「ほっこりする」といえば、いつのまにか全国的に定着している現代語である。(思ったより)「落ち着くなぁ」とか、(安らいで)「気持ちがいいなぁ」というようなとき、しっくりと折り合いのよいことばである。『日本国語大辞典』によれば、(1)いかにも暖かそうなさま。(2)ふくよかなさま。(3)色つやがよく明るいさま。(4)すっきりとしたさま。(5)うんざりしたり、困り果てたりするさま、などとあり、さらに近畿や北陸などの地域の数多くの方言が解説されている。さて、純粋な京都ことばとしての「ほっこり」といえば、(4)と(5)の中間ぐらいの位置づけになるのだろうか。

 京都の暮らしや料理のエッセーで右に出るもののない存在であった、随筆家の大村しげさん。彼女の随筆集『ほっこり京ぐらし』(淡交社)のあとがきには、「ほっこり」というのは「疲れたときとか、退屈しているときの状態に出てくることばです」と書かれている。解釈は、ことばの使い手の年齢に影響されるかもしれないが、気疲れしたり、手間取ったりしたことが終えられて安心したとき、「ほっこりしたなぁ」と、実感を込めて使うことが多いように想像される。この負担が予想以上に荷の重いものである場合、「ほっこり」とは言わず、「くたぶれた」とか、「しんどい」とか、もっと弱音っぽい言葉づかいに変わるはずである。

 

   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 『失楽園』『ひとひらの雪』『鈍感力』など数多くのベストセラーを生み出した作家。享年80。

 1933年北海道空知郡砂川町(現・上砂川町)に生まれる。札幌医大医学部卒業。33歳で同医学部の整形外科学教室講師に着任。『死化粧』が芥川賞候補になる。

 36歳の時、札幌医大・和田寿郎(じゅろう)教授による心臓移植事件を題材にした小説を発表し、同大学の講師を辞任して上京。

 翌年、戦場で腕に銃創を負った二人の兵士の人生の明暗を描いた『光と影』で直木賞受賞。1983年、日経新聞に連載した不倫小説『ひとひらの雪』が評判になり、日経の部数が伸びたといわれ「ひとひら族」という言葉も生まれた。

 W不倫を描いた『うたかた』で「うたかた族」。『失楽園』は1997年の流行語大賞を受賞した。79歳で上梓した『愛ふたたび』では男性の性的不能がテーマだったように、男女の愛と官能のあり方を生涯追及し続けた作家だった。

 中国でも「言情大師(叙情の巨匠)」という異名で知られ、村上春樹と並んで人気作家となっている。

 多くの週刊誌が追悼特集を組んでいるが、『週刊文春』(5/22号)によれば、次回は「少女の美しさを書きたい」といっていて、実際に10代の女の子と母親公認のもとでメールをやりとりしたり、食事をともにしていたという。

 私が渡辺さんと親しく付き合ったのは『週刊現代』編集長時代だった。銀座のバー、料亭遊び、ゴルフなどを一緒にやり、大人の遊び方を教えてもらった。

 あるとき、ゴルフが終わってクラブハウスで渡辺さんと話し込んでいるところへ川島なお美が駆けつけてきたことなど、懐かしい思い出である。

 20数年前になるが、私がいた『月刊現代』で、渡辺さんと女優岸惠子さんの対談をお願いしたことがある。

 テーマは忘れたが、対談中の渡辺さんが岸さんを視る眼のなんと優しかったことか。終わって、渡辺さんが誘って銀座のバーに行くのを見送った。遠慮したのは、明らかに渡辺さんが岸さんを口説こうとしている気配が色濃く漂っていたからである。その後の進展具合は残念ながら聞いていない。

 私は渡辺さんの小説としては、スキャンダラスな面ばかりがクローズアップされる作品より、初期の作品『死化粧』『無影燈』や高校生の頃の恋人の死について書いた『阿寒に果つ』のほうが好きだ。

