥濫の極まること、中国に仏法が行なわれるようになってから〔かくのごときことは〕未だない所である。(中略)その弊害はとどまる所を知らず、ここまでに至った、識者の歎息する所以である〉
魏収は嘆きますが、私には痛快でした。国家がアホなら逃げるが勝ち。人生を国に捧げる必要はありません。
仏教側にも種々問題はあったようですが、何しろ法隆寺釈迦三尊像に行き着いたのです。庶民を救い、形式として日本に伝わる。北魏の仏教、やるじゃないですか。
ジャンル | 宗教/歴史 |
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時代・舞台 | 4世紀後半から6世紀前半の中国(北魏) |
読後に一言 | 「魏書」編纂者の魏収は、権力者に忖度し、公平さを書く記述が多いことから、〈《魏書》は〈穢史(わいし)〉と呼ばれ,歴史記述として不名誉な烙印を背負う〉(ジャパンナレッジ「岩波 世界人名大辞典」「ぎしゅう【魏収】」の項)ことになったんだそうです。御用学者の運命ですね。 |
効用 | 原文+丁寧な訳注+日本語訳という構成で(解説が付くものもある)、当時の中国の宗教の流れがよくわかります。 |
印象深い一節 ・ 名言 | (仏教に)五戒がある。殺・盗・婬・妄言・飲酒を去るのである。大意は〔中国の儒教にいう〕仁・義・礼・智・信と同じであって、名が異なるのみである。(「三帰五戒六道―仏教の大要―」) |
類書 | ヒンドゥーの聖典、叙事詩『ラーマーヤナ(全2巻)』(東洋文庫376、441) ヒンドゥーの根本文献『ヤージュニャヴァルキヤ法典』(東洋文庫698) |
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(2024年5月時点)