1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
いまだ成し遂げていない、 と言い切る中国の強さ |
最近、日本に住む中国出身者と話をしていて「現代化」という言葉が飛び出して「おや?」となった。中国は現代化に向かっている、という文脈で飛び出したのだが、見方を変えれば「中国はいまだ現代化されていない」と取れるからだ。
気になって調べてみると、習近平主席がたびたび「現代化」という言葉を口にしていることがわかった。
「2035年までに東の大国(中国)が現代化の世界地図を塗り替える。社会主義大国が現代化を基本的に実現すれば、人類に全く新しい選択を提供することになる」(朝日新聞デジタル2021年11月11日)
「現代化」という概念は、1975年、周恩来によって〈四つの現代化〉として提案された。その4つとは、〈農業・工業・国防・科学技術〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)である。
本書『馮友蘭自伝2』にも、この「現代化」という言葉が、まるで未来を示す指針のように登場する。
〈将来、中国の現代化が成功すれば、中国は世界で最も古く、しかも最も新しい国になるだろう〉
著者の馮友蘭にとって、これは切実だった。彼は「古い」ものを多く扱う哲学史家である。だが現代化によって〈新旧が接合すれば、古いものにも生命力が宿り、(中略)新しいものにも中国固有の民族的特色がそなわる。新が旧を引継げば、歴史が長いぶんだけ古い中華民族の文化も新たな光を放つ〉。
馮が新旧の接合に夢を抱いたのは他でもない。本書の自伝を読む限り、馮は哲学においても接合を試みてきた。東と西の接合だ。西洋哲学がアジアにもたらされた当時、東洋は「精神文明」、西洋は「物質文明」とされた。日本の「和魂洋才」もこの流れにある。馮は〈内向(精神文明)と外向(物質文明)という二つの思考的対立は東洋と西洋の対立ではない〉と看破した。本書は、自身の思想的遍歴を追っているのだが、いうなれば、東西の接合を試みたといえよう。そしてそれができた、と馮自身は考えていたはずだ。ゆえに、今度は縦軸――新旧を接合しようとした。そして世界で最も古い歴史を持つことは彼らの誇りであり、いまだ新しい国になっていない、というのは、むしろ希望なのだろう。
「現代化」という単語に、中国人の持つひとつの共通性も見えてくる。彼らの強さは「いまだ成し遂げていない」と思えることだったのだ。自伝の最後に著者は詩を記す。
〈江山 代わるがわる才人の出づる有り/各おの風騒を領(ひき)いること数百年ならん〔中国の山河はすぐれた才能ある人間を輩出してきた。今後の数百年、それぞれが各分野で先頭を切っていくことだろう〕〉
ジャンル | 伝記/思想/随筆 |
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時代・舞台 | 1920年代~1980年代の中国 |
読後に一言 | では「現代化」とは何なのか。結局、技術革新を指しているようにも見え、進歩史観に毒されているようにも思えるのだが、さて。 |
効用 | 東西の哲学の邂逅は、日本でも起こったこと。日中を比較して読むと、さらに面白さが増す。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 歴史の展開の中にあって、我々は過去を復活させることも、過去を取り消すこともできない。我々にできるのは、過去を継続することだけである。現在には過去の歴史が含まれている。(第五章「三十年代」) |
類書 | 時代を生きた文学者・魯迅の伝記『魯迅 その文学と革命』(東洋文庫47) 同時代を生きたアナーキスト・景梅九の伝記『留日回顧』(東洋文庫81) |
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