 バイアグラが日本で発売された頃、私に熱心にその効用と使い方について話してくれたことがあった。

 先に触れたように、近年は老いて性愛ができなくなった男の“女の愛し方”をテーマにした小説を書いていた。

 そんな渡辺さんが『週刊ポスト』(以下『ポスト』)の「死ぬまでSEX」特集を叱ったことがある。

 「死ぬまでセックス? そんなことできるわけがありません。人体というもの、雄というものが、何にもわかっていない。『ポスト』を作っているのは30~40代か、せいぜい50代の男性でしょう? 70、80の男の何がわかるのかね?(中略)
 男性は勃起と射精に囚われすぎています。もちろん自分のペニスを女性の中に挿入したいと思う、これは男本来の願望でしょう。挿入して、射精しないかぎり満たされないと考える、人間の雄とはそういう生き物です。しかし、だからといって『死ぬまでセックスしたい』なんていうのは完全に間違っています。勃起して射精するというのは、大変なエネルギーと労力、そして気力が必要で、そんなことを死ぬ直前までできるわけがありません」(『ポスト』8/2号)

 渡辺氏は年をとったらセックスより、優しく声をかけたり肌を愛撫することのほうが重要だと語る。

 私がビジネス情報誌『エルネオス』(2010年3月号)で渡辺さんと対談したとき、男女についてこんなことを話してくれた。

渡辺 俺が思うには、創造主の神は、人間っていうものをつくるときに、性格も根本体力も弱い男を、一見、外見だけは大きく逞しく、瞬間暴力を強く創りたもうたんだ。これに対して女は、性格が強くフィジカル面も強いから、そのまま創るとバランスが取れない。だから小ぶりで愛らしく創りたもうた。これは素晴らしい創造主の叡智だね。

 そして恋愛のすばらしさについてもこう語ってくれた。

渡辺 俺が『愛の流刑地』で、女って、好きな男によって、こんなにエクスタシーを感じて変貌するんだって書けたのは、たくさん恋愛をしてきたからわかる。あの女は、こんな感じかなって決めていたのが、恋愛してみると変わる。とんでもないものを食う人だったり、素晴らしい感性の持ち主だったりと、思いがけない発見がいっぱいある。そこが恋愛の凄みで、恋愛は実学の最たるものなんだ。だから、どんないい大学でも恋愛学って講座は持てない。

元木 文学の世界ですからね。

渡辺 まさしく文学だ。自分の中に潜んでいる未知の領域を、恋愛をして知ってほしい。俺って、こんなに好色なんだとか、女のこんなとこに惹かれるんだとか気がつくことがいっぱいある。

 老いて未だ恋愛のなんたるかを知らず。渡辺さんの1000分の1でも恋愛をしていれば、女性についてもう少し知り得たのかもしれないな。渡辺さん、ありがとうございました。ゆっくりお休みください。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3

 週刊誌は読者の素朴な疑問に答えるのが王道である。もっと知りたい、なぜこうなるの、おかしいよ、これって。そんな疑問に答えている記事を3本選んでみた。

第1位 「91歳の認知症夫が電車にはねられ、85歳の妻に賠償命令 実名と素顔を公開 この裁判官はおかしい」(『週刊現代』5/24号)
第2位 「札幌連続ボンベ爆発事件 北海道警『誤認逮捕』疑惑」(『週刊朝日』5/23号)
第3位 「スクープ! 人間ドック学会理事長がついに告白『高血圧なんて、本当は気にしなくていい』」(『週刊現代』5/24号)

 日本人間ドック学会と健康保険組合連合会が4月初旬に発表した「新たな健診の基本検査の基準範囲」が大きな話題になっている。
 この欄でも書いたが、そこに記されていた健康の基準値が現行の値とは大きく異なっていたためである。例えば高血圧の場合、従来の正常の上限値である129よりも大幅に緩い147という新基準値が示されたのだ。

