京都の住宅は、短冊状の細長い敷地である「鰻の寝床」に建てられている。坪庭は、住宅の奥の方のごく狭い場所に、建物で仕切られるように設けられた中庭のことである。その歴史は古く、原点は平安時代にまで遡る。坪庭は本来、壺庭と書くもので、平安期の宮中における「壺」とは、建物と建物の間の通り道のような空間を意味していた。身分の高い女性の住居では、その壺に桐、藤、萩などの草木が優雅に植え込まれており、『源氏物語』に登場する「桐壺」や「藤壺」といった名称は、壺庭の植栽に由来した中宮や女御の在所の名前であった。その後、武士の時代になっていくと、平清盛の屋敷に蓬(よもぎ)の壺が、源頼朝の屋敷には石壺と呼ばれる庭がつくられ、これまでとは違う坪庭が見られるようになっていった。

 さて、今日の一般的な坪庭といえば、母屋側の奥座敷に面した2~3坪の空間で、植栽とともに茶庭風の蹲い(つくばい、手水鉢の意)や燈籠などが置かれている。さらに坪庭の奥の敷地には土蔵か離れが建てられており、これは近隣の火事からの延焼を防ぐ防火装置になっている。また、土蔵の漆喰の白い壁には日差しを反射し、座敷を明るくする機能もある。そして、坪庭の辺りに風呂場やトイレなどが設けられている、というのが基本的なところである。

 鎌倉末期の歌人で、京都・吉田神社の社家の家系であった兼好法師は、『徒然草』で「京都の住居は夏を旨とすべし」と書いている。京都の暑い夏はいつの時代も変わることなく、それだけに住まいには独特の工夫が必要である。坪庭はその工夫の典型であり、窓を開け放った町家で、玄関から坪庭へすぅーと通り抜けていく風は、想像以上に涼しい。エアコン代わりというのは大げさであるが、初夏ぐらいの暑さならば、玄関などにまいた打ち水で冷やされた空気が、座敷を通って坪庭まで運ばれてくる。この涼やかさは、想像するよりもずっと気持ちがよいものである。


由緒のありそうな石灯籠をポイントにした民家の坪庭。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件のことはよく覚えている。山下彩花さん(当時10歳)と土師(はせ)淳君(当時11歳)が殺され、淳君の首が中学校の正門の前に置かれていた猟奇事件だった。

 被害者の口には酒鬼薔薇聖斗を名乗る犯行声明が挟まれていた。当初は警察に恨みを持つ人間の犯行という見方が強かった。『週刊現代』編集長だった私も、犯人像は中年の幼児愛好者ではないかと思っていたが、驚いたことに逮捕されたのは当時14歳の「少年A」だった。

 この事件をきっかけに少年法が改正され刑事処分可能年齢が16歳以上から14歳以上に引き下げられるなど、大きな社会問題になった事件だった。その元少年Aは7年間を少年院で過ごした後、娑婆に戻り今は32歳になった。

 そのAが6月10日に太田出版から出した『絶歌』が大きな波紋を広げている。この本が出るまでの経緯を『週刊文春』(6/25号)で見てみよう。

 元々は幻冬舎の見城徹(けんじょう・とおる)社長のところにAが手紙を送ってきたことから始まった。幻冬舎はAに連絡を取り社内に特別チームを立ち上げ、初めてAと会ったのは2013年のはじめだという。

 「出すにはあまりに越えなければならないハードルが高すぎたから」(見城氏)フィクションでやらないかと言ったが、Aはノンフィクションに強いこだわりをもっていたため、手記の形にすることになったようだ。

 地方の都市で派遣労働をしていたAだが、書くことに専念したいというのでカネを貸した。総額は400万円ぐらいになるという。

 何度も書き直しをさせたそうだが、なぜか幻冬舎では出さずに太田出版へ振る。今年1月に『週刊新潮』が、幻冬舎がAの手記の出版に動いていると報じたことで、内外から批判があったことが影響しているようだ。

