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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 600

『前野蘭化1 解体新書以前』(岩崎克己著 片桐一男解説)

2021/10/07
アイコン画像    育て親の教えは「奇人をめざせ」
奇人ゆえに成し遂げた『解体新書』

 この言葉に唸ってしまいました。


 〈人といふ者は、世に廃れんと思ふ芸能は学置て、末々までも絶へざる様にし、当時人のすてはてゝせぬ事になりしをばこれを為して、世の為に後に其事の残る様にすべし〉


 「ニッポニカ」(ジャパンナレッジ「前野良沢」の項)に後半部の現代語訳があるのでそれを引用します。

 〈他人が捨てて顧みないようなことに愛情をもち、世に残すよう心がけよ〉

 これを育ての親から言われたのは前野良沢。〈杉田玄白ら江戸蘭学グループの《解体新書》翻訳事業の顧問格として,江戸蘭学勃興期に指導的役割を果たした〉(同「世界大百科事典」)江戸の蘭学者です。良沢は、〈幼時、父を亡くし母に去られ孤児となり、山城国(京都府)淀藩医官で伯父の宮田全沢(『医学知律』の著者)に育てられた〉(同「ニッポニカ」)というのが定説で、この全沢が良沢にくだんの言葉を吹き込み続けたのでした。今でいうなら「めざせ!みうらじゅん」とでもいいましょうか。実際、〈宮田の訓育方針に従い、当時すでに廃れかかっていた一節切の竹管器に習熟し、さらに猿若狂言(中村座の家狂言)の稽古にも通っていた〉(同前)といいます。

 本書は、良沢を徹底的に研究した書で、良沢に「愛情をもち、世に残すよう」務めた書といえましょう。

 著者によればしかし、この竹笛と猿若は大したことがなかったようで、やや手厳しい評価。


 〈蘭語研究に着手する迄の彼は、医家としても、亦た趣味人としても、精々非凡人中の平凡人、或いは平凡人中の非凡人の程度を、往来していたものではなかろうか〉


 『解体新書』は、〈ドイツ人クルムスの「解剖図譜」のオランダ語版「ターヘル‐アナトミア」を前野良沢・杉田玄白らが翻訳したもの〉(同「デジタル大辞泉」)です。当然ながら、翻訳は困難を極めたようですが、なぜ良沢がこれに関わったかというと、ある偶然がきっかけでした。同じ藩の藩士から蘭書の残篇を見せられたのですが、これがわからない(当然ですね)。しかし同じ人間が書いたのならわからぬわけがない(屁理屈)と発起、蘭語を学び始めます。何歳だと思います? 本書によれば、蘭語研究を本格的に始めたのはなんと48歳! その遅いスタートにもかかわらず、とうとう医学書を訳すところにまでいってしまったのでした。ちなみに『解体新書』の発刊は1774年。良沢は50歳を過ぎていました。



本を読む

『前野蘭化1 解体新書以前』(岩崎克己著 片桐一男解説)
今週のカルテ
ジャンル科学(医療)/評論
刊行年・舞台1938年(自費出版)/江戸時代の日本
読後に一言享和3年(1803)10月17日は、前野良沢の没した日である。約200年前の偉人の奮闘に思いを馳せつつ、続きは次回。
効用執拗な資料収集と検討によってなされた前野良沢研究。著者もまた、「他人が捨てて顧みない」ことに生涯をかけたひとりだったのでは?
印象深い一節

名言
著者が分析する〈曲りなりにも『ターヘル・アナトミア』を訳了し得た原因〉
〈一、会訳者の集団的努力〉
〈二、蘭化(良沢)の持った基礎的知識〉
〈三、辞書類の活用〉
〈四、和蘭通詞の助力〉
〈五、解剖の実験〉(第六章「解体新書の飜訳」)
類書日本の医学の歴史『日本医学史綱要(全2巻)』(東洋文庫258、262)
シーボルト研究『シーボルト先生(全3巻)』(東洋文庫103ほか)
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