 今週の『週刊現代』は渦中の人間ドック学会理事長・奈良昌治氏(83)の直撃に成功している。奈良氏によれば「高血圧なんて気にしなくていい」んだそうだ。
 「確かに以前は、高血圧は怖かったですよ。われわれが医者になった60年前は、日本人には脳出血が非常に多かった。ところが、今では栄養状態がよくなって血管が丈夫になり、血圧が上がってもそう簡単に血管は破れなくなった。むしろ血圧が下がったときのほうが危ないこともあるのです。(中略)
 特に人間は脳が心臓よりも高いので、脳に血液がいかなくなると深刻ですよ。駆け出しの医者が『血圧が高い、大変だ』ということでおじいさんにたくさん降圧剤を出すでしょう。すると脳に血がまわらず、あっという間にボケてしまう」
 ちょっと血圧が高いと「クスリを飲みましょう」という医者は信用してはいけないそうだ。

 2位は『週刊朝日』の記事。
 「札幌市北区の商業施設や警察関連施設でカセットコンロ用ガスボンベによる爆発が相次いだ事件で、北海道警が道警官舎への爆発物破裂容疑で逮捕した無職・名須川早苗容疑者(51)の勾留理由開示の法廷が5月9日、札幌簡裁で開かれた。名須川容疑者の主張がはじまると、その“爆弾発言”に法廷は凍りついた。
 『取り調べを受けていました』」(『朝日』)
 札幌北署の駐車場で爆発が起きたのが1月27日朝だった。名須川容疑者は別の窃盗事件の事情聴取のため、同署の取調室にいたと明かしたのだ。「4月までの5件の爆発事件は同一犯としていた道警の主張が大きく揺らいだ瞬間だった」(同)
 報じられているように、北海道内では名須川容疑者が逮捕されてからも、5月4日朝に道警の駐在所、6日には大型書店でガスボンベの爆発事件が発生している。
 道警はこれについては模倣犯によるものと説明しているが疑問は残る。“冤罪”の二文字が浮かんでは消える。

 第1位。91歳の認知症の夫が電車にはねられ、85歳の妻に賠償命令が出た名古屋高裁の判決を取り上げ、『現代』は、この裁判官はおかしいと怒り、地裁、高裁の裁判官の実名と素顔を公開している。

 事故が起きたのは2007年12月7日の夕方。愛知県大府市に住むAさんは2000年から認知症の症状が出始め、この頃には要介護4と認定されるほど症状は進んでいた。
 自分の名前も年齢もわからず自宅がどこなのかも認識できない。昼夜を問わず「生まれ育った場所に帰りたい」と家を出てしまう。
 それでも家族はAさんを必死に介護した。長男は月に数度、週末を利用して横浜から大府にやってきた。長男の嫁は単身、大府に転居し、妻と一緒に介護に当たったという。
 それでも悲劇は起こった。奥さんがウトウトした隙にAさんは家を出てJR東海の線路に入り込み、快速列車にはねられてしまった。JR東海側は損害賠償を求めた。
 そして長門(ながと)栄吉名古屋高裁裁判長は360万円の支払いを妻に求めたのだ。長門裁判長は判決文の中でこう言っている。

 「配偶者の一方が徘徊等により自傷又は他害のおそれを来すようになったりした場合には、他方配偶者は、それが自らの生活の一部であるかのように、見守りや介護等を行う身上監護の義務があるというべきである」

 私も、この判決を聞いたとき、それはないだろうと叫んだ。
 だが、昨年8月の名古屋地裁の判決はもっとひどかったのだ。上田哲(さとし)裁判長は、別居の長男にも720万円の賠償命令を下し、妻にも注意義務を怠ったと同額の支払いを命じたのである。
 これからますます増える老老介護だが、こんな判決が出るのでは、認知症になった伴侶を殺して自分も死ぬしかないと思う老人が増えるはずだ。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 以前に「涙活(るいかつ)」という言葉を紹介したことがあった。ストレスにさいなまれる現代人にとって、涙を流すことはカタルシスになるはずだ。積極的に「泣いてもいい」機会を作ることで、スッキリとした気分で明日を迎えることができる。と、ここまでの理屈はいいのだが、実際はテレビや映画でグイグイと「お涙ちょうだい」をやられても、しらけてしまうという人が多いだろう。その手合いのコンテンツについては、おそらく送り手自身が題材に共鳴していないか、もしくは単純にテクニックが足りない場合が多い。泣かせるのは、難しいのだ。

