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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 700

『鏡の国の孫悟空 西遊補』(董若雨著 荒井健、大平桂一訳)

2021/10/28
アイコン画像    あの『西遊記』にSFチックな
別バーションが!?(ネタバレあり)

【情】〈中国思想の用語。狭義には感情,情欲のことで,七情(喜,怒,哀,懼(おそれ),愛,悪(にくしみ),欲)として類型化される〉(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)

 冒頭から「情」を取り出しましたのは、この奇っ怪なる小説が、専ら「情」をテーマにしているからであります。どうやら、〈中国の修養論では,この情にいかに対処するかが大問題であった〉(同前)ようです。

 奇っ怪な小説とは『西遊補』(本書『鏡の国の孫悟空』)のこと。〈中国,明(みん)末の小説〉で、〈100回本『西遊記』の第61回に接続すべく作られた続作の一種〉(同「集英社世界文学大事典」)です。いってしまえば、コミケの二次創作のようなものです。〈夢境に迷い込んだ悟空を通して明末の世相を風刺する秀作〉(同「ニッポニカ」「西遊記」の項)と評価されていますが、「あとがき」にいわく、〈明末は人間本来の情、“真情”が文人たちによって声高く賛美された〉。「情」を賛美する世相に対し、そんなにいいもんなの? と突きつけた、といえるかもしれません。

『西遊記』は、三蔵法師と孫悟空一行の天竺への旅を描いた長編小説です。1592年にいちおうの完成をみますが、本書が登場するのは約50年後です。

 さて『西遊補』は本家『西遊記』の「芭蕉扇」のエピソードの続きから始まります。火焔山という燃えさかった山を、大風を起こす芭蕉扇で消し去った、というアレです。本書主人公の悟空は、仲間が寝ているのを見て、ひとり托鉢に出かけるのですが、鯖魚(せいぎよ)の精に惑わされ、あれよあれよと異世界へ。ここからはSF的展開です。虞美人に化けて項羽をたぶらかしたり、挙げ句は始皇帝も登場。縦横無尽に、異世界から異世界へ、ぴょんぴょん飛んでいきます。この中に「青々(せいせい)世界」を支配する「小月王」なる人物が出てくるのですが、これがミソ。「鯖」は魚へんに「青」。「小月王」の「小」をりっしんべんにして並べ替えれば、「情」という文字に。こんな遊びを紛れ込ませているところにこそ、本書の風刺精神があるのでしょう。というかこれ、ネタバレですね。

 さて「青々世界」を何日もかけて旅して来た悟空は、元の時間に合流します。しかし現実世界で過ぎた時間はたった一刻。不思議がる三蔵法師に悟空がひと言。


〈心は迷うが、時間は迷いませんから〉


 迷うから長くはまり込む。うむ、真理をついてますな。



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『鏡の国の孫悟空 西遊補』(董若雨著 荒井健、大平桂一訳)
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時代・舞台1640年完成(中国・明)
読後に一言痛快爽快、何でもアリの大活劇でした。これが作者20歳の時の作品だというのですから……。
効用全16回の作品ですが、毎回末に記される著者自筆の可能性もある(評)は、皮肉たっぷりで読み応えがあります。
印象深い一節

名言
大いなる道(しんり)を悟るには、必ずやまず情の根を空と看破せねばならず、情の根を空と看破するには、まず情の内部に入り込まねばならない。(「『西遊補』答問」)
類書『水滸伝』の二次創作『水滸後伝(全3巻)』(東洋文庫58 ほか)
中国の講釈『中国講談選』(東洋文庫139)
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