1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
チベット問題は歴史の必然か? イタリア人が見たダライ・ラマ |
今年のノーベル平和賞は、政権と対峙してきたフィリピンとロシアの報道関係者が選ばれた。権力に媚びるか、それともおかしいと思ったら戦うか。マスコミ如何にかかわらず、人としてかくあるべきと思うがいかがだろうか。
この人もまた、戦い続けている人だろう。ダライ・ラマ14世。32年前のノーベル平和賞受賞者だ。
現在のチベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世は、〈中国人民解放軍のチベット占領にともない、59年インドに亡命、ダラムサラに中央チベット行政府(亡命政府)を樹立し〉今に至る(ジャパンナレッジ「現代用語の基礎知識」)。
いったいチベットの悲劇はどうして起こったのか。
本書『チベットの報告』は、18世紀の前半に10数年、チベットに滞在したイタリア人のイエズス会宣教師デシデリによる報告書である。それまで世界に知られていなかったチベットの自然、地誌、風俗などを描出した本書はそれだけで非常に貴重なのだが、チベットの混乱までも描いていて生々しい。
著者は、宣教師だけあって仏教=異教を忌み嫌っているので、差し引いて考えなければいけないが、ダライ・ラマ6世(1683~1706)に関するこの記述に仰天した。
〈大ラマ〔ダライ・ラマ〕は、チベット人の盲目的な崇拝、愚かな信仰のため、放蕩の若者となり、あらゆる非行癖をもち、まったく堕落しきって、救い難いものになっていた。チベットのラマや修行僧の宗教上の慣習を無視して、彼は頭髪に気をつかい、酒を飲み、賭けごとをはじめ、とうとう娘や人妻、美貌の男も女も、彼の見境のない不品行から逃れることはむずかしくなった〉
この時チベットは、モンゴルの一部族、オイラートの影響下にあったのだが、オイラートの王は、堕落したダライ・ラマを排除すべく殺害した、というのが著者の見立てだ。ここからは清も巻き込んでの混乱の極み。
そもそも「ダライ・ラマ」は〈1642年にチベットの主権者となったデープン寺住持の歴代転生者に対する俗称〉で(同「世界大百科事典」)、途中、〈アルタン・ハーン系の軍事力を頼みとして,その甥の子を新しい転生者に選〉んだというから(同上)、随分、きな臭い。〈実権継承の暗闘が続き,9世から12世までのダライ・ラマは夭折させられる難にあった〉(同上)とも。ようは暗殺されたということだろう。
14世を否定するつもりは毛頭ないが、チベットの歴史を紐解くと、最初から混乱の萌芽があったのである。
ジャンル | 宗教/記録 |
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時代・舞台 | 18世紀前半のチベット |
読後に一言 | 「現場で見た」という強みが、本書にはあります。 |
効用 | ダライ・ラマの輪廻転生の仕組みについても詳細に記述されています。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 先が見えない未熟な人間は、自分の手に痛みを感じても、摘み取りたくなった香りのよい赤いバラが棘で身を固めていることがわからない。(第三篇「チベットに広く流布する宗教の、誤謬と特異性について」『チベットの報告2』) |
類書 | 1920年代のチベット行『パリジェンヌのラサ旅行(全2巻)』(東洋文庫654、656) 仏人宣教師が見た18世紀の中国『イエズス会士中国書簡集(全6巻)』(東洋文庫175ほか) |
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