 「涙活」の仕掛け人であった寺井広樹氏はまた、落語ならぬ「泣語」というイベントを実践しているという。「泣語家」たちの名前は「泣石家芭蕉(なかしや・ばしょう)」など、まさに噺家のノリ。「体験泣語」と「創作泣語」の二種類があって、衣装は「幸福の国」ブータンの民族衣装、ラストには泣語家自身も涙を浮かべる……など、いくつかのルールがおもしろい。老人ホームや「涙活」のイベントなどで披露されている。なるほど、落語の人情噺などは、想像力を働かせながら楽しむことで、ほかの映像メディアでは表現しがたいような感動を生んでいる。ただ、ストーリーだけで聴衆の感情をコントロールできるなら、噺家だって修行は要らないわけで……。やはり「表現」の面で、ふだんはいち社会人である泣語家の皆さんも、苦労しているようだ。まだこれからの展開が楽しみなジャンル。最近、複数のメディアで好意的に採り上げられている。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 厚生労働省が2013年6月に発表した「認知症有病率等調査」2012年時点の認知症患者数は、推計で約462万人。日本の65歳以上人口の15%が認知症を患っている計算になる。高齢化に伴う認知症患者の増加が予想されるなかで、医療の現場で始まっているのが新しい高齢者ケア「ユマニチュード」だ。

 ユマニチュード(Humanitude)は、「人として尊重すること」という意味を表すフランス語の造語で、フランス人体育学教師のイブ・ジネスト氏らによって1979年に考案された高齢者ケア技術だ。

 基本的な考え方は、「見つめる」「話しかける」「触れる」「立つ」の4つ。これは、人が尊厳をもって生きていくには、「誰かに見つめられ、人と言葉を交わし、触れ合い、自分の足で立つことが大切だ」という哲学に基づくものだ。

 たとえば、見つめるときは、患者を上から見下ろすのではなく、「看護者・介護者は同じ目の高さまで身体を降ろし、正面から、相手の顔の20センチメートルほどの距離で、時間をかけて見つめる」など、150を超える具体的な技術が体系化されている。

 認知症患者は生活環境が変化すると、不安になって混乱し、大声を出したり、暴れたりすることがある。そうした患者が、肺炎や骨折など急性期の病気やケガで入院することになった場合、必要な治療やケアを拒否することもあるため、やむを得ずに体を拘束したり、向精神薬などを使って鎮静化が図られたりすることがある。しかし、そうした措置は逆に患者の身体機能を低下させ、看護者・介護者にも精神的な苦痛をもたらしている。

 ところがユマニチュードを取り入れた医療機関では、こうした措置に頼らず認知症患者の治療やケアがスムーズに行なえるようになり、患者の自立度を引き上げ、看護者・介護者の負担を減らしその離職率を抑えることにも効果があるという。

 いまのところ、ユマニチュードにはエビデンスといえるだけのデータがなく、導入は一部の医療機関に留まっている。だが、経験している看護師や家族はその効果を実感しているようだ。団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になる2025年には、認知症患者が急増することは想像に難くない。

 ユマニチュードが、高齢化が進む日本の救世主となるのか。国による、ユマニチュードの実証効果のデータ化が急がれる。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 2013年、ホテルのレストランやデパートで食材の虚偽表示が相次いで発覚した。これを「ウソつき」と一刀両断するのはごく自然な反応だが、少し同情の余地もあろう。デフレの中で、飲食業というものは切り詰めても切り詰めても利益が出ない。それで味をおろそかにするならプロ失格だが、誤解をおそれずに言えば、「虚偽」の食材でじゅうぶんに美味しかったということなのだ。そもそも、「安価な高級食材」などというものは形容矛盾である。と、少し擁護してみたものの、やはり何よりも大事な「信頼」を失うべきではなかった。

 この問題を受けて、消費者庁が取り組んでいたメニューに関するガイドラインが2014年3月にまとまった。飲食の現場の意見も入ったので、単に「頭のかたい」ものにはならずに済んだようだ。批判の矢面に立たされていた、脂を注入した「霜降りビーフステーキ」はNG(当然だろう)。一方、流通のリアルなところで、解凍した冷凍魚を鮮魚というのは認められた。もちろん、「本日とれたての鮮魚」などのウソは許されない。

