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そんな珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、あなたを面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫
『徳川慶喜公伝 3』(渋沢栄一著)

2021/05/13
   幕末の「空白の5か月間」とは?
渋沢栄一が見た徳川慶喜(3)

 徳川慶喜には「空白の5か月間」がある。正確にいうなら、「徳川宗家を継ぎながら将軍に就任しなかった5か月間」である。時は慶応2年(1866)7月。私たちはこの2年後に明治と改元されることを知っている。すでに秘密裏に薩長同盟が結ばれていたのだが、どちらも慶喜は知らない。江戸幕府は7月20日、〈将軍家茂、大坂城で急死〉(ジャパンナレッジ「誰でも読める 日本史年表」)という事態に直面していた。慶喜、 30歳の夏。現在と同様、満年齢でいうならば 29歳を迎える年の夏である。

 『徳川慶喜公伝 3』によれば、慶喜が将軍に就く流れはなかった。親藩の有力者・徳川慶勝(尾張元藩主)や松平春嶽(福井前藩主)とも折り合いが悪い。天璋院篤姫(前将軍家定の妻、家茂の養母)は、「自分に万が一のことがあれば、田安亀之助(後の徳川家達)に後を継がせるように」と家定が言い遺していたとねじ込んでくる。


 〈公(慶喜)は孰(いず)れの方面より見るも、将軍の後継者として歓迎せらるべき地位にあらず、然れども天下国家の為には、公を措(お)きて其経綸に任ずべき人なかりしなり〉


 火中の栗を拾うどころか、溶鉱炉に手を突っ込むようなものである。実はこの時、慶喜は近臣に問うている。


 〈此際幕府を廃して王政を復古せんと思ふは如何(いかに)〉


 「大政奉還」である。大政奉還は、〈坂本龍馬の「船中八策」の発想に基づく〉もので、山内容堂が1867年(慶応3)10月に〈将軍に提出した〉(同「ニッポニカ」)とされているが、その前から、慶喜は持論として胸に秘めていたのだ。

 さて徳川宗家を継がざるをえなくなった慶喜は、幕閣に仰天の注文を出す。〈将軍宣下は思ふ仔細あれば請け難けれど、我が意の如く弊政を改革して差支(さしつかえ)なからんには、相続するのみは承諾せん〉

 将軍にはならない。幕政を好き勝手に改革していいなら徳川宗家は継ぐ。なんとも強気の要求だ。慶喜は一橋家だ。一橋家は将軍家の親戚というだけで藩ではなく、軍隊を持たない。宗家当主となれば幕府軍を手中にできる。実際慶喜は、即、軍制改革を行う。将軍にならずに権力基盤を固める。なるほどうまいやり方だ。

 誤算もあった。第二次長州征伐は失敗し休戦。国も疲弊していた。「誰でも読める日本史年表」には、〈幕府、凶作による米価騰貴で、外国米の購入・販売を許可〉(慶応2年10月13日)、〈江戸町奉行井上清直、窮民増加に伴い救助小屋収容者を整理〉(11月11日)とある。

 慶応2年12月5日(1867年1月10日)、慶喜は第15代将軍となる。



今週のカルテ

ジャンル伝記/歴史
時代・舞台幕末(1864~1866年ごろ)
読後に一言本書に描かれているのは、幕府と朝廷の混乱ぶりです。つまり、誰が将軍になっても江戸幕府は滅びたのでしょう。と考えると、慶喜の目的はソフトランディングだった?
効用慶喜が将軍就任を渋った理由がつぶさにわかります。
印象深い一節

名言
(徳川宗家の)御相続は却て幕府の滅亡を促すものなり(「著者栄一が当時の所感」、第二十二章「宗家相続」)
類書ジャーナリスト福地桜痴が維新を斬る『幕府衰亡論』(東洋文庫84)
英国人記者による幕末・維新の記録『ヤング・ジャパン(全3巻)』(東洋文庫156ほか)
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