 太田出版はそれを引き受け、以前『完全自殺マニュアル』を作った落合美砂氏が担当したそうだ。「私は編集者として一言も本文に言葉を加えていません。直す時は本人に伝えて彼が自分で直している」(落合氏)。出版までわずか3か月。出版社の思惑どおり初版10万部が売り切れ、すぐに5万部を増刷したそうだ。定価は1500円(外税)で印税は10%(見城氏にはその中から返却)だというから初版だけで1500万円にはなる。

 だが、出版社とAは本を出すに当たって被害者側の了解を取っていなかった。その理由を落合氏は「彼がもっとも恐れていたのが、反対されて出版を止められることだった」からだと話しているが、それだけではあるまい。

 出版社側も大部数を刷った本が売れなくなることを恐れていたはずだ。その証拠に「情報漏洩(ろうえい)を防ぐため」(落合氏)、出版取次にも書名だけしか伝えていなかった。確信犯である。

 当然ながら発売と同時におそらくAや出版社の予想以上の批判が巻き起こった。被害者の遺族たちはもちろんのこと、この本を取り扱わない書店も出てきた。兵庫県明石市市長は市内の書店や住民に「購入を配慮するよう」との異例の要望を出した。一部図書館では貸し出し制限をしているところもある。

 この手記をA自身が本当に書いたのかと疑問を持つ人も多いようだ。その疑問を解く鍵が『週刊ポスト』(7/3号、以下『ポスト』)に載っている。『ポスト』は01年3月9日号に「全文掲載 18歳・酒鬼薔薇が綴った『700字小説』」という特集を組み、そこでAの書いた「作文」を紹介している。

 「18歳の青年Aが書いた小説の一部を改めて抜粋する(以下、すべて原文ママ)。
 《題 愛想笑いに手には名刺を
 『桜木町』、『桜木町』。僕の横から現れた彼女に風太郎は書きかけの手帳を慌てて仕舞い込む。彼女の口許には絶えず微笑が刻み込まれているがまだ、十代のあどけなさが残っている。
 『この乗り物は、桜台二丁目まで行きますの?』はっと我に返った僕は職業心が芽生える。まだ間もない身ではあるが、
 『奇遇ですね、私の地本なんです』
 奇妙なタイトルもさることながら、内容も要領を得ない。誤字も散見された」(『ポスト』)

 この短編小説と今回の手記を比べると、文章力は格段に進歩している。同じ人間が書いたものと思えないと『ポスト』は言っているが、大方はそう思うだろう。

 私も読んでみた。第一印象は、この文章は“作家崩れ”の編集者の手がかなり入っていると思った。それに一部と二部の文章が微妙に違う気がするのは担当編集者が替わったからだろう。

 内容は一言でいえば手記ではなく“できの悪い”私小説である。亡くなった祖母の死やナメクジの解剖、猫を殺すシーンは克明に書いているのに、事件については拍子抜けするぐらい触れていないのは、Aと担当編集者にこの本をなぜ出すのかという根本的な問題意識がないからであろう。

 本の中でAが、自分はカネに対する執着心が強いと言っているが、本を書いたのはカネを稼ぐことが目的だったのではないのか。「僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした」という切実なものはほとんど感じられない。

 これが18年もの間、自分が犯した罪と向き合ってきた人間の書いたものなのか。Aと編集者が真剣に彼が起こした事件について議論を積み重ねた痕跡は読み取れなかった。こういう箇所がある。

 十代の少年から「どうして人を殺してはいけないのですか?」と聞かれたら、今の自分ならこう答えるという部分である。

 「『どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから』
 哲学的な捻(ひね)りもない、こんな平易な言葉で、その少年を納得させられるとは到底思えない。でも、これが、少年院を出て以来十一年間、重い十字架を引き摺(ず)りながらのたうちまわって生き、やっと見付けた唯一の、僕の『答え』だった」

 お前は、自分が殺した被害者や遺族の苦しみは考えたことはないのか。思わず本に向かって叫んでしまった。

 だが私は、こうした本を出すべきではないという批判には組みしない。これまでも連続射殺魔・永山則夫の本(これは完成度の高いものだったが)やパリ人肉事件の佐川一政(いっせい)の本、 連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤(つとむ)の本も出版されてきたではないか。

