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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

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『韃靼漂流記』(園田一亀著)

2021/12/16
アイコン画像    中国の歴史の変わり目に
居合わせた日本人の記録

 その頃、イギリスはピューリタン革命(1640~60)の真っ只中にあり、ミルトンは「言論の自由」を声高に叫んだ。フランスではルイ14世が即位し(1643)、日本では宮本武蔵が『五輪書』(1645頃)と格闘した。その頃、中国でもまた混乱の時期にあった。中国東北部(満州)を統一した清が北京に遷都し、明に替わって中国の征服王朝となった。それが1644年のこと。

 ちょうどその時、寛永21年(1644)4月、越前の商人・竹内藤右衛門ら58名を乗せた船3艘が出帆し、蝦夷松前へと向かっていた。ところが〈途中暴風雨にあい、今日のソ連(ロシア)沿海州ポシェット湾付近に漂着〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」)してしまう。

 そこは、江戸時代の日本人が韃靼と呼んでいた場所だった。沖合に漂着・停泊していた日本船に小舟に乗った地元民が寄ってきた。竹内らは地元民に酒や食事を与えると、彼らは小舟から朝鮮人参を持ってきて、料理鍋との交換を望んだので応じた。当時、朝鮮人参は高価で、〈身分不相応のことをしたりして身を滅ぼすことのたとえ〉として〈人参飲んで首縊る〉という諺ができたほど(同「デジタル大辞泉」)。竹内らはそこに目を付けた。人参が生えている場所に案内してくれ、と頼んだのだ。さあ、どうなったか。


 〈日本の者どもを取籠(とりこめ)、弓にて射ころし申候(もうしそうろう)〉


 44人中、31人は矢で殺され、萱原(かやはら)に隠れた13人だけが命拾い。船の留守役では船頭の国田兵右衛門と14歳の少年の2人を除いて惨殺され、残ったのは計15人。彼らは捕虜となり、清の都へと送られることになる。

 本書『韃靼漂流記』は、江戸時代の記録を翻刻し、かつ著者の研究を付加したものである。著者はこの事件を〈日本人誘殺を企て其の好餌として人蔘を用ひ、殺人強盗を密謀せるものと認むる〉と断じるが、はたしてそうか。本書は昭和14年、しかも満州の地で書かれたものである。満州の人々は残忍であり、ゆえに日本が統治するのは当然だという認識が背景にあったのではないか。

 生き延びた15人の韃靼→清・北京→朝鮮→日本、という道中が、本書のいちばんの読みどころだ。彼らは万里の長城をこの目で見、新しく誕生したばかりの清朝を体験する。例えば万里の長城の記述。


 〈韃靼と大明との国境に、石垣を築申候。万里在候よし申候。高さは拾二三間ほどに見へ申候〉


 彼らは道中、歌を披露しては喜ばれ、遭難から1年9か月後に日本に戻ってくる。彼らは清朝をこの目で見た、初めての日本人だった。



本を読む

『韃靼漂流記』(園田一亀著)
今週のカルテ
ジャンル記録/評論
時代・舞台1600年代前半のロシア、中国、北朝鮮、韓国、日本(研究書は1939年刊行)
読後に一言江戸時代、漂流体験をした人は少なくなかったようです。歴史に埋もれた人たちもたくさんいるのでしょう。
効用清朝の人々の風俗なども細かく描かれ、当時の様子がありありと伝わって来ます。
印象深い一節

名言
(韃靼漂流記原書の)記述の体裁は簡潔率直、実際の体験談だけに傾聴に値するものあり、その史的価値も少小ではない。(第一章「解題」)
類書江戸時代のハワイへの漂流記録『蕃談』(東洋文庫39)
漂流して米国船に救われた彦蔵の半生『アメリカ彦蔵自伝(全2巻)』(東洋文庫13、22)
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