1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
楠木正成が「五銭札」に なった理由とは? |
皇居外苑の一角に、馬に跨がった武者の銅像があります。台座も含めれば高さ約8m、像だけで約4m。「楠木正成像」です。頭部を高村光雲が担当し、1891年から10年の歳月を掛けて完成させました。この像、〈上野公園の西郷隆盛像、靖國神社の大村益次郎像と共に「東京の三大銅像」の一つ〉なんだそうです(千代田区観光協会web「VISIT CHIYODA」より)。
この銅像は、戦中、お札の絵柄として利用されています。それが「五銭札」。〈明治維新以後の紙幣として最低額のもので、昭和一九年(一九四四)一一月はじめて発行され〉ました(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」)。
5銭は硬貨じゃないの? と思われるかもしれませんが、日中戦争以降、国内の金属資材が不足し、政府は法律を改正してまで、硬貨を紙幣に切り替えたのでした。
差し迫った昭和19年、なぜ政府は五銭札に楠木正成を採用したのでしょうか。「世界大百科事典」の「楠木正成」の項で、歴史家の網野善彦がこう論じています。
〈《太平記》の描く正成像はその普及とともに,強い影響を与えた。室町期から江戸初期にかけて,楠木流の兵法,政道に関する多くの書物や,〈非理法権天〉の法諺を正成の軍旗に結びつける説なども現れ,由井正雪は楠木流兵法を唱え,正成・正行にかかわる偽文書も盛んに作られた。一方,儒学者により正成は忠孝の臣とされ,とくに水戸学は南朝正統論と結びつけて,正成を称揚,崇拝の対象とした。明治以後,敗戦までの正成像は,その流れを汲んだ虚像であり,戦後,ようやく正確な実像が追究されるようになった〉
では『太平記』はどれほどの影響が? 試しに、ジャパンナレッジPersonalで「全文検索」をかけてみました。ヒット数が多い=影響力大、という仮説が成り立つのでは? というちょっとしたお遊びです。すると『源氏物語』よりも『平家物語』よりも『古事記』よりも多かったのです(2022年4月1日現在、ヒット数16374 件)。まだ『太平記』よりヒットした物語は見つかっていません。
では「虚像」とは? このひと言に集約されます。
〈楠(木正成)智謀最賢(いとかしこ)し〉
また後醍醐天皇は、〈楠(木正成)が忠は今に始ざる事なれ共~〉と正成を評しています。智謀と忠義さえあれば大軍にも勝てる。それは戦中、信仰まで高まり、現実を見えなくさせてしまったのかもしれません。
ジャンル | 文学/歴史 |
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時代・舞台 | 16世紀末~17世紀初頭頃に成立/日本 |
読後に一言 | 思いつく限り「物語」系をジャパンナレッジPersonalで全文検索にかけてみたのですが、これがベスト5でした。(2022年4月1日現在) 1.『太平記』16374件 2.『源氏物語』15711件 3.『日本書紀』12753件 4.『聖書』11504件 5.『平家物語』10872件 『今昔物語』も『古事記』も『竹取物語』も(ついでに『枕草子』も『三国志』も)1万に遠く及びませんでした。 |
効用 | 本書のクライマックスは、楠木正成の自害シーン。4巻で正成退場です。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 〈是〉顕露(けんろ)の鈔に非ず(『理尽鈔』は世間に披露する書物ではない。(中略))。弟子の外に伝ふべからず。太平記の奥旨を顕はせる抄なれば也。(『太平記評判秘伝理尽抄巻第十二』「西国蜂起官軍進発事」) |
類書 | 室町時代後期の歴史物語『室町殿物語(全2巻)』(東洋文庫380、384) 本シリーズの続き『太平記秘伝理尽鈔5』(東洋文庫902)※ジャパンナレッジ未収録、以下続刊 |
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(2024年5月時点)