1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
将棋の神髄は"美しさ"にあり!? 詰将棋の 最高傑作と称される将棋無双&将棋図巧。 |
将棋がらみでもう一局、お手合わせを。
以前、森内俊之名人を取材したことがある。言わずと知れた18世永世名人だ。氏はこんなことを言っていた。
「若い頃は、勝ちにばかりこだわっていた。でも今は、勝ち負けに関係なく、“美しい将棋”を指したい」
対局中の姿勢、態度のことも話題に出ていたので、そういう意味だと受け取っていたが、名人は“手筋の美しさ”についても言及していたのだろう、と今にして思う。例えば、数学者が解の美しさにこだわるように、だ。横綱白鵬に話を聞いたときも、「相撲は勝ち負けじゃない。いい相撲を取ることです」と言っていたが、きっと同じ地平だ。勝つために手段を選ばない。自分さえ良ければそれでいい。彼らはそんな利己的なところにはいない。勝負相手をも巻き込んで“美しい戦い”を行わんとする。彼ら2人がたびたび、棋界や角界について発言をするのは、トップに立つ者の責任感かも知れない。これが、頂点に立ちうる者の品格なのだろう。
『詰むや詰まざるや』に収められているのは、「将棋無双」と「将棋図巧」という2つの詰将棋の傑作だ。
〈『将棋無双』と『将棋図巧』は、享保・宝暦時代の名人伊藤宗看・看寿兄弟の詰将棋集である。ともに技巧の粋をつくした華麗難解な作品で、古今の作品の中でもずば抜けて高い内容を持ち、詰将棋の最高峰と称されている〉
解説者は「奇想天外な手」「眼目の鬼手」「捨駒の粋」と絶賛の嵐で、褒め言葉が足らなくなったのがよくわかる。究極は「神局」という褒め言葉で(これは解説者以前から言われていたらしいが)、今も昔も「ネ申」とあがめるのは同じなのだと妙に納得した。
何が言いたいのかといえば、ひと言、“美しい”のだ。「将棋図巧」の611手詰めなんて、その手数ではたして「詰将棋」と言っていいのか、という当時最高の手数で、詰みに至るプロセスがまた美しい。ここにあるのは、ひとつのことを突き詰めたからこそ見えてくる“美しさ”であって、私たちは「詰将棋」というカタチで見せてもらってはいるが、到達した境地は常人にはわからぬものだろう。それは、森内名人や横綱白鵬に通ずるものだ。
そもそも将棋は、4、5千年前にインドでおこり、シルクロードを通って中国に渡り、8世紀に遣唐使が日本に持ち帰ったと伝えられてきた(近年はもっと早くに伝来したとする説が有力)。それを磨き上げてきたのだ。今さらながら名人戦の重みを感じた。
ジャンル | 趣味 |
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時代 ・ 舞台 | 1700年代の江戸 |
読後に一言 | 解説によれば、将棋無双も将棋図巧も、問題によって玉の位置を変え、結果的に盤面81格のすべてに玉を配置しているという。これを達成したのは、この2書を含め、5書しかないとか。この美しさへのこだわりに脱帽。 |
効用 | 芸術家の制作風景を覗くような、そんな読書になるのかもしれません。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 妙を極め、また奇を極む(「将棋無双」象戯図式序) |
類書 | 詰将棋の歴史をたどる『続詰むや詰まざるや』(東洋文庫335) 囲碁手筋の集大成『官子譜(全4巻)』(東洋文庫318ほか) |
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(2024年5月時点)