 私が現役の編集者だったら、この本を出版することに躊躇することはなかったと思う。もちろん事前に遺族や関係者たちにできうる限りの理解を求めることは言うまでもない。

 もう一つ重要な問題点は、いくつかの書店がこの本を取り扱わないということである。啓文堂書店を運営する京王書籍販売(東京・多摩市)は、遺族の心情を考慮してこの本を取り扱わないとしているそうだが、私には理解できない。

 書店は、裁判所が発売禁止にしたり、出版社が回収するといった書籍以外は置くべきであること、いうまでもない。読みたい読者がいる限り、書店が勝手に判断して読者の手に渡らせないようにすることは言論表現の自由を侵すことである。

 かつて私にそう言ったのは、酒鬼薔薇聖斗の顔写真を載せた『FOCUS』が批判され、多くの書店が『FOCUS』を置かなかったとき、書店がどの本がいいか悪いかを決めてはいけない、書店は読者のニーズに応えるためにあるのだからと『FOCUS』を置き続けたジュンク堂書店の社長だった。

 多様な言論が民主主義を担保するのだ。卑劣な殺人犯の手記であろうと、その善し悪しを判断するのは読者であるべきだ。

 だが、そうしたことを踏まえて考えてみても、この自慰行為のような独りよがりの未熟な本を、この段階で出すべきではなかった。まれに見る「駄作」を世に出してしまった出版社と編集者は、出版界はここまで劣化してしまったという象徴である。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 今週は酒鬼薔薇聖斗を含めて腹の立つ記事がやたら多い。電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな安倍首相が悪いのよ、というのは言い過ぎかも知れないが、腹ふくるることの多い世の中ではある。週刊誌には梅雨空を吹き飛ばすスカッとしたスクープをしてもらいたいものだと思うのだが。

第1位 「北海道4人死亡 飲酒ひき逃げ 鬼畜の素性を暴く!」(『週刊文春』6/25号)
第2位 「『私をレイプして』偽投稿で襲われた『リベンジレイプ』被害女性の悲痛告白」(『週刊ポスト』7/3号)
第3位 「安倍オフレコ発言ぜんぶ書く」(『週刊現代』7/4号)

 第3位。『現代』は安倍首相のオフレコ発言を報じているが、読みどころはここだけ。官邸記者クラブのキャップが集うオフレコの懇親会、いわゆる「オフ懇」というのがある。
 6月1日の午後7時過ぎに、赤坂の老舗中華料理店「赤坂飯店」のオフ懇に出席した安倍首相は、到着してすぐに注がれたビールを飲み干したそうだ。
 この日は町村信孝前衆院議長の訃報があり、その後、目黒の町村邸を弔問に訪れる予定だったにもかかわらずである。

 「さらに安倍総理は、こうも言った。話題が集団的自衛権のことにさしかかった時である。
 『安保法制は、南シナ海の中国が相手なの。だから、やる(法案を通す)と言ったらやる。
 要するに安倍総理は、中国を自衛隊と米軍の『仮想敵国』だと考えている。この『誰もがうすうす感じているけれど、決して口にはしてはならないこと』を、あろうことか、当の総理が認めてしまった」(『現代』)

 集団的自衛権は違憲だという憲法学者や多くの有識者の反対、世論の高まりもあり、ある自民党衆院議員がこう言う。

 「ここは焦らずに、一度引いて仕切り直したほうがいいという声も党内では出始めています」

 しかし、それでも安倍は夏が終わるまでに押し切るという構えを崩そうとしない。その理由を、またしても体調が悪化しているからだと明かすのはある自民党関係者だ。

 「長年の悲願である憲法改正までたどり着けないのではないか、という懸念が総理の中で出てきているんですよ。
 ここ最近官邸でよく言われているのは、トイレの回数がやたら増えている。30分に1回行く日も珍しくなくて、そんな時は『ちょっとヤバいね』と噂になっているんです。精神的にもかなり疲れていますからね」

