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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 110

『モンゴル帝国史1』(ドーソン著 佐口透訳注)

2022/04/21
アイコン画像    約800年前に起きた
ウクライナの惨劇とは

 ウクライナのことを調べていて、ある歴史的事実の記載に目が止まりました。

 〈現在のウクライナ人の歴史の出発点は、紀元後4~7世紀にドニエプル川沿いの中央地帯に東スラブ族が入り、9世紀にキエフを中心とするキエフ・ルーシ(キエフ大公国)が出現してからである。この国家は、ギリシア正教とビザンティン文化を取り入れて栄えたが、13世紀初めモンゴルの侵入によって崩壊し、これ以後、東スラブ族はロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人に分かれることになった〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)

 注目したのはここです。「13世紀初めモンゴルの侵入によって崩壊」。どういうことなのでしょう?

 「モンゴル」とはモンゴル帝国、〈1206年チンギス・ハンが創建したモンゴル民族支配の帝国〉(同前)のことです。このモンゴル帝国の歴史を詳述したのが、本書『モンゴル帝国史』です。著者は、〈アルメニア系のスウェーデン国外交官,歴史家〉であるドーソン(1779-1851)。〈ペルシア,アラビア,トルコ,シリアその他十数ヵ国語に通じ,これらの言語で書かれた根本史料を,精密な考証を加えて駆使し〉(同「世界大百科事典」)たことで、この大著が完成しました。

 本書によれば、チンギス・ハン(本書では「チンギス・カン」)がモンゴル諸部族連合の長になったのが12世紀末のこと。サラディン(クルド族、エジプト・アイユーブ朝創始者)が十字軍を破り、エルサレムを解放したのが1187年。壇ノ浦の合戦で平氏が滅んだのは1185年。俯瞰すればこの当時、世界中で戦争が起きていたのです。

 1223年、ウクライナ東部ドネツク州のあたりで、キエフ・ルーシとモンゴルが戦います。

 〈キエフ公は三日間、勇敢に防戦したが、次いでモンゴルの第二部隊が再び来るのを見て、降伏することしか考えず〉、身代金との引き換えに命乞いします。〈モンゴルの将軍は誓約を立ててこれらの条件を裁可したが、ルーシが降伏するやいなや、ことごとくこれを虐殺した。三人の王公は時間をかけて殺されるという屈辱的な死刑を受けた〉。なんと〈かれらを板の下に横臥させ、その板の上にモンゴル兵が坐して宴を開いて戦勝を祝した〉のでした。今から800年前も、ウクライナでは虐殺が行われていたのでした。しかも降伏したというのに!

 この時、キエフ・ルーシは崩壊し、今に至るのです。

本を読む

『モンゴル帝国史1』(ドーソン著 佐口透訳注)
今週のカルテ
ジャンル歴史
成立・舞台1100代~1200年代のモンゴル、中国、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギス、アフガニスタン、ロシア、ウクライナ、ジョージア、アゼルバイジャン、トルコ、イランなど
読後に一言「世界大百科事典」によれば、〈彼(チンギス・ハーン)やモンゴル人が狩猟と戦争を同一視し,狩猟で多くの獲物を殺すことと戦争で多くの人を殺すことを同じものとみなしていた〉のだそうです。獲物=捕虜に、人格など認めていなかったのでしょう。
効用モンゴル帝国のおこりから、拡大の歴史が語られます。
印象深い一節

名言
(モンゴル帝国によって)いくたの大帝国は崩壊し、いくたの旧王朝は滅び、いくたの国民は姿を消し、あるものはほとんど絶滅し、モンゴル族の足跡の印するところ、いずこも眼にうつるものはただ廃墟と人間の骸骨のみであった。(「序論」)
類書モンゴルに語り継がれた伝説の数々『オルドス口碑集』(東洋文庫59)
ユーラシア大陸の騎馬民族の歴史『騎馬民族史(全3巻)』(東洋文庫197ほか)
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