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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

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『徳川慶喜公伝 2』(渋沢栄一著)

2021/05/06
アイコン画像    慶喜の「正論」の切れ味
渋沢栄一が見た徳川慶喜(2)

 徳川慶喜は、はたして名君か暗君か。

 渋沢栄一による伝記『徳川慶喜公伝 2』には、1862~64年のことが描かれます。

 ジャパンナレッジ『誰でも読める 日本史年表』から主立った出来事をピックアップしてみます。

 1962年。1月の〈坂下門外の変〉に始まり、4月には〈寺田屋騒動〉。7月には慶喜が〈将軍後見職に任命〉されます。いよいよ慶喜は政治の表舞台に登場します。8月には〈生麦事件〉。会津藩主松平容保が〈京都守護職に任命〉されたのもこの頃です。

 当時の最大の問題は、諸外国と結んだ条約でした。条約を破棄し、攘夷せよ。日本人はこういう「血気盛んな暴論」にすぐに流されてしまいます。

 この時、将軍後見職にあった慶喜は、どうふるまったのか。興味深いのは、この慶喜という男、最初に尋ねられた時は態度を鮮明にしません。周囲の意見が出揃ったところで、やおら本心を出してくる、という印象です。

 で、その時の慶喜の言葉。


 〈世界万国が天地の公道に基きて互に好(よしみ)を通ずる今日、我邦のみ独り鎖国の旧套を守るべきにあらず。故に我より進みて交を海外に結ばざるを得ずとの趣旨を、叡聞に達すべし〉


 諸外国がお互いに外交関係を結んでいるのにひとり鎖国してもしょうがない。けだし正論です。この時の日本は尊皇攘夷などという、今の北朝鮮のようなことを平気で口にしていたのです。慶喜はそれを正論で否定します。

 条約破棄に関しても理路整然と反論します。天皇の許可も得ず、条約を幕府が勝手に結んだというが、〈外国人より見れば、政府と政府との間に取換はしたる条約なれば、決して不正とは言はざるべし〉。これも納得。

 当時は、外国と戦争やむなし、という意見が根強くありました(なるほど、太平洋戦争と同じアホな理屈ですね)。慶喜はそんな感情論に与しません。


 〈若し斯かる事よりして戦を開かば、天下後世之を何とかいはん、たとひ勝利を得たりとも名誉にはあらず、況や敗衄(はいじく)を取るに於てをや〉


 いたって冷静。攘夷派はグーの音も出ません。冷静沈着で物事を俯瞰できるリーダーといえましょう。

 しかし物事はそううまく運びません。いよいよ次巻3巻で将軍に就任します。



本を読む

『徳川慶喜公伝 2』(渋沢栄一著)
今週のカルテ
ジャンル伝記/歴史
時代・舞台幕末(1862~1864年頃)
読後に一言『誰でも読める 日本史年表』から、この当時の世界の様子を眺めてみると、ユーゴーの『レ=ミゼラブル』が1862年刊。「人民の人民による人民のための政治」で有名なリンカーンの演説が1863年。この年は〈ロンドンに世界初の地下鉄道が開通〉しています。そんな相手と戦おうとしていたのですから……。
効用幕末の流れが、つぶさにわかります。
印象深い一節

名言
(一橋家相続に対し家臣に向かってひと言)今はたゞ汝等の力を頼むばかりなれば、上下の隔てなく、天下の御為め、御不為と心附きたる事あらば、何事に寄らず存分申出づべし。(第八章「後見職就任」)
類書黒船来航から大政奉還まで『幕末外交談(全2巻)』(東洋文庫69、72)
大老井伊直弼や慶喜の父・徳川斉昭らを論じる『幕末政治家』(東洋文庫501)
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