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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 741

『随筆 明治文学 1 政治篇・文学篇』(柳田泉著 谷川恵一他校訂)

2020/12/10
アイコン画像    演歌のはじまりは政治主張だった
オッペケペッポー、ペッポーポー

 数年前になるが、「演歌・歌謡曲を応援する国会議員の会」が発足したとニュースになった。自民党の大物が会長を務める超党派の議連だ。当時のマスコミは、こう報じた。〈日本の伝統文化の演歌を絶やすな!〉(産経ニュース2016.3.2)。

 なぜ今になってこんな話を持ち出すかといえば、『随筆 明治文学 1』にこんなくだりを見つけたから。


 〈最後に流行歌のオッペケペー節は、大分晩く、明治二十年以後の起りであるが、これが契機となつて、かゝる流行歌と唱歌風のものが合して所謂壮士演歌が生れる〉


 ジャパンナレッジでも調べてみよう。

 〈日本の流行歌の一種。歌によって意見を述べるという意味で、「演説」に対応することばとして明治中期から使用された。(中略)演歌の嚆矢(こうし)は川上音二郎作『オッペケペー』となる〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」「演歌」の項)

 オッペケペーも本書に収録されている。


 〈堅い裃角とれて、マンテル(外套)、ヅボンに人力車、いきな束髪ボンネット(帽子)、貴女や紳士のいでたちで外部の飾(かざり)はよいけれど、政治の思想が欠乏だ、天地の真理が判らない、心に自由の種を蒔け、オッペケペー、オッペケペッポー、ペッポーポー〉


 時は民権運動真っ盛り。辻々に立つ壮士の演説と同じ流れの中で、演歌は生まれたのである。

 著者の柳田泉(1894~1969)は、〈徹底した資料収集と幅広い明治文学研究に邁進(まいしん)し,今日の近代文学研究の基礎を築き上げた〉(同「世界大百科事典」)国文学者である。中でも柳田が熱心に取り組んだのは政治小説研究だ。演歌はいわば、政治詩歌であったのだ。

 本書収録の政治詩歌のいくつかを紹介しよう。


 〈一ツトセー、人の上には人ぞなき、権利にかはりがないからは、コノ人ぢやもの。
 二ツトセー、二つとはない我が命、すてゝも自由のためならば、コノいとやせぬ〉(植木枝盛「民権かぞへ歌」)


 最後の二十番はこう締めくくられる。


 〈二十トセー、日本は亜細亜の灯明台、きえては東洋が闇となる、コノ照らさんせ〉


 これを気概という。

 ちなみに柳田によれば、明治の政治小説は選挙絡みの醜聞を多く描いているという。選挙違反は選挙が始まって以来の伝統なのか。なるほど国会議員のセンセーは、徹底して伝統好きとみえる。



本を読む

『随筆 明治文学 1 政治篇・文学篇』(柳田泉著 谷川恵一他校訂)
今週のカルテ
ジャンル文学/評論
時代・舞台明治時代の日本
読後に一言3回に分けて不定期でお届けします。
効用小説がどのようにおこっていったのか。そのあたりも見えてきます。
印象深い一節

名言
皆が皆、何(ど)れも誰れにも面白いといふわけにも行くまいが、読み通されたら、何処かに面白いところが見付からぬとも限るまい。(「はしがき[随筆明治文学]」)
類書読書をめぐるエッセイ『閑板 書国巡礼記』(東洋文庫639)
明治大正文学史の研究『文芸東西南北』(東洋文庫625)
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