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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 114|125

『義経記』(佐藤謙三・小林弘邦訳)

2011/12/01
アイコン画像    現代語訳でよみがえる軍記物『義経記』。
ここから浮かび上がってくる平清盛像とは?

 平清盛が権力を握ったきっかけとなったのは、平治の乱の勝利だ。平治元年12月の出来事だから、いまから850年ほど前の事件だ(興味のある方は、ジャパンナレッジの「新編日本古典文学全集」で「平治物語」原文をお読みください)。ご存じの通り、これによってライバル源義朝は死に、その息子の頼朝(三男)は流罪となり、義経(九男)は鞍馬寺へ。

 で、その後、助けたこの頼朝・義経兄弟に平家は滅ぼされるのだが、ではなぜ清盛は二人を助けたのか。頼朝は、清盛継母の池禅尼の嘆願だから仕方ないとしても、義経の方は、義経の母・常盤御前がわが子の助命を清盛に請うたからだった。東洋文庫にある現代語訳の『義経記』で、このシーンをみてみよう。

 常盤御前はわが子を連れて、清盛の前に出る。老いた母が平家に捕まってしまったため、その母を助けようと泣く泣く出てきたのであった。すると清盛。


 〈平清盛は、常盤をひと目見て、それまで常盤のことを火焙りの刑にも水責めの刑にもしてやろうと思っていたが、激怒していたその心も今は急に解けてしまった。なにしろ常盤という女は日本一の美人だった〉


 やにさがる清盛の顔が目に浮かぶ。


 〈清盛は常盤の美貌に心を奪われ、自分にさえなびくならば、たとえ将来、この源氏の子供達が、自分の子孫のどんな敵にもなるならばなってもよい、この三人の子供の命を助けてやろう、と思った〉


 で、清盛はラブレター攻撃を続け、ついには常盤御前も、〈清盛の言葉に従って、愛してもいない人との新しい生活に入った〉のだという(しかも清盛との間に女児をもうけたという)。

 だが待てよ、と思う。『義経記』は室町時代に成立した物語。源氏系の足利政権の時代だ。勢い見方は、清盛に辛めになる。このスケベオヤジのエピソード、事実だったとしても、むしろ清盛の度量の大きさが伺えないか。権力維持のため、腹違いの弟・義経を討った頼朝と大違いである。常盤御前の方はこの事件で株を上げ、「強き母」として幸若舞などで描かれるようになったが、清盛との生活は不幸だったとは言い切れないように思う。

 そういう意味で、『義経記』を褒めないといけないのだろう。従者の一人の弁慶を英雄に仕立て上げ、清盛をスケベオヤジにしてしまったのだから。

本を読む

『義経記』(佐藤謙三・小林弘邦訳)
今週のカルテ
ジャンル文学/歴史
時代 ・ 舞台平安時代末期(1100年代)
読後に一言常盤御前は清盛とのあと、別の人間と結婚し、2児をもうけている。結局、6児の母。本当に「強き母」である。
効用読みやすい現代語訳。冒険物語の基本が、この中に詰まっています。
印象深い一節

名言
いよいよ最後になりましたので、今一度殿にお会いしたく思い、やって来ました。殿が先に自害なされましたならば、死出の山でお待ちください。弁慶が先に死んだなら、三途の川でお待ちしましょう(衣川合戦での弁慶の台詞)
類書義経も登場する『幸若舞(全3巻)』(東洋文庫355、417、426)
日本の軍記物の先駆的作品『将門記(全2巻)』(東洋文庫280、291)
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