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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 32|56

『太平天国3、4 李秀成の幕下にありて』(リンドレー著 増井経夫、今村与志雄訳)

2022/06/16
アイコン画像    最新兵器によって人々が死ぬ
これが戦争の現実だ

 「ゲームチェンジャー」という言葉が、最近、ニュースで頻繁に聞かれるようになりました。M777(榴弾砲)、MLRS(多連装ロケットシステム)、HIMARS(高機動ロケット砲システム)……。新しい兵器が米国からウクライナに供与されるたびに、したり顔の識者は「この兵器は、ゲームチェンジャーになり得る」というのです。

 〈ゲームチェンジャー, 試合の流れを一変させてしまう[一気に形勢を逆転する]選手, 情勢[状況, 形勢]をがらりと変えてしまう人[企業, 商品, 考え, 出来事, 物事], 常識を覆す[大きな転換/転機, 大変革をもたらす]もの〉(ジャパンナレッジ「ビジネス技術実用英語大辞典V6」「game changer, game-changer」の項)

 正直なことを申せば、このニュースに、「これでロシア兵を押し返せ!」と思ってしまう自分がいます。ですが、殺戮兵器に喝采すること自体、何かが壊れています。

 私たちは太平天国という革命政府が、清と西側諸国の連合軍に滅ぼされたことを知っています。全4巻の『太平天国』も巻が進むにつれ、壮絶になっていきます。

 著者リンドレーは、〈戦闘の全光景は一幅の忘れられない絵をなしていた〉と記します。〈砲火の閃めき〉〈渦を巻く砲煙〉。〈艫(とも)を連ね〉た砲艦が、〈秩序正しく砲火を開く〉様子を、砲撃されているにも拘わらず、リンドレーは〈はなやか〉と形容します。最新兵器の攻撃は一種の美しさがあるのでしょう。一方で、太平軍は飢えと疲労に苦しみながら退却を続けます。


 〈骸骨さながらの人々のなかに断え間なくたたきこまれる砲弾の恐ろしい「炸裂の音」。ぎっしり密集しているため、人々は後ろから押されるままに江に落ち、江水に流されていった。身動きひとつ出来ないまま一千隻以上の砲艇から浴びせられる死に直面した人々。精も根も尽きはて生存者が弾にあたった戦友のずたずたに裂かれた死体の中から身をもがいて出ようと努める緩慢な動作はまことに見るに忍びない光景であった〉


 善悪や正義や国際法を超越して、ここに描かれているのは「戦争」という名の虐殺です。太平天国の「敗戦」を描いた本書は、そのことを教えてくれるのでした。

 命の助かったリンドレーは、病気で太平軍離脱。本国イギリスに戻り、真実を伝えるべく本書を執筆します。氏によれば〈イギリスの干渉によって殺され、破壊された太平軍の人々の総数〉は、287万2550人だそうです。


本を読む

『太平天国3、4 李秀成の幕下にありて』(リンドレー著 増井経夫、今村与志雄訳)
今週のカルテ
ジャンル歴史/記録
成立・舞台19世紀半ばの中国(清)
読後に一言どちらの側に立とうが、死者のいない戦争はない。そんな単純なことを、あらためて本書に学びました。
効用冒険や恋愛を織り込み、冒険小説風のところもありますが、「太平天国」の一員として、内側からこの戦争の様子を描いたという点で、他に類するものはありません。
印象深い一節

名言
(腐りきった悪徳役人とその配下の兵士たちに襲われ、死を覚悟した時)私は突如、太平天国の運動に対する燃えるような熱情を感じた。このためなればこそ、私は危険に身を投じた。もし死がどうしても、避けられぬのなら、中国人の暴徒の前で一個のイギリス人たるにふさわしい態度で死ぬ決心をしたのであった。(3巻「第十五章」)
類書フランス人社会学者が目撃した清の終焉『辛亥革命見聞記』(東洋文庫165)
イギリス人ジャーナリストが体験した同時期の日本『ヤング・ジャパン(全3巻)』(東洋文庫156ほか)
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