1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
稀に見る素直な性格が、 宣長の研究を支えていた |
本居宣長とはなんなのか。
日本を考える上で外せない巨人を、年末から年始にかけて俎上にのせるというアイデアは間違っていないと思うが、さて料理するにはこちらの腕も知識も心許ない。
そこで『増補 本居宣長2』を手がかりに、宣長はなぜ思索に至ったか、ということを考えてみたい。
(1)時代的影響
〈彼(宣長)の後半生に当る時代は、絶えず露国がわが国の沿海を侵略してゐた〉
本居宣長(1730~1801)の後半生とは、18世紀後半である。洋書の輸入の禁が緩和されたのが1720年。『解体新書』が1774年。そう、蘭学の時代であった。例えば、近代になって西洋の菓子が入ってきたことで、これまでの「菓子」が「和菓子」に変化したように、蘭学があったからこそ「国学」が生まれたというべきだろう。
〈彼の心における国家的自覚は、強められたに違ひない〉
(2)素直な性格
この切り口はどうかと思うが、著者の言を借りれば素直としかいいようがない。
〈宣長の人格が、いかにも自然で、むしろ人情の発達を示してゐる〉
〈温良であつて、感情の自然に発達してゐる〉
著者は〈楽天的〉とも評しているが、どうも目の前の事象を素直に受け取り(例えば文献ならば、裏を読もうとせず、書かれていることを素直に受け取り)、それによって考えを組み立てているようなのである。
〈母勝のすすめで京都に遊学し,堀景山に儒学をまなび荻生徂徠(おぎゅう-そらい)の学風や契沖(けいちゅう)の古典研究に啓発される〉(ジャパンナレッジ「日本人名大辞典」)とは、辞書的説明だが、住んでいた伊勢より学問が進んでいた京都へ行き、そこで見聞きしたものに、「うわ、すげー」と簡単に「啓発される」素直さが、宣長にはあったということだ。
その素直さは、〈(古事記などの)古伝説に対する無批判的信仰〉へと繋がり、忠君愛国思想にまで進んでいくのだが、それはまた別の話。今回は、2021年は斜に構えず、学問的素直さを持ちたい、という所信でまとめたい。
著者によれば、宣長は〈暗きを好む厭世家〉でも〈寂しきをめづる瞑想家〉でもないという。
〈随つて、彼の人格には、また深みはない〉
人格的深みを求めるか、学問的深みを請うか、さて。
ジャンル | 思想/伝記 |
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刊行年・舞台 | 1911年刊行、1928年増訂・日本 |
読後に一言 | 人格的深みのほうが、渋みはでるかな。 |
効用 | 小林秀雄も絶賛した宣長研究の名著。 |
印象深い一節 ・ 名言 | (本居宣長は)その学風や思想の傾向が、その性格と背いて居らぬと言ふのみに止らず、全く相一致してゐる。(「結論 宣長の人格」) |
類書 | 24歳下の国学者の紀行『菅江真澄遊覧記(全5巻)』(東洋文庫54ほか) 24歳下の国学者の紀行『菅江真澄遊覧記(全5巻)』(東洋文庫54ほか) |
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