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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 228

『騎馬民族史 3 正史北狄伝』(羽田明、佐藤長、他訳注)

2021/12/09
アイコン画像    かつてチベット人が長安を占拠!?
中国の史書から見るチベットの姿

 チベットにどんな印象をお持ちだろうか。

〈一八世紀中ごろに清朝の宗主権下に置かれた。第二次世界大戦後、自治権を獲得したが、のちに反中国的暴動を起こして、ダライ‐ラマ一四世はインドに亡命、一九六五年チベット自治区となった〉(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」)

 チベットの独立は認められないまま、今に至る。悲劇の民族である。あまりにも非力だ。

 だが、本書収録の「吐蕃(とばん)伝」を読んでチベット族への印象が一変した。吐蕃とは、〈チベット人が初めて建てた王国に漢文史料が与えた名称〉(同「世界大百科事典」)である。

 「旧唐書吐蕃伝」は、634年からの吐蕃との関係史を記述するが、これが戦闘に明け暮れた記録なのである。唐が攻め入ったのではない。大抵、吐蕃から仕掛けている。


 〈(吐蕃軍は、中国側の)吐谷渾を撃った。吐谷渾は、これをくい止めることができず、青海の北に逃れてその鋒先を避け、その国の人民、牲畜はみな吐蕃に掠奪された〉


 もちろん、中国側の史書だけにバイアスはかかっているだろうが、非力なチベット人ではない。史実にいう。

 〈659年から(再び)唐と戦い始め、戦線を南詔から中央アジアまで広げ、8世紀後半以後優位にたった〉(同「ニッポニカ」「吐蕃」の項)

 むしろ大国・唐が押されている。763年には〈兵二十余万〉で唐を侵攻。中国の史書は〈吐蕃は[長安]城にいること十五日で退き〉と勝ったかのように書くが、字義通り受け止めれば、首都の長安の城が半月も占拠されたということである。唐側の事情もあった。唐は「安史の乱」(755~763)で疲弊していた。反乱は9年に及び、これにより〈唐朝の中央集権制度は破綻し、中国古代社会終末の転機となった〉(同「日本国語大辞典」)。吐蕃の隆盛は、これとリンクした動きだったのである。

 実はこの時期、アジアでは温暖化が始まっていたことが分かっている。日本でいうと奈良時代から気温が上昇し、平安時代は中世温暖期と呼ばれる安定した気候だった。すると何が起こるか。農業生産力はあがり、牧畜を主とする遊牧民にとってもプラスに働く。吐蕃の隆盛は気候とも繋がっていたのだ。かくして「吐蕃伝」は戦いの記録となった。権力争いで吐蕃は分裂し、弱体化していくが、あるいはこの時の恨みと恐れが、中国のチベット支配に繋がっているのかもしれない。



本を読む

『騎馬民族史 3 正史北狄伝』(羽田明、佐藤長、他訳注)
今週のカルテ
ジャンル歴史
時代・舞台7世紀~17世紀の中国、モンゴル、チベット)
読後に一言唐の衰えは日本にも影響を及ぼし、その後の遣唐使廃止にも繋がっていきます。歴史は繋がっているのですね。
効用他に「韃靼(だったん)」、「瓦剌(オイラット)」などの歴史を載せる。
印象深い一節

名言
西戎の地では吐蕃が強力で、隣国を蚕食し、中国の領域を鷹飛した。たちまちのうちに叛き、たちまちのうちに服従する。あるいは柔軟であり、あるいは緊張する。礼儀は摂取しているが、その心は犲狼のようである。(「旧唐書吐蕃伝下」)
類書イタリア人が見た18世紀前半のチベット『チベットの報告(全2巻)』(東洋文庫542、543)
フランス人が見た20世紀前半のチベット『パリジェンヌのラサ旅行全2巻)』(東洋文庫654、656)
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