1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
中国人哲学者の目から見た 激動の近代中国の歴史 |
中国とはいかなる国か。答えの出ない「問い」ではあるが、あるひとりの中国人哲学者の人生を追うことで、冬期五輪を控えた中国のことを考えてみたい。
馮友蘭(ふうゆうらん/フォンユーラン、1895~1990)は、〈中国の新儒家,哲学史家〉である。〈渡米してコロンビア大学大学院で博士号を取得〉(ジャパンナレッジ「岩波 世界人名大辞典」)したのは、盧溝橋事件の10数年前のことだ。帰国後は、燕京大学や清華大学などで哲学を教える。馮が興味深いのは、彼が清末期に生まれていることだ。そして青春時代に中華民国の誕生を目撃し、20代でアメリカに留学する。
〈相互を比較してみたが、かいつまんでいえば中国は「官国」、アメリカは「商国」だった〉
この分析は今なお有効だ。「官国」と「商国」という立ち位置の根本的違いが、今に続く軋轢の原因かもしれない。
日中戦争が始まった当時、馮はすでに第一級の知識人だった。蒋介石とも毛沢東も一緒に食事をする関係にあった、ということは強調しておいてもいいだろう。
日本が敗戦し、中国は解放される。しかしすぐに国民政府と共産党とでの内乱が始まる。逃げ惑う人々の中にあって、馮には泰然自若としていた。彼には自負があった。
〈共産党が政権を取っても、やはり中国の建設に取り組むはずだ。知識人はきっと役に立つ〉
馮のスタンスはわかりやすい。〈どんな党派が政権を握るにせよ、中国をしっかり治めてさえくれれば私はそれを擁護するという考え〉だった。このパトリオシズム(祖国愛)の感情は、日本人には掴みづらいかも知れない。
1949年10月、馮は毛沢東と初めて接している。馮は、毛沢東に手紙で共産党に協力すると誓っていた。本書もその延長線上にあるので、著者がどこまで本心を語っているかはわからない。例えば、〈毛(沢東)主席と党中央は私より正しいに違いないと思っていた〉は本心かどうか。だが〈中国共産党による全中国の解放は、中国の勤労大衆を解放しただけでなく、全中国人を解放したのである〉と馮は高らかに記す。自身は、文化大革命に巻き込まれ、批判の波にさらされる。そこから抜け出すため、〈私は自己批判するたびに一歩前進できたと思った〉とまで、頭を垂れた。
馮の変節を批判するのは容易い。だが、こうした情けない姿を書くことこそ、彼の矜持か。そして何より、「中国をしっかり治めてさえくれれば私はそれを擁護する」という、国をいただく馮の感情に、私は中国人の強さの一端を見た。
ジャンル | 伝記/思想/随筆 |
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時代・舞台 | 1890年代~1970年代の中国 |
読後に一言 | 〈改造を受け入れるのと同時にちやほやされたため、うれしいと思う気持ちも確かにあった〉、〈(自分の行動は)大衆に迎合して歓心を買うものだった〉と書ける著者の強さよ。 |
効用 | 中国の知識人の見た、近代中国の歩みです。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 本書に述べる時代は十九世紀の九十年代から二十世紀の八十年代に至る、中国の歴史が急激な発展をみた時期である。その壮大な波乱、特異な変転は、それまでの歴史にはなかったものである。(『自序』の自序) |
類書 | 米国で学んだ中国の改革運動家の自伝『西学東漸記』(東洋文庫136) 著者も目撃した国の転換『辛亥革命見聞記』(東洋文庫165) |
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(2024年5月時点)