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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 373

『東洋遍歴記3』(メンデス・ピント著 岡村多希子訳)

2022/03/03
アイコン画像    あのザビエルにも出会っていた!
ピントの大冒険完結編

 メンデス・ピントは、大航海時代の16世紀をたしかに生きています。虚実ない交ぜの部分はありますが、それは捏造ではなく、彼が知り得たことを、自分ごととして記したということなのでしょう。そしてこのような驚く人物とも会っているのです。

 その人物を、ピントはこのように記します。


 〈我らの主なる神が彼を介して行なった奇跡のために、(マラッカの)全住民から聖者という偉大な名で呼ばれていた〉


 その名は、メストレ・フランシスコ・シャビエル師。「シャビエル」とは、〈日本に初めてキリシタン宗門を伝えた〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)、あのフランシスコ・ザビエルのことです。

 ザビエルの日本行きは、鹿児島出身のヤジロウ(アンジロウ)との出会いが大きかったといわれていますが、この二人を引き合わせたのも、本書いわくピントです。ピントはザビエルの日本での布教に協力します(最初の教会建設費用を用立てています)。

 ザビエルは、日本での布教のあと、いったんインドに戻り、続いて中国での布教を目論みますが、中国への上陸寸前、〈広東(カントン)沖のサンショアン島で病死〉(同前)してしまいます。遺体は島に、いったん埋葬されますが、3か月後、遺体をマレーシアのマラッカに運ぶべく、墓を開いたところ……。


 〈遺体はそっくり完全な形をとどめ、少しの腐敗も欠損もなく(中略)石鹸で洗ったかのように清潔で純白であり、芳しい香りを放っていた〉

 ピントはザビエルの死の1年半後、ゴア(インド)で師の遺体と対面します。遺体は損なわれておらず、やはり芳香を放っていたのでした。ピントはこの奇跡を目の当たりにし、敬虔なキリスト教徒になっていきます。稼いだ財産を、日本布教資金として提供したのでした。

 1558年9月、ピントは21年振りに母国ポルトガルに戻ってきます。ピントは、これまでの航海が国王への奉仕だと信じており、〈恩賞にあずかれるであろうと信じ込んで〉いましたが、その願いは却下。ピントはその後、本書を書くに至ります。

 本書に、〈東洋での、同胞の行為に対する著者の隠しきれない批判〉(同「ニッポニカ」「ピント」の項)が散見するのは、この時の失意が込められているのかもしれません。



本を読む

『東洋遍歴記3』(メンデス・ピント著 岡村多希子訳)
今週のカルテ
ジャンル紀行/文学
時代・舞台1500年代中頃の日本、タイ、マレーシア、インド、中国
読後に一言「東洋遍歴記」よみときはこれにて完結。実際の出来事にしろ、空想にしろ、ピントは「冒険」という名の物語を紡いだのでしょう。
効用ザビエルの最後のシーンです↓
印象深い一節

名言
ついに十字架を手に取り、それにじっと目を注ぎ、ただときどき溜息をつくように「我が魂のイエス」というのが聞えるだけになった。(中略)十字架をじっと見つめながら、ちょっと激しく涙を流して泣くのが見えた。(第二百十五章)
類書サビエルの思考をたどれる『聖フランシスコ・ザビエル全書簡(全4巻)』(東洋文庫579ほか)
宣教師が見た戦国時代の日本『日本巡察記』(東洋文庫229)
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