1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
当時最大の機動力と統制で モンゴル帝国は覇者へ |
いまのロシアの版図をみるにつけ、かつての「モンゴル帝国」の影響を感じざるを得ません。ウクライナを巡るニュースでも「モンゴル帝国」の名をチラチラ見かけるようになりました。では彼の帝国の特徴はなんだったのでしょう。
本書『モンゴル帝国史2』では、一章を割いて、建国者チンギス・カン(「ハン」とも)の人物像を描いています。
その中の「チンギス・カンが戦争において卓越していた理由」を描出してみましょう。
〈輝かしい勝利はその意志の強固さ、天分の豊かさ、あらゆる手段の無差別行使によるものであった〉
「あらゆる手段の無差別行使」というのがポイントで、これによって〈恐怖心を広め〉、〈攻撃を受けた人民をしてみずからを防衛する勇気を失わせた〉のでした。
モンゴル帝国の特徴は、「騎馬」ですが、これは〈蒸気機関の発明以前における最大の機動力〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」「騎馬民族」の項)でした。さらにチンギス・カンは、〈能力に応じて臣下を任用する配慮〉をしていました。〈よく十人を指揮するものはこれに千人委せることができる〉というのが、彼の考えだったのです。
〈氏族的共同体を解体して、軍事組織に基づく千戸とよばれる遊牧民集団を95個編成した。千戸およびその下の百戸は同時に行政単位でもあり、千戸長、百戸長には功臣を任命して、これらを左翼、中軍、右翼の万戸長の指揮下に置いた〉(同「チンギス・ハン」の項)
さらに敵に攻め込むだけでなく〈敵と内通することに心を配り〉、戦闘では〈最も危険な場面〉の〈陣頭〉に〈捕虜と援兵〉を立たせました。これは内在する敵の力を削ぐ効果もありました。
また彼は〈法令〉を定め、厳守させました。
〈重要な事件がおこるごとに、諸王は協議するために集まり、チンギス・カンの命令を記録した巻物を持ってこさせ、恭しくこれをひもといて参照した〉
この法令の中で強く勧めたのが「狩猟」です。チンギス・カンはこれを〈戦士の学校〉と呼び、〈モンゴル族は人間に対し戦争をしないときは動物に対して戦うべきである〉としました。
モンゴル帝国は、騎馬の機動力と、よく訓練されかつ法規を遵守する軍隊によって、周辺諸国を次々と滅ぼしていったのです。
ジャンル | 歴史 |
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成立・舞台 | 1200年代のモンゴル、中国、カザフスタン、ロシア、ウクライナ、モルドバ、ルーマニア、ブルガリア、セルビア、クロアチア、ハンガリー、ポーランド、イラン、トルコなど |
読後に一言 | 彼はモンゴル族を優秀な狩人=戦士に仕立て上げ、強大な帝国を創り上げたのでした。チンギス・カンにとっては、戦争もまた「狩猟」だったのでしょうか。 |
効用 | 本書では、チンギス・カンの最期も描かれます。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 戦士は平時においては人民の間にあって仔牛のように温厚、静穏でなければならぬが、しかし、戦争に際しては飢えた灰鷹がその餌食に向かって直下するように、敵に向かって襲いかからねばならぬ(第一篇「第十章」) |
類書 | チンギス・カンの伝説『モンゴル秘史 チンギス・カン物語(全3巻)』(東洋文庫163ほか) モンゴルの英雄譚『ゲセル・ハーン物語』(東洋文庫566) |
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(2024年5月時点)