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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

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『尾崎秀実時評集 日中戦争期の東アジア』(尾崎秀実著 米谷匡史編)

2021/07/01
アイコン画像    大きく眼を開いてこの時代を見よ。
1937年の七夕の日に起きたこと

 そろそろ7月7日である。七夕の話をしたいのではない。7月7日は戦前日本の大きな「かわりめ」だった。


 〈7・7 北京郊外盧溝橋付近で深夜から翌早朝にかけて、日中両軍衝突(盧溝橋事件.日中戦争の発端)〉(ジャパンナレッジ「誰でも読める 日本史年表」)


 ここにある「盧溝橋事件」とは、〈1937年(昭和12)7月7日夜に始まる盧溝橋一帯での日中両軍の軍事衝突で、日中全面戦争の発端となった事件〉(同「ニッポニカ」)だ。〈一連の戦闘で中国の民衆多数が日本軍によって殺傷され〉、日本は、〈全面戦争へ向けての重大な一歩を踏み出し〉(同前)ていく。

 だが「重大な一歩」とはあくまで後付けである。当時の日本人が、どこまでこの衝突の意味をわかっていたか。軍部ですら理解できていなかったのではないか。

 盧溝橋は、北京にかかる石橋である。かのマルコ・ポーロが、〈全く世界中どこを捜しても匹敵するものはないほどのみごとさ〉(東洋文庫『東方見聞録1』)と讃えた橋で衝突は起こった。

 これに対し、雑誌『改造』(同年8月号)で即座に重要性を指摘したのが、尾崎秀実(ほつみ、1901~1944)だ。


 〈日支両軍の衝突は今や日支両国間の全面的な衝突を惹起せんとする形勢にある。恐らくは今日両国人の多くはこの事件の持ち来すであらう重大なる結果につきさまで深刻に考へてゐないであらうが、必ずやそれは世界史的意義を持つ事件としてやがて我々の眼前に展開され来るであらう〉


 中国北部を当時、「北支」と日本人は呼んでいたが、北支は満州国と隣接する重要な地域だった。中国国民党は南京に政府を構えていた。北支での主導権を握ることは、日本軍にとって局地的な問題だった。ところが中国は、この北支問題を〈全支的〉問題と捉えた。


 〈我々が重視するところは全支問題の意味が単に全支の統一政権たる国民政府の問題であるといふ意味でなく全支那民族を相手にして居るのであるといふ事実である〉


 尾崎はいう。国民政府の持つ武力は大したことがない。しかし〈支那の民族戦線の全面的抗日戦との衝突は遙に重大な意義を持つてゐる〉。尾崎はさらに〈英米の動向〉も問題だと注記する。

 私たちは全面的抗日戦で日中戦争が泥沼化したことも、英米への宣戦布告も知っている。だが84年前の七夕の日、大半の日本人は気づいていなかったのである。



本を読む

『尾崎秀実時評集 日中戦争期の東アジア』(尾崎秀実著 米谷匡史編)
今週のカルテ
ジャンル評論/歴史
時代・舞台戦前の日本
読後に一言「国史大辞典」の「尾崎秀実」を引用します。〈太平洋戦争の直前にゾルゲ事件で検挙され、治安維持法・国防保安法・軍機保護法違反などの罪名で、同十九年十一月七日巣鴨の東京拘置所で処刑された。四十四歳。実際は反戦行動に対する弾圧であった〉。
効用付録の「遺書」をぜひ読んでください。尾崎秀実の人となり、時代性がわかります。
印象深い一節

名言
私の最後の言葉をも一度繰り返したい。「大きく眼を開いてこの時代を見よ」と。真に時代を洞見するならばも早人を羨む必要もなく、また我が家の不幸を嘆くにも当らないであらう。(「遺書」)
類書同時代のマルクス主義哲学者の時評『増補 世界の一環としての日本(全2巻)』(東洋文庫752,753)
同時代の思想史学者が考えた「敗戦の原因」を収める『新編日本思想史研究 村岡典嗣論文選』(東洋文庫 726)
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