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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 107

『徳川慶喜公伝 4』(渋沢栄一著)

2021/05/20
アイコン画像    プライドよりも大事なものとは
渋沢栄一が見た徳川慶喜(4)

 本を読むこと、すなわち勉学の基本である。江戸時代ならなおさら、素読から学問に入った。

 ところがこの少年、読書が大の嫌いときた。とにかく怠ける。困り果てた周囲の大人は、少年の指に文字通りお灸を据えた。それでも聞かない。今度は右手の人差し指にこんもり、もぐさを盛る。特大のお灸だ。


 〈後には灸点爛(ただ)れて腫れ上りたれども、公は尚悔悟の状もなく、是れをだに忍びおほせば、陰気なる書物を読むに及ばねば却て心安しと、平然としておはしぬ〉


 「公」とはもちろん、徳川慶喜のこと。勉強するくらいならお灸のほうがマシとは何とも強情なガキである。結局、父(斉昭)の命で、一坪の座敷牢に閉じ込められ、食事も与えられなくなってようやく観念したという。以後、〈さながら別人のやうに成らせ給へり〉と『徳川慶喜公伝 4』が伝えるが、はたしてそうか。慶喜は常に、人から勧められようが、世の中の常識であろうが、お灸を据えられようが、自分の思う道を歩んでいたのではないか。座敷牢ごときで別人になったのだってアヤシイ。単に勉学に励む理由を見つけただけではないか。

 そうでも考えなければ、慶喜の行動は読み解けない。

 1867年は「大政奉還」(本書では「政権奉還」)を巡って政局が二転三転する。坂本龍馬も歴史の表舞台に登場、役者は揃うも、薩長の動きはきな臭い。

 先手を打ったのは慶喜だった。


 〈従来の旧習を改め、政権を朝廷に帰し奉り、広く天下の公議を尽し、聖断を仰ぎ、同心・協力、共に皇国を保護せば、必ず海外万国と並立するを得ん〉


 慶喜はこう上表し、政権を返上してしまったのである。反慶喜陣営にとっても、親慶喜陣営にとっても、まさかの行動だった。慶喜にとっての一大事は、「海外万国と並立する」ことだった。鳥羽伏見の戦いにおいても、〈公は初より戦意ましまさねば……〉だったという。当然だ。「海外万国と並立する」ためには戦っている場合ではない。だから後ろ指をさされようが戦線離脱し、とっとと謹慎する。慶喜にとってはこの程度の不名誉、人差し指のお灸痕のようなものだったのだろう。小さなプライドより、徳川が260年守ってきた日本をどうするかという大事を、慶喜は見誤らなかったといえる。

 慶喜は謹慎以降、一切、口をつぐんだ。一線から完全に退いた慶喜は、大正2年、77歳で生涯を閉じる。



本を読む

『徳川慶喜公伝 4』(渋沢栄一著)
今週のカルテ
ジャンル伝記/歴史
時代・舞台幕末~明治(1866~1913年ごろ)
読後に一言掌中に権力を握りながら、それを手放す。弱虫と嘲られようが戦わない。あえて「やらない」勇気を、もっと称えてもいいのかもしれません。
効用本書の大半は、1867年の記述で占められます。江戸時代最後の年に何があったのか。慶喜を通して浮かび上がります。
印象深い一節

名言
楽しみはおのが心にあるものを、月よ花よと何求むらん(一線を退いてから自身の境地を詠んだ歌)(第三十五章「逸事」)
類書英国公使の半生『パークス伝』(東洋文庫429)
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