1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
身分制度と差別はなぜなくならない? インドのカースト制の実態を知る |
身分制度や差別に大手を振って賛同する人はいない。だが一向になくならない。なくならないどころか、虐殺や分断まで起こっている。なぜだろう。
そんなことを考えているときにこの本に出会った。『カーストの民』である。著者は、18世紀末から19世紀初期の30余年間、インドで布教にあたったフランス人宣教師デュボア。題名通り、カースト制について語った書だ。
デュボアは、欧米人の「押しつけ」を批判する。宗教や教育、環境などの特殊性に左右されるので、〈ある民族に受け入れられた文明体系であっても、他の民族に導入されると彼らが野蛮状態に陥ったり、完全に滅亡したりすることもある〉と断じたのだ。真理である。
ではデュボアは、カースト制をどう見たか。ここでも私の予想は裏切られた。
〈カースト区分は多くの点でヒンドゥー法の最高傑作だと私は信じている。世界のほとんどの国々が野蛮な状態にあったにもかかわらず、ひとりインドがそうした状態に堕することなく、しかも、文明の様々な学芸を維持・完成させたのは、ひとえに人々がカーストに分かれていたからだと私は確信している〉
細部に関しての批判はあるのだが、デュボアはインド社会に根を下ろし、同じ目線に立って社会を見、そしてカースト制を概ね受容したのである。
ではなにゆえ「最高傑作」なのか。デュボアはこれによって秩序が保たれていると考えた。研究者もそれを裏付ける。いわく、〈この制度は,経済発達の一定の段階においては生産を高めそれを維持するための有効な制度だった(中略)さらに,カーストを基礎とする社会は大きな安定性をもっていた〉(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)。もちろんそれは為政者にとって好都合だった。
現在のインドはどうか。
〈植民地支配下、一定の地方自治体制がしかれ、そのために選挙制度が導入されると、これらのカースト大連合は集票マシンとしても機能するようになった〉(同「ニッポニカ」)という。「カースト・ポリティックス」だ。憲法でカースト制はなくなったが、低いカーストを優遇する「留保制度」が始まり、逆差別が起きているという。アメリカの現状とどこかで重なっている。
デュボアに対し異論は山ほどあるが、カースト制という身分制度&差別がなくならないひとつの理由を知り得たという意味で、有意義な読書であった。
ジャンル | 宗教/民俗学 |
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時代・舞台 | 19世紀初頭のインド |
読後に一言 | カーストという言葉は、〈ポルトガルcasta(血統)に由来〉(ジャパンナレッジ「デジタル大辞泉」)しているそうです。日本でも「血」へのこだわりを持つ人間が増えていることに嫌悪を覚えます。 |
効用 | デュボアの観察は詳細で、カーストを中心としたインド社会の風俗がよくわかります。 |
印象深い一節 ・ 名言 | ヒンドゥーは些事にしっかりと目を配ってこそ、より重大な内容が守られると考えているからである。実際、社会慣習や諸々の規則を、かくも長い間不変的に維持してきたことを自負しうる民族は他にない。(第四章「カーストの起源と伝統」) |
類書 | ヒンドゥーの根本文献『ヤージュニャヴァルキヤ法典』(東洋文庫698) ヒンドゥーの聖典、叙事詩『ラーマーヤナ(全2巻)』(東洋文庫376、441) |
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