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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 721

『太平記秘伝理尽鈔2』(今井正之助、加美宏、長坂成行校注)

2022/03/31
アイコン画像    地の利と知恵があれば
大軍にだって負けない

 『太平記』の主役といえば、この人、南北朝時代の武将・楠木正成です。前回は源頼朝や北条義時の話に終始しましたので、今回は、主役にご登場願いましょう。

 〈後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐計画に参加。河内赤坂城、のち千早城に拠り、巧みな兵法と知略で幕府の大軍を防ぐ〉(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」)

 この千早城(ちはやじょう、本書では「千剣破城」)での戦いこそ、江戸から戦前にかけての「軍事・政治の天才」というイメージを創った出来事でした。

 そもそもの始まりは、後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐計画にありました。後醍醐天皇は、〈王政復古を志して討幕を計画したが、正中の変(一三二四)、元弘の変(一三三一)の両度ともに失敗して隠岐に流された〉(同前)のですが、この幕府討伐計画に応じたのが楠木正成でした。

 千早城は、正成が1332年に現在の大阪府に築いた山城です。〈千早川最上流域千早の金剛山に連なる標高六三〇~六七〇メートルの尾根上にあり、四周は深さ二五〇メートルに近い谷に囲まれた要害〉(同「国史大辞典」)でした。

 本書によれば、この城を幕府軍の〈百万騎〉の大軍が包囲します。一方、楠木軍は〈千騎にたらぬ小勢〉。絶体絶命です。さあ正成はどうしたか。


(1)忍びによる情報収集

 〈楠が忍びの兵百余人、少しも能(よ)き事を聞き出し……〉

 正成は敵陣の情報収集に努め、成果を挙げた者には褒賞を与えます。「情報」に重きを置いていたのですね。


(2)藁人形作戦

 〈藁(わら)にて人形(ヒトがた)を作て寄せ手を討(ウチ)し事〉

 正成の籠城戦に対し、寄せ手の幕府軍は、兵糧攻めを敢行します。それに対し正成は藁人形を城の外に置きます。さては食う物もなく討って出たかと攻め込む幕府軍。正常バイアスですね。待ち構えていた楠木軍は上から大石を落とし、攻め手はジエンド。


 攻城戦は3か月に及びましたが、正成は大木落としなど他にも様々な策を講じ、幕府軍は、〈地の利を徹底的にいかした正成の奇策に翻弄され、死傷者の数を積むばかりであった〉(同前)。そうこうしているうちに各地で倒幕の挙兵。鎌倉幕府は倒れ、〈攻城軍も囲みを解き敗走〉(同前)となりました。

 楠木正成が智将の名をほしいままにした瞬間でした。

本を読む

『太平記秘伝理尽鈔2』(今井正之助、加美宏、長坂成行校注)
今週のカルテ
ジャンル文学/歴史
時代・舞台16世紀末~17世紀初頭頃に成立/日本
読後に一言ジャパンナレッジの「新編日本古典文学全集」には『太平記』も収録されています。本書と比較して読むのもオススメです。
効用楠木正成が後世、崇められていった理由もうかがい知れます。
印象深い一節

名言
凡そ賢きは腹を立ていかる事なし。腹をたつるは愚人の所為(しょい)〈所謂(ゆへ)〉なり。(『太平記秘伝理尽鈔巻第七』「千剣破城軍事」)
類書楠木正成や後醍醐天皇のエピソードも紹介する『改訂 京都民俗志』(東洋文庫129)
足利政権の正当性を主張する軍記物『源威集』(東洋文庫607)
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