 支持率も下落してきている安倍首相だから、そろそろポスト安倍を考えたほうがいいと『ポスト』(7/3号)は特集を組んでいる。
 安倍首相支持派の読売グループの日本テレビが6月14日に発表した世論調査では、内閣支持率41.1%と第二次安倍政権誕生以来最低で、不支持率が39.3%にもなっているのだ。
 これで強行採決でもしようものなら、支持率は20%台まで落ち込むことは間違いない。それに『現代』が書いているように体調の不安もある。
 だが、政治家OBや政治評論家、政治部記者37人にアンケートした結果は、失礼だがバカバカしいものである。
 安倍首相が電撃辞任した場合の次の総理ベスト3は、谷垣禎一(ただかず)、麻生太郎、菅義偉(すが・よしひで)の順だ。
 安倍首相が任期満了した場合の候補ベスト3は、稲田朋美、石破茂(いしば・しげる)、岸田文雄。望ましい総理候補のベスト3は、菅義偉、小泉進次郎、橋下徹だそうな。
 この中で目新しいのは小泉進次郎だけ。稲田のポスト安倍は絶対ないと、私は思っている。やはり深刻なのは人材不足ということだが、見方を変えれば安倍首相でもできるのだから、誰でもいいということだろう。

 第2位。リベンジポルノとは、元交際相手の裸の写真や動画をインターネット上に載せる悪質な犯罪行為だが、『ポスト』がこうしたことが頻繁に行なわれ、被害者が続出していると報じている。
 しかも写真の公開だけではなく、相手の住所や電話番号などを晒した上に、「私を犯してほしい」と誘う嘘の書き込み「リベンジレイプ」が横行しているというのである。

 「〈刺激が欲しい〉
 今年2月、出会い系サイトに21歳の女子大生の顔写真付きでこんな書き込みがされた。すぐに男たちからメールが殺到し、“彼女”は約30人の男性に〈レイプ願望があります〉といったメッセージとともに『自宅の住所』を伝えた。
 その数日後、自宅近辺で見知らぬ男が彼女に声をかけた。しかし、“願望”は現実にならなかった。彼女はレイプ願望などはもっておらず、自宅住所を男に送ってもいなかったからである。
 6月12日、この女子大生になりすまし、無断で掲示板に写真などを掲載したとして野村証券社員の牧野雅亘容疑者(39)が名誉棄損の疑いで警視庁に逮捕された」(『ポスト』)

 このケースでは幸いにも女性に身体的被害が加えられることなく犯人が逮捕されたが、今年3月に北海道で実際に女性が集団強姦されるという事件が起きていた。
 疑似レイプ愛好者が集う掲示板はネット上に複数ある。そこには女性の写真や名前のほか、電話番号、メールアドレスとともに〈犯してくれる人を探している〉などのメッセージが添えられているという。
 『ポスト』によると、関西地方の住所とともに名前やメールアドレスが書かれていたA子さんは、セックス中の姿を写した、いわゆるハメ撮り写真が掲載されていたそうだ。『ポスト』の場合、A子さんと連絡をとることができたが、彼女はまだ10代だった。
 写真を見せると「これは、私です……」と絶句したという。

 「実は最近、知らない人から“今日は何時の電車に乗るの?”とか“近所に住んでるから学校の帰りにレイプしてやろうか”といった メールが送られてきました。裸の写真についてはいいにくいのですが……、以前、援助交際したことがあって、その時に撮られたものだと思う」

 と語った。
 なりすましで掲示板に書かれた女性を強姦したらどうなるか。弁護士の奥村徹氏がこう話す。

 「裁判で“承諾があると信じていた”という弁解がすんなり通る可能性は低いでしょう。故意ではないと主張しても、暴行や脅迫が伴った性行為であれば、強姦罪が成立する可能性が高い。一方、実行犯に強姦罪が認められれば、女性になりすまして書き込んだ人には名誉毀損罪に加えて、強姦罪の教唆が問われます」

 6月22日のasahi.comが「LINEで女性の裸を拡散容疑 リベンジポルノ法初適用」と報じている。

 「無料通信アプリ『LINE』(ライン)で、知人が投稿した女性の裸の画像を拡散させたとして、警視庁は川崎市中原区上小田中1丁目、無職内川一樹容疑者(27)をリベンジポルノ防止法違反と名誉毀損(きそん)の疑いで逮捕し、22日発表した。同庁によると、他人が撮影した画像を拡散させたとして同法が適用されたのは全国初という。
 警視庁によると、逮捕容疑は4月16~17日、スマートフォンからラインのグループトーク上に、ライン仲間の男が撮影した20代の女性の上半身裸の画像を送信し、不特定多数に閲覧させるなどしたというもの。容疑を認め、『グループトークが盛り上がると思って投稿した』と供述しているという」

