1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
記録魔だからこそ真実が見えた? 英国人外交官が見た18世紀末の中国 |
〈長年の間私は、珍しく、あるいは興味深く見えることは何事によらず記録しておくことを努めて自分の習慣として来た〉
この一文に脱帽です。「あっ!」となった思いつきも、「おっ!」と心動いた感慨も、時とともに消え去るのが人の常(いや正確を期すなら私の癖、です)。
この言葉を発したのは、18世紀のイギリスの外交官マカートニー(1737~1806)。〈英国最初の使節として清国に派遣され〉た人間です(ジャパンナレッジ「デジタル大辞泉」)。彼はこうも言っています。
〈(書きとめておかないと)これからいろいろな事があるので、記憶からすべり落ちてしまうおそれがある〉
それができたら苦労はないのですが、マカートニーのこの態度のお陰で、本書『中国訪問使節日記』は、極めて優れた18世紀末の中国を活写した一級品の記録となっています。
マカートニーは、英国王ジョージ3世の信任状を携え、英清貿易拡大のための外交使節として清国に乗り込みます。ところが、〈中国側はあくまでも遠方からの朝貢使節とみなし、実質的な交渉のないまま〉(同「ニッポニカ」)終了、外交的には失敗に終わります。
その副産物が本書というわけですが、好奇心と記録魔、という2つの資質を兼ね備えたマカートニーだけに、これがね、私たちの好奇心をも刺激するのです。
例えば皇帝と謁見したくだり。
〈彼(皇帝)の物腰は威厳に満ちてはいるが、愛想よく物柔らかである。(中略)彼はきわめて格調の高い老紳士で、今もなお健康で強壮である〉
冷静にかつイキイキと記述しているのです。
マカートニーは、当時の中国を的確に見抜いていました。中国の文化レベルを高く評価しつつも、次のように看破しました。
〈中華帝国は有能で油断のない運転士がつづいたおかげで過去百五十年間どうやら無事に浮かんできて、大きな図体と外観だけにものを言わせ、近隣諸国をなんとか畏怖させてきた、古びてボロボロに傷んだ戦闘艦に等しい〉
マカートニーの予言はすぐに当たりませんでしたが、巨大戦闘艦は実際、沈んでいきます。
記録を付ける習慣が、マカートニーの思索の手摺りになったのでしょう。さ、今日から日記を始めますか。
ジャンル | 日記/政経 |
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時代・舞台 | 18世紀末の中国(清代) |
読後に一言 | マカートニーによると、彼が記録を付けた理由のひとつは、〈半ばは飽き飽きするような辛い仕事に従事する身の退屈しのぎのためであった〉。なるほど。 |
効用 | 万里の長城の観察&分析も読み応えがあります。 |
印象深い一節 ・ 名言 | この記録が他の人々にとっても大いに役立ち、あるいは読物として面白いのではなかろうかなどと、自惚れるつもりはない。(一七九四年一月) |
類書 | 著者も参考にした仏人宣教師の中国布教報告集『イエズス会士中国書簡集(全6巻)』(東洋文庫175ほか) 同時期の朝鮮人使節の中国見聞記『熱河日記(全2巻)』(東洋文庫325、328) |
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