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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 557、559

『支那史学史1、2』(内藤湖南著)

2022/01/13
アイコン画像    「歴史」は司馬遷が作った?
『史記』が語る歴史の動き

 年末年始にかけて『外は、良寛。』(松岡正剛/講談社文芸文庫)をダラダラ読んでいたのですが、そこにこんな記述があって手が止まりました。

 〈司馬遷が創造した文体は紀伝体というもので、これは日本をふくむアジアの漢字文化圏のすべての領域の歴史記述の方法となっています。つまり、この文体が、ということは書記法そのものが、アジアの「歴史」を生んだのです〉

 では紀伝体とは? 端的にいえば、〈本紀(ほんぎ)(帝王の年代記)・列伝(臣下の伝記)・志(社会の現象)・表(年表や系譜など)〉から成り、〈本紀と列伝が中心〉なのでこの名が付きました(ジャパンナレッジ「デジタル大辞泉」)。紀伝体は〈「史記」にはじまり、中国ではこれが正史の体例〉(同「日本国語大辞典」)となります。

 というわけで、内藤湖南(1866~1934)に登場いただきます。ジャーナリスト出身の湖南は、40歳で中国史学に進んだ東洋史学者で、〈道学臭を脱却した清新な学風を創始し,多くの人材を輩出せしめた〉(同「世界大百科事典」)人物です。本書『支那史学史』は、大学の講義をまとめたものですが、鋭く斬り込みつつ、中国の史書の流れを俯瞰しています。

 本書の中で湖南は司馬遷の『史記』をこう評価します。


 〈従来の目的なき種々の記録、即ち官師の必要より書かれた記録、それが一転して諸子百家になつた著述が、全くその性質を変じ、事実上今日吾人の認めるやうな歴史となつたのである〉


 どういうことでしょう? つまり司馬遷の目の前にはバラバラの情報があった。それを年代記(本紀)、表(年表)、伝記(列伝)、社会のできごと(志)など、ジャンル別に分類し、体系的にまとめ直した、ということです。

 〈(『史記』は)当時の中国を中心として,知られていたかぎりのすべての世界にわたる全歴史過程を総合的,体系的に叙述したもので,当時の中国人から見た最初の世界史といってよい〉(同「世界大百科事典」)

 情報=歴史をどう見るか。司馬遷はそれを形にしたといっていいでしょう。〈この史記が出来てから以後、支那では殆どそれ以上の歴史は出来なかつた〉と湖南がいうのは、つまりそういうことです。歴史があるのではなく、記す方法が創造されて歴史が生まれた、といえるでしょう。どう見るか。どう記すか。「歴史」が運動体のように思えてきました。



本を読む

『支那史学史1、2』(内藤湖南著)
今週のカルテ
ジャンル歴史/評論
時代・舞台大正時代の日本(大学講義)
読後に一言最近、日本語の起源が北東アジアの西遼河周辺地域にあることを知り、驚いています。「歴史」は日々変化していきます。
効用古代から清朝にいたるまでの中国の史書を論じます。大正時代の名講義です。
印象深い一節

名言
初め史記・漢書・三国志の間は、歴史を書く方法として、材料の取扱ひ方に一定の主義があつた。それは多く材料をそのまま歴史に書き込む方法である。(附録「支那史学史概要」)
類書中国思想を代表する儒教の基本書を論ず『四書五経』(東洋文庫44)
正史「漢書」の「志」3編『漢書 食貨・地理・溝洫志』(東洋文庫488)
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