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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 328

『熱河日記2 朝鮮知識人の中国紀行』(朴趾源著 今村与志雄訳)

2021/06/24
アイコン画像    カリブの海賊に怯えるなかれ?
恐怖を乗り越える方法があった

 人生で3回しか東京ディズニーランドに足を踏み入れたことがないが、「カリブの海賊」が絶叫系かといわれたら、否、と自信を持って言える。アトラクションが始まって数分のところで、船がガクンと落下するが、落差は約5メートル。心胆を寒からしめるような話ではない。ところが私の知人にいるのである。「カリブの海賊」になど二度と乗らぬ、と青ざめている人間が!

 そんな馬鹿なと鼻で笑っていたら、なんと、本書著者の朴趾源(パクチウォン)はそれ以上の怖がりであった。本書は、清の乾隆帝70歳の賀を祝う朝鮮の赴京使に随行した朴の紀行文なのだが、この中にこんな一節がある。


 〈私は、幼いときから、胆が小さく、臆病な性質で、あるいは、昼、空室に入り、夜、ほのぐらい燈に遇うと、きまって髪が動き、脈がたかまった。いま、年、四十四であるが、その畏怯(いきょう)の性質は幼時とかわらない〉


 そんなヨワムシ朴に、中国の景観が奇跡を起こす。


 〈いま、夜中、万里の長城の下にひとり立ち、月は落ち、河は鳴り、風は凄(さび)しく、燐(りん)が飛ぶ。遭遇したもろもろの境地は、ことごとくみな驚愕すべく、奇詭とすべきものであったのに、突然、畏怯の心がなくなり、奇興が勃然とおこった〉


 これも異国の旅の高揚&効用なのだろう。

「奇興」とはジャパンナレッジでも本書しか記載のない言葉だが、奇=めずらしい、興=おもむき、たのしみ、というような意味だろう(「新選漢和辞典 Web版」より)。怖じ気づく気持ち(畏怯)をワクワク感が上回ったのだ。

 「ワクワク感」という地点から本書を眺めてみると、著者は見事なほどに、異国を楽しんでいる。浮かれているといってもいい。祝賀会会場の熱河(ねっか)には、多くの参列者が集まっていたのだが、朴は彼らに話しかけて回る。


 〈一語以上、筆談をかわした人物を収めて「傾蓋(けいがい)録」をつくった〉


 登場する人物も様々である。モンゴル人の武官、12歳の少年、福建省から来た25歳の従僕。「筆談」という不自由さもなんのその、文字通り手当たり次第だ。だが40過ぎた大の大人が、嬉々として話をしている様が思い浮かぶではないか。

 くだんの「カリブの海賊」を怖がる知人は、地元を出たことがない。人生にワクワク感が足りないのであろう。



本を読む

『熱河日記2 朝鮮知識人の中国紀行』(朴趾源著 今村与志雄訳)
今週のカルテ
ジャンル紀行/随筆
時代・舞台1780年代の李朝(韓国、北朝鮮)、中国
読後に一言朴趾源の凄味は、ありのままに目に焼き付けよう、という素直さにあります。彼の目を通した清の国を味わってください。
効用小説風読み物「玉匣夜話」、著者の歩みがわかる「朴趾源年譜」と、第2巻の付録も充実。
印象深い一節

名言
人の世で一番つらいことは、別離のつらさである。別離のつらさは、生きながら別離することがもっともつらい。(「漠北行程録」)
類書英国使節が見た同時代の清&乾隆帝『中国訪問使節日記』(東洋文庫277)
仏人宣教師が見た同時代の清&乾隆帝『イエズス会士中国書簡集 3 乾隆編』(東洋文庫210)
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