 今回の発表まで一悶着あったのが「サケ弁当」の扱い。サケ弁当には、ニジマスを海で養殖した「サーモントラウト」という魚を用いることが多い。弁当業界では常識であり、たしかに「虚偽」のつもりはなかっただろう。だが、これは消費者庁のやろうとしていること、表示の紛らわしさを排除するということと矛盾してはいないか? と、2月の国会で議論になったわけだ。

 たとえば「ブラックタイガー」を「車エビ」というほどの差が、サケとニジマスの間にはないということもあって、結局はOKの判断が下された。消費者それぞれにも意見もあるだろうが、確かにいつも食べている「シャケ弁」が、ある日突然「ニジマス弁」になったら、「誰得(だれとく)」という感じは否めない。このあたり、メニュー表示に対する行政の指導の限界をよく示している。手頃な価格帯のものは、あまねく「企業努力」が入っているが、それは見方によっては「虚偽」のとなり側ぐらいに位置する「企業努力」なのかもしれない。最終的には、消費者が「安価」ということに対する理解をもっと深める必要があるのだろう。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 南極海で行なう日本の調査捕鯨について、国際司法裁判所が3月、「国際捕鯨取締条約に違反している」として、中止を求める判決を下した。

 調査捕鯨は、国際捕鯨委員会(IWC)が1982年に「商業捕鯨の一時停止」を採択したことを受け、日本がいわば代替措置の形で行なっている。南極海では87年から実施してきた。目的はあくまで「科学的研究」。クジラをとらえてその生態系、生息頭数などを調べているのだ。ただ、捕ったクジラは食用として販売されている。

 国際社会では欧米諸国を中心に従来から捕鯨について厳しい論調がある。豪州政府は2010年5月、南極海での日本の捕鯨中止を求め、国際司法裁判所に提訴していた。

 今回の判決は「日本の捕鯨活動は国際的な義務に違反するもので、中止されるべきだ」とする豪州政府の主張を全面的に受け入れ、日本の敗訴となった。日本政府は判決を受けいれる方針。2014年度の南極海での「調査捕鯨」は目視だけにとどめるという。

 もっとも、日本政府は今秋を目途に新たな調査計画を策定し、捕獲調査の再開を目指す考えだ。

 日本は北大西洋でも調査捕鯨を行なっているが、捕獲数を減らすなどしてこちらは当面継続する。

 「クジラを食べる日本の食文化を理解してほしい」と日本政府は国際社会で訴えてきた。調査捕鯨の継続のためには、より丁寧な説明が必要なのは言うまでもない。
   

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 沢尻エリカ主演の連続ドラマ『ファースト・クラス』(フジテレビ系/毎土曜23:10〜)でクローズアップされている流行語。『日本国語大辞典』によると、「マウンティング」とは「優位個体が劣位個体に対して行なう馬乗り行動。多くの哺乳類は交尾の際、雄が雌に対しこの姿勢をとり、ニホンザルでは雄同士の間でも順位確認のため行なう。」とあるが、これに「女子」がくっつくと、「“私のほうが立場が上よ”という牽制を会話にチョイチョイ挟んでくる女性のこと」になる、らしい。

 なるほど、本来の意味と照らし合わせてみると、近年には珍しく無理矢理感のない、なかなかよくできた造語である。……けど、こういった“やりとり”は、なにも今回のドラマの舞台となっている女性誌編集部だけではなく、時代劇から半沢直樹などのビジネスモノまで、すべてのエンターテインメント・ストーリーに欠かせない定番の“前菜”ゆえ、正直「なぜ今さら?」という疑問もなくはない。

 ちなみに筆者は、所属する草野球チームで「ゴメスは出塁率は高いけど足が遅いからなあ」とマウンティング・チームメイトからチクチク言われ、たまにスタメンを外されたりもするが、女子ならもっと巧妙な言い回しで、そんな筆者を攻めてくるのかもしれない。だから“今”……なのかもしれない。
   

   

ゴメスの日曜俗語館 / 山田ゴメス   


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