 気をつけよう、暗い夜道とリベンジポルノ。

 第1位。北海道砂川市の「日本一長い直線道路」で起きた一家4人死亡事故には言葉を失った。
 永桶(ながおけ)弘一さん(44)一家が乗った軽ワゴン車に時速100キロを超えるスピードで走ってきたBMWが激突したのだ。弘一さんと妻の文恵さん(44)、長女の惠さん(17)は死亡し、次女の光さん(12)は重体。長男の昇太くん(16)は路上に投げ出され、後ろから来たシボレーのピックアップトラックに1.5キロも引きずられて命を落とした。
 BMWを運転していたのは土建業の谷越隆司容疑者(27)、後続車に乗っていたのは仲間の解体工の古味(こみ)竜一容疑者(26)。どちらも事故の30分前まで居酒屋で飲んでいたことがわかっている。
 二人とも飲酒運転の常習者で、日頃から常軌を逸した暴走運転で悪名高かったと『文春』が報じている。谷越は「信号は青だった」と言い張り、古味のほうは酒気を抜くためか約10時間後に出頭している。しかも古味は、人を引きずっていることを知りながら蛇行を繰り返していたというのだから「鬼畜」の所業である。
 永桶さん一家には申し訳ないが「死に損」という言葉が口を衝いて出てくる。『新潮』(6/25号)によれば、こんな連中でも死刑にはならないそうだ。

 「危険運転致死傷罪の最高刑は20年となります。(中略)古味容疑者に対しては、人をひいて故意に引きずって死なせた可能性が高く、今後は殺人罪が適用され得る。となれば『懲役20~25年』の可能性が出てきます」(板倉宏・日大名誉教授)

 死刑にできないのなら、日本にはない終身刑でもと思ってしまうのは、私だけだろうか。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 以前に「コトバJapan!」(「フローズンスモア」)で紹介した「クロナッツ」、あるいはファミレスのデニーズが推している「ポップオーバー」などのように、最近はアメリカ発のスイーツの勢いが強い。これに続くものとして期待されているのが、台湾発のスイーツである。

 その人気は2014年、台湾の人気店が続々と東京に進出したことから顕在化した。パイナップルケーキ専門店「サニーヒルズ」、マンゴースイーツ専門店「マンゴーチャチャ」などは代表例。マスコミにもよく取材されている。また、タピオカミルクティー発祥のカフェ「春水堂(チュンスイタン)」では、2015年4月から「台湾版豆乳プリン」といえる「豆花(トウファ)」の販売を開始。地元では庶民的な味といえる「豆花」が日本人向けに登場したことは、いよいよ台湾スイーツも「浸透」の段階まで来た感がある。

 こうした動きは、日本人女性たちのあいだで「スイーツの名店巡り」が台湾旅行の重要なファクターになっていたことと無縁ではないだろう。台湾スイーツの豊富な種類と味わいは、まずはSNSなどの「口コミ」で評価が広がっていった。これが日本への進出を検討するきっかけになったことは想像に難くない。

 2015年4月には、台湾で一大ブームとなった「マンゴーかき氷」発祥の「アイスモンスター」が表参道に日本第1号店をオープンした。この夏のスイーツ戦線の目玉となりそうである。台湾スイーツにはまだまだ伸びしろがありそうだ。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 6月4日の衆議院憲法審査会で、審議中の安全保障関連法案について、参考人招致された3人の憲法学者すべてが「違憲」だと指摘。

 憲法学者による痛烈な政権批判が注目をあびるなか、膠着する沖縄の米軍基地移設問題についても「住民の同意なしに基地建設を行なうのは憲法違反」という議論が起きている。

 1995年、沖縄に駐留していた海兵隊員など3人の米軍兵士が、小学生の少女を集団で強姦する事件が発生した。この事件を機に、くすぶっていた米軍基地への反発が一気に高まり、大規模な反基地運動が展開されることになった。

