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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 444

『貞丈雑記1』(伊勢貞丈著 島田勇雄校注)

2021/01/28
アイコン画像    日本人はなぜ偽マナーが好きなのか
有職故実の古典に学ぶ(1)

 さて「御社」と「貴社」の違いがわかるだろうか? 大手転職サイトによると、明確な使い分けのルールがあり、書き言葉で使う場合は貴社、話し言葉なら御社だという。

 ガンバレルーヤよしこの出番である。「クソが!」

 「デジタル大辞泉」(ジャパンナレッジ)にこうある。

 〈[補説]同音の言葉が多く紛らわしい「貴社」に代わり、主に話し言葉において(御社が)使われ始めた。1990年代初めころからか〉

 90年代初めといえば就活マニュアルが登場し始めた頃。おそらく、こうしたマニュアルで根拠なきマナーが蔓延したのだろう。最もらしく「貴社には同音多義語が多い」とぬかすが、例えば面接の文脈で「キシャは」と言われて帰社や汽車を思い浮かべる面接官がいたとしたら、私はその会社の将来を危ぶむ。

 お辞儀ハンコは言うに及ばず、最近はオンライン会議マナーやビジネスシーンのマスクの色に言及するマナー講師もいる。アホか。

 日本人のマナー好きはどこから始まったのか。

 東洋文庫には、有職故実の古典がある。『貞丈雑記』だ。伊勢流と小笠原流の2つの有名流派のうちの伊勢流である。有職故実とは、〈公家や武家の儀礼・官職・制度・服飾・法令・軍陣などの先例・典故〉(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」)のこと。〈江戸時代になって江戸幕府の制度儀礼がしだいに確立〉し、〈礼儀作法を尊ぶ風はしだいに民間にまでおよんだ〉(同「世界大百科事典」)とある。

 江戸時代前期のカリスママナー講師に、水島卜也がいる。〈小笠原流礼法をまなび,江戸で道場をひらいて水島流を称した。将軍徳川綱吉の子徳松の髪置きの儀で名をあげ,武家礼法を民間に普及させた〉(「日本人名大辞典」)。

『貞丈雑記』は水島より100年後に書かれたものだが、この扱い方が面白い。


 〈(水島流の)書籍などを見るに、様々偽りたる作り事を記して腹をかかえて笑うべき事多し〉


 ところが諸大名でも水島流を用いる家が多い。だが、〈(そうした大名家を)物知りたる人は物わらいにする事なり〉と散々である。とどめに〈水島流などを信用する人々は皆、無学文盲なるが故なり〉のひと言。

 どうやら日本人は、江戸時代からインチキマナーを好んできたようだ。あぁ。

 では肝心の伊勢流とは? これは稿を改めたい。



本を読む

『貞丈雑記1』(伊勢貞丈著 島田勇雄校注)
今週のカルテ
ジャンル教育/政経
時代・舞台江戸/1784年頃完成、1843年刊行
読後に一言戦時下に、文部省が「礼法要項」を制定し、小笠原礼法を取り入れ普及させたことを考えるだに、マナーそのものの恐ろしさを感じるのです。
効用1巻目は、髪型の作法や名付けの作法など。役名や官位の説明もあり、資料性が高い。
印象深い一節

名言
うやまうまじき人をうやまうは、へつらいなり。いやしむまじき人をいやしむるは、おごりなり。(巻之一「礼法の部」)
類書小笠原流ならこれ『大諸礼集 小笠原流礼法伝書(全2巻)』(東洋文庫561、562)
官職を和歌三十一文字で簡潔に説明『和歌職原鈔』(東洋文庫758)
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