1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
あなたに夢はありますか? 夢を求めぬ良沢の生き方 |
将来の夢はありますか? あなたならどう答えますか(もしくは、20歳時のあなたの夢は?)。こんな問いに夢が「ある」と答えた新成人は54.4%だそうです(マクロミル「2018年 新成人に関する調査」)。つまり、将来が見えない人が半数いるということです。
さて前野良沢の夢は何だったのでしょうか。
辞書的には〈江戸時代中期の蘭学者、蘭方医〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」)と紹介される良沢ですが、蘭医か、といわれると疑問。だいたい、『解体新書』を訳し終えたあとの行動がアヤシイのです。
〈『解体新書』公刊に際し、良沢は自己の名の掲載を拒絶、その後は(杉田玄白ら)会読の同志とも疎遠になり、著訳に従事した〉(同前)
『解体新書』会読の同志をみてみましょう。
●杉田玄白〈主家への勤務、患者診療、患家往診の間、学塾天真楼を経営、(中略)蘭学の発展に貢献した〉(同「国史大辞典」)
●中川淳庵〈青年時代からすでに本草家として知られていた〉(同「ニッポニカ」)
●桂川甫周(4代)〈幕府医学館教授、外科担当となり、顕微鏡を医学に初めて応用した〉(同前)
玄白は、蘭医として後進の育成にあたり、淳庵は蘭学の知識で薬草学を深め、4代甫周は幕府医学館教授に出世します。では良沢は?
本書は、良沢の著書、訳書を集めたものですが、いくつか引用してみます。
〈空気ノ地球ヲ包ム者ニシテ、其厚サ、地平ヨリ上四十五度ノ分ニ及ブ〉
〈L el ンエル 「ンエ」字ヲ帯ビテ、「ル」音ヲ軽ク呼ブナリ。先ヅ舌ヲ下顎ニ著ケテ、乃チ唇ヲ合ワセナガラ、「ル」音ヲ発スルナリ〉
前者は、良沢の〈考察を織り込んだ宇宙観を示した書〉である「管蠡秘言」。後者はオランダ語のアルファベットの読み方を述べた「字学小成」。この雑多さからも分かるとおり、玄白らのように「おれはこれをやるぜ!」という具体が見えてきません。しかも、人付き合いも苦手で、〈交際ぎらい〉(同「国史大辞典」)。
夢=野望から目を背け、人の評価も気にしない。そもそも医者になったのも、育ての親が藩医だったから。そんなヘンクツ良沢像がアタマの中で実を結びました。夢を求めない生き方もあるよね。
ジャンル | 科学(医療)/評論 |
---|---|
時代・舞台 | 1938年(自費出版)/江戸時代の日本 |
読後に一言 | 教科書からはうかがいしれない、意外な偉人の姿が見えてきました。 |
効用 | 西洋の築城法を訳した『和蘭築城書』や、物理学に踏み込んだ『飜訳運動法・測曜璣図説』などなど、興味深い著書、訳書が9作品、収められています。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 凡ソ飜訳ノ業ハ、専ラ言語ノ書ヲ修ムルニ在リ(「和蘭訳筌」) |
類書 | 日本初の図入り百科事典『和漢三才図会(全18巻)』(東洋文庫447ほか) 蘭医の娘のエッセイ『名ごりの夢』(東洋文庫9) |
ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のインターネット辞書・事典サイト。
日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
(2024年5月時点)