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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアの古典・名著がズラリそろって、その数なんと850点余! 後世にぜひ引き継いでいきたい、まさにアジアの文化遺産なのです。

そんな珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、あなたを面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫
『幸若舞』(荒木繁・池田廣司・山本吉左右編注)

2011/12/08
   下天の内をくらぶれば――共に栄華を誇った「幸若舞」も平家の一族も、「夢幻のごとく」だった?

  『源頼朝』『義経記』と続けば、これを取り上げないわけにはいかない。『幸若舞』である。

 最も有名なのは、織田信長が桶狭間の合戦前に舞ったという「敦盛」だ。


 〈人間五十年化天(下天)の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり〉


 東洋文庫の『幸若舞』(全3巻)には、この「敦盛」をはじめ、古い伝説を扱った「百合若大臣」など、14の話が載る。その中でも中心となるのが、「判官物」と呼ばれる義経絡みの「烏帽子折」や「高館」、平曲物と呼ばれる「景清」など。つまり多くの題材を源平合戦からとっているのである。

 幸若舞とは簡単にいうと、〈室町時代に流行した、曲舞(くせまい)系統の簡単な舞を伴う語り物〉(ジャパンナレッジ「デジタル大辞泉」)だ。〈今日では福岡県みやま市瀬高町大江に大頭(だいがしら)系の幸若舞が伝承されている〉(同「ニッポニカ」)というから、「You Tube」で探してみると、ありましたよ。華やかというよりは無骨。秀吉や家康など、戦国武将に愛されたのも、あるいはこのあたりに理由があるのか。

 いま読み返しても、幸若舞の作品は物語としても非常に面白い。織豊時代に隆盛を誇った幸若舞はしかし、福岡の大江にしか残っていない。いったいなぜなのかと思い、東洋文庫の解説(第一巻)を読んで愕然とした。

 幸若舞は、徳川時代に入ると系図を捏造し、〈幸若が芸能の家であることを懸命に隠蔽しようと〉したという。身分が違うと強弁し、他の芸能と同じ舞台に立たないようにしたというから徹底している。自分たちは「芸」の家ではない。歴とした「武士」の出だ、と主張したのである。必然的に、世間を前に芸を見せることは激減していった。結果、〈しだいに衰退し、やがて幕府崩壊とともに滅亡した〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)。

 幸若舞の辿った歴史を調べていくうちに、私の中でそれは、平家の歴史と重なった。「平氏にあらずんば人にあらず」(平時忠)と栄華を誇った時、彼らは「武士」であることをやめ、「貴族」になろうとしたのではないか。「分をわきまえる」というと説教クサイかもしれないが、幸若舞も平家も、自分を見失ってしまったのだろう。

 もう一度、「You Tube」で「敦盛」を聴く。唸る声、床を踏みしめる足の音。それらがすべて、どこかで寂しい調べに聞こえてきた。

今週のカルテ

ジャンル芸能/文学
書かれた年代室町時代(1500年代)
読後に一言日本人ならば、「敦盛」だけでも読んでおかないといけないなあ、と実感。
効用日本人の「心情」の原形のひとつが、ここにあります。
印象深い一節

名言
思へば此の世は常の住みかにあらず。草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。金谷(きんこく)に花を詠じ、栄花(えいぐわ)は先立って無常の風に誘はるる。南楼(なんろう)の月をもてあそぶ輩(ともがら)も、月に先立って有為(うゐ)の雲に隠れり。(敦盛)
類書中世末期に隆盛となった民衆芸能『説経節』(東洋文庫243)
中国の伝統演劇『元曲五種』(東洋文庫278)
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