 危機感を強めた日米両政府は、翌96年に代替えのヘリポートをつくることを条件に、沖縄県宜野湾(ぎのわん)市にある米軍の普天間飛行場の返還に合意。その移転先として、国が選んだのが同じ沖縄の名護市辺野古(へのこ)地区だったのだ。

 しかし、辺野古移設には「なぜ沖縄一県で、75%もの米軍基地を押し付けられなければいけないのか」「基地建設によって豊かな生態系が破壊される」など、地元住民の強い反発がある。

 2014年11月の沖縄県知事選でも、辺野古への移設反対を訴えた翁長雄志(おなが・たけし)氏が、前知事の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)氏に大差をつけて当選。これで基地建設には「待った」がかけられるはずだったが、国は「民意」を無視して、海岸の埋め立て工事を「粛々と」進めている。

 だが、地元の声を反映させる秘策が憲法にあった。

 首都大学東京准教授の木村草太(きむら・そうた)氏は、ニュース専門ネット番組「ビデオニュース・ドットコム」で、「憲法95条による住民投票を行なうべき」との提案をしているのだ。

 国内に、外国の基地がつくられるということは「国政の重要事項」だ。その地方自治体の権限は著しく制限されるだけではなく、主権が失われて国家直轄地になるに等しい。

 国政の重要事項は、国会(立法府)で法律を制定して対応すべきものだが、現状では基地建設問題については内閣(行政府)に丸投げされている。言い換えれば、政府与党がその権限を超えて、自分たちの都合のよいように基地移設を進めているともとれる。

 4月に行なわれた参議院予算委員会で、松田公太議員の質問に対して、安倍晋三首相は、「米軍基地移設は国政の重要事項だ」と認めながらも、「行政の責任において、すでにある法律のもとで粛々と進める」と辻褄の合わないことを言っている。

 だが、憲法41条には、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と定められている。

 本来なら、国政の重要事項である基地移設は、国民の代表である国会議員が話し合い、国会(立法府)で辺野古に新基地を設置するための根拠法を作る必要があるのだ。

 では、仮に「辺野古新基地建設法」なるものを作るには、どのような手続きが必要になるのか。

 特定の地域のみに適用される特別な法律を作るには、憲法95条で「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない」と定められている。

 「辺野古新基地建設法」は、名護市の地域限定の法律になるので、憲法95条による名護市の住民投票を行なう必要がある。

 住民投票には、その結果を尊重する「諮問型」と、その意思決定に従う「拘束型」があるが、憲法95条による住民投票は後者。

 法律を制定するには、過半数の同意を得なければならないのだ。

 さて、憲法に則って「粛々と」手続きを進めると、果たして「辺野古新基地建設法」は成立するのか。それは、沖縄の人々が決めることだ。

 戦後70年間、米軍基地の場所を決めるための具体的な根拠法もないまま、なぜか沖縄一県に重い負担が強いられてきた。日本が本当に民主主義国家であるというなら、憲法の定めに従って手続きを行ない、その上で基地建設の場所を定めるのが筋というものだろう。

 太平洋戦争で国内唯一の地上戦を経験した沖縄は、20万人を超える戦死者を出している。そのうちの約半分は、兵士ではない一般市民や子どもたちだ。その沖縄戦が終結したのが1945(昭和20)年6月23日だ。

 沖縄では、この日を「慰霊の日」と定め、戦没者の霊を慰め、恒久の平和を祈っている。沖縄県民にとって、忘れられない特別な一日だ。

 辺野古に米軍新基地が移設されれば、その深い傷をまたもえぐることになる。もうこれ以上、沖縄の人を悲しませるのはやめにしたい。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 「マンガの映画化」は、原作に固定ファンがいることや、もとより知名度がある点で、一定の成績を見込みやすい。だからこれまでも、そして今後も「手堅い企画」として製作され続けるだろう。ここ数年興味深いのは、「少女マンガの映画化」が多い点だ。多いだけではない、興行収入も10億円以上というものがザラにあって、そこに届かないと少しガッカリする雰囲気も生まれている。ビッグバジェットのハリウッド映画でもなかなかかなわない勢いなのである。

