1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
思った以上に近かった!? 古代朝鮮・新羅と日本の距離 |
『三国史記』といっても、関羽や張飛の「三国志」ではありません。『三国史記』は、〈朝鮮の現存最古の歴史書〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」)で1145年に成立した官撰史書です。「三国」とは、〈古代朝鮮で,313-676年にわたり高句麗,百済,新羅の3国が鼎立・抗争した時代〉(同「世界大百科事典」「三国時代」の項)のことを指します。
本書『三国史記1』は「新羅本紀十二巻」を収めますが、一読して日本との近さに今さらながら驚きました。
ざっくり説明すると、朝鮮半島の南東部が新羅、南西部が百済、北部が高句麗となり、地理的に最も近いのが新羅です。釜山(旧・新羅)の港から対馬まで約50キロ、対馬から壱岐まで約50キロ、壱岐から博多まで約60キロ。対馬から見れば、日本よりも朝鮮半島の方が近いのです。いろいろな文化や人が朝鮮半島から渡ってきたことを鑑みれば、ここに海の道があったことは間違いないでしょう。今以上に日本と朝鮮は近かったのです。
いくつか目に付くものだけ抜き出してみます。
●BC50〈倭人が出兵し、〔新羅の〕辺境に侵入しようとしたが、〔新羅の〕始祖には神のような威徳があると聞いて引き返した〉
●AD14〈倭人が兵船百余隻で海岸地方の民家を略奪した〉
●59〈倭国と国交を結び、互いに使者を交換した〉
●121〈倭人が東部の辺境に侵入した〉
●193〈倭人が大飢饉にみまわれ、食糧を求めて〔新羅に〕千余人も来た〉
●232〈倭人が突然侵入して金城を包囲した〉
●364〈倭兵が大挙して侵入してきた〉
●440〈倭人が南部の辺境を犯し、住人を掠(かす)め奪って逃げ去った〉
●459〈倭人が兵船百余艘をつらねて東海岸を襲撃し、さらに進撃して月城を包囲した〉
●497〈倭人が辺地を犯した〉
とこんな調子で、倭と新羅の濃い関係が西暦500年頃まで続きます。倭が一方的に侵攻するだけでなく、困った時は頼ったり、国交を結んだり、と握手の時期があったことがうかがえます。もちろん、倭国が大和朝廷のことなのか、不明の所もありますが、倭=日本と大まかに考えて良さそうです。紀元前から続く朝鮮半島と日本の距離的近さ、関係性の近さは、もっと意識されるべきことなのでしょう。
ジャンル | 歴史 |
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時代・舞台 | B.C.57~935年の新羅(韓国) |
読後に一言 | 王が亡くなる前年や亡くなった年には必ず災いが起こる。そう信じられていたことが本書から見えてきます。下の「印象ぶかい一節」は新羅の始祖の死ぬ前年の記述です。 |
効用 | それまでの史書は散逸しており、本書が現存する最古の朝鮮の史書です。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 〈秋九月、二匹の龍が金城の井戸の中に現れると、激しい雷雨が起こり、城南の門に雷が落ちた〉(「新羅本紀第一」) |
類書 | 中国から見た朝鮮や日本の姿『東アジア民族史 正史東夷伝(全2巻)』(東洋文庫 264、283) 朝鮮の地誌『択里志』(東洋文庫751) |
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