1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
演歌のはじまりは政治主張だった オッペケペッポー、ペッポーポー |
数年前になるが、「演歌・歌謡曲を応援する国会議員の会」が発足したとニュースになった。自民党の大物が会長を務める超党派の議連だ。当時のマスコミは、こう報じた。〈日本の伝統文化の演歌を絶やすな!〉(産経ニュース2016.3.2)。
なぜ今になってこんな話を持ち出すかといえば、『随筆 明治文学 1』にこんなくだりを見つけたから。
〈最後に流行歌のオッペケペー節は、大分晩く、明治二十年以後の起りであるが、これが契機となつて、かゝる流行歌と唱歌風のものが合して所謂壮士演歌が生れる〉
ジャパンナレッジでも調べてみよう。
〈日本の流行歌の一種。歌によって意見を述べるという意味で、「演説」に対応することばとして明治中期から使用された。(中略)演歌の嚆矢(こうし)は川上音二郎作『オッペケペー』となる〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」「演歌」の項)
オッペケペーも本書に収録されている。
〈堅い裃角とれて、マンテル(外套)、ヅボンに人力車、いきな束髪ボンネット(帽子)、貴女や紳士のいでたちで外部の飾(かざり)はよいけれど、政治の思想が欠乏だ、天地の真理が判らない、心に自由の種を蒔け、オッペケペー、オッペケペッポー、ペッポーポー〉
時は民権運動真っ盛り。辻々に立つ壮士の演説と同じ流れの中で、演歌は生まれたのである。
著者の柳田泉(1894~1969)は、〈徹底した資料収集と幅広い明治文学研究に邁進(まいしん)し,今日の近代文学研究の基礎を築き上げた〉(同「世界大百科事典」)国文学者である。中でも柳田が熱心に取り組んだのは政治小説研究だ。演歌はいわば、政治詩歌であったのだ。
本書収録の政治詩歌のいくつかを紹介しよう。
〈一ツトセー、人の上には人ぞなき、権利にかはりがないからは、コノ人ぢやもの。
二ツトセー、二つとはない我が命、すてゝも自由のためならば、コノいとやせぬ〉(植木枝盛「民権かぞへ歌」)
最後の二十番はこう締めくくられる。
〈二十トセー、日本は亜細亜の灯明台、きえては東洋が闇となる、コノ照らさんせ〉
これを気概という。
ちなみに柳田によれば、明治の政治小説は選挙絡みの醜聞を多く描いているという。選挙違反は選挙が始まって以来の伝統なのか。なるほど国会議員のセンセーは、徹底して伝統好きとみえる。
ジャンル | 文学/評論 |
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時代・舞台 | 明治時代の日本 |
読後に一言 | 3回に分けて不定期でお届けします。 |
効用 | 小説がどのようにおこっていったのか。そのあたりも見えてきます。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 皆が皆、何(ど)れも誰れにも面白いといふわけにも行くまいが、読み通されたら、何処かに面白いところが見付からぬとも限るまい。(「はしがき[随筆明治文学]」) |
類書 | 読書をめぐるエッセイ『閑板 書国巡礼記』(東洋文庫639) 明治大正文学史の研究『文芸東西南北』(東洋文庫625) |
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