 古くからの映画ファンは、これを新しい傾向と見るだろう。というのも、かつては少女マンガ原作でヒットしたといえる作品は、皆無と言っていいからだ(内容が高く評価された作品はもちろんある)。2005年の『NANA』が40億という成績を叩きだしたことで、少し風向きが変わった。が、ゼロ年代における少女マンガの映画化は、原作の内容も、一般人の日常とは縁遠い事件が巻き起こる「映画的」なものではなかったか。まっすぐな青春恋愛ものは、まだ業界内でも魅力的な題材ではなかったはずだ。

 この雰囲気が2014年頃に一転した。『好きっていいなよ。』『近キョリ恋愛』など、同時代感のある「学園マンガ」原作の作品にも注目が集まるようになったのだ。決定打となったのが、2014年12月公開の『アオハライド』、続いて2015年3月に公開された『ストロボ・エッジ』である。ともに『別冊マーガレット』の王道をゆく作家・咲坂伊緒(さきさか・いお)の原作で、これらが立て続けにヒットしたことは、「チョイスは間違っていない」という自信のようなものを業界関係者に植え付けただろう。

 これらの映画では、「あまりに劇的なこと」が起こるわけではない。しかし、若い世代にとってはリアルな青春や恋愛の苦しみが描かれていて、それを年齢の近い俳優がみずみずしく演じている。映画館に若い女性を呼ぶには、この感性が必要だった。いま、それをようやく映画業界が察知したのである。ただし、ストーリーが激しすぎないがゆえ、少女マンガの映画化には繊細な描写が必要だ。今後は、スタッフがさじ加減を誤って、ヒットに至らない不運な作品も出てきそうだ。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 自民党が小中高校の教員免許の「国家資格化」に乗り出した。同党の教育再生実行本部(本部長・遠藤利明政調会長代理)が2015年5月、国家資格化を盛り込んだ提言を安倍晋三総理に提出したからだ。

 教員免許は現在、大学の教員養成課程の修了者に対し、大学の所在する都道府県の教育委員会が付与する。学生は免許取得後、勤務を希望する都道府県の採用試験を受験、合格すれば教壇に立つ──という手順だ。

 これに対し提言は、優れた人材を確保することを狙いに「教師の『国家免許』化」に踏み切るべきだと強調。具体的な段取りについて、提言は触れていないが、新聞報道によると「学生は教員養成課程修了後に全国共通の国家試験を受け、1~2年間、学校現場でインターン研修を受けた後、晴れて免許を取得する」という。インターン中に素行や資質などで「問題あり」となれば免許の交付はなし、というわけだ。

 今後、中央教育審議会などで検討される見通しだが、「国の管理となれば戦前のような国家統制色の強い教育になるのでは」「日教組つぶしという政治的な思惑がある」といった批判も。教員志望の学生としても免許を取得するまで身分が不安定となる。新聞報道では「国家資格化は教師の待遇改善につながる」というが、どういう理屈で待遇が改善されるのかさっぱりわからない。

 「教育は国の礎」という言葉があるが、中教審では丁寧に議論してほしいものだ。
   

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 おもに、相手とコミュニケーションを円滑に交わせないとき、誰かと不仲になったときに使う言葉で、「(人間関係が)ギスギスする」の略語。

 「ミスる」(失敗を犯すこと=「ミスをする」の略語)や、「ディスる」(相手を侮辱すること=「ディスリスペクトする」の略語)あたりの、どちらかと言えばネガティブなニュアンスを持つ略語の進化形だという見方もある。

 外来語とミックスした造語を思わせるせいか、どこかポップな響きがあり、「友人との些細な行き違い」だとか「自分とは無関係な有名人同士のいざこざ」などが話題になったとき、さくっと出てくるケースが多く、「不倫がバレて今、嫁と慰謝料問題でギスってるんだよ」みたいなシャレにならないケースでは、さすがに使用は憚れる傾向が強い。

 「ハラハラする」「メラメラする」「悶々する」などが「ハラる」「メラる」「モンる」と略されないことから考えるに、やはり語感がかなりの部分、重要視されている点は否めない。

 ちなみに、スマホで検索をかけてみたら「G・I・S・U」と打っただけで「ギスる」が候補語に出てきた。筆者のようなアラフィフ世代が考える以上に浸透力の高い言葉であるようだ。
   

   

ゴメスの日曜俗語館 / 山田ゴメス   


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