12か月の折々の花と季節の風物が描かれ、48枚一組になっている花札。ポルトガルのトランプをもとに、日本のかるたの一つとしてつくられた。江戸末期には広く庶民に親しまれるようになり、かつては日本中に、地域独特の遊び方がたくさんあったそうである。

 さて、8月を表す札といえば「芒」である。「芒に月」と「芒に雁(かり)」、「芒」だけの素札(カス札)の2枚を合わせた計4枚。中でも、山上に芒が輝き、紅い空と白い月を描いた「芒に月」は、構図が印象深く、大吉札ということもあって親しまれてきた。名月十五夜のお供えものとして、芒を団子と萩と一緒に飾る風習が残されている理由は、この花札の図案によるところが大きいという。

 赤い夜空に白い満月が煌々と浮かぶ構図は、京都市北区の鷹峯(たかがみね)で描かれたといわれている。鷹峯は、江戸初期に形成された本阿弥光悦の芸術村、光悦村の存在が際だつ地域で、光悦の位牌堂を寺とした光悦寺(こうえつじ)が有名である。この寺には「鷹峯三山」という、たおやかな山並みを展望する場所があり、実はこの辺りから見る構図が「芒に月」の場所ではないか、といわれている。

 「鷹峯三山」とは、光悦寺の西側に連なる山並みで、北から天ヶ峰、鷲ヶ峰、鷹ヶ峰と称する。どうやら一番南に位置する最も低い山が鷹峯(鷹ヶ峰)らしいが、地図上で見ると、正式な山名は「兀(はげ)山」となっている。「芒」の札の別名は「坊主」というから、そんな花札がらみの詮索もしてみたくなる。


光悦寺からの眺め。写真左奥が京都市街で、正面に見える鷹ヶ峰から尾根を伝うように、鷲ヶ峰、天ヶ峰へと続いている。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 私はアパレルとファッションとは違うものだと思っていたが、同じもののようだ。

 だから、『週刊現代』(9/2号、以下『現代』)が「誰がアパレルを殺したか」で、女性の消費行動が変わり、彼女たちが「働いたり、普段の生活をするための服しか買わなくなった。ビジネスカジュアルならZARA、パート勤務ならH&Mでいい」(小島ファッションマーケティング・小島健輔代表)となったから、アパレル業界がだめになったというのは少しおかしいのではないか。

 ユニクロもしまむらもZARAも同じアパレルだからだ。だからアパレル大手4社、オンワードHD、三陽商会、TSIホールディングス、ワールドの15年度の売り上げが約8000億円で、前年に比べ1割も低下しているから、アパレル業界が「死に向かっている」(『現代』)といういい方もおかしいことになる。

 ユニクロやしまむらなどはまだまだ成長しているからである。

と、『現代』の特集にケチをつけても仕方ないが、デパートなどで売っている高いブランド女性洋品や男物のスーツなどが売れなくなったので、渋谷などのセレクトショップには若い女性が押しかけている。

 また、ファッション通販大手の「ZOZOTOWN」などは上場以来増収増益を続けており、「営業利益ではすでに三越伊勢丹ホールディングスを抜くほどになっている」(『現代』)ようである。

 要は、時代のニーズに合わない古臭いものを大量生産しているアパレルメーカーに女性たちが手を出さなくなっているので、それはどこの業界でも同じであろう。

 もう40年以上前になるが、1週間ほどパリに取材で行ったことがある。私はファッションにはとんと興味のない人間だが、シャンゼリゼ通りの小粋なカフェでコーヒーを飲みながら、行き交う女性たちのファッションセンスの良さにため息を漏らしたものであった。

 パリジャンに聞いてみると、そのほとんどがノーブランドか手製であるというのだ。高いブランド品を着ていれば素敵に見えるという妄想を抱いていた私は、これではいつまでたっても日本の女性のファッションセンスは磨かれないだろうと思った。

 案の定、日本にもバブルが来て、ディオールやエルメスで着飾る女性たちが輩出したが、サルがブランドを着て歩くがごときで、センスが磨かれることはなかった。

 私事で恐縮だが、当時、私もアルマーニというブランドが好きで、背広はもちろんワイシャツ、ネクタイ、バッグに至るまで全身アルマーニだった時代があった。

 背広一着が30万、50万。アルマーニを着ていることで自分がリチャード・ギアになったつもりで銀座の夜を闊歩していた。

 私が思うに、そんな日本人のブランド志向を完膚なきまでに叩き壊した「偉人」が二人いた。ビートたけしと泉ピン子である。

 たけしがアルマーニの背広でテレビや映画に出てきたときは衝撃的だった。黒のバカ高い背広だろうが、まるで羽織袴を引きずっているかのようで、見るに堪えなかった。

 やはり、アルマーニはイタリア男のように背は低くてもがっしりした体形でなくては似合わない。たけしの不格好な姿を見てすぐに、持っていたアルマーニの背広を燃えるゴミに出してしまった。

 もっとブランド側にショックだったのはピン子が全身シャネラーとして人前に現れた時であった。「シャネルを着た悪魔」。これは“事件”だったといってもいいのではないか。

 シャネルはファッション雑誌にとって死ぬほど欲しいナショナルブランドである。だが、雑誌の女性編集長に聞いたところによると、シャネルほど広告や記事に注文を付けてくる、うるさいブランドはないと嘆いていた。

 それほどまでにブランドを守り、世界中の映画スターたちに自社ブランドを着せてきたシャネルだったが、そんなシャネルにもできないことが一つあった。

 着る女性を選べないことである。私がシャネルの広報だったら、飛んで行って、ピン子に「何億でも払うからうちのブランドを着て外を歩くのだけはやめてください」と土下座したであろう。

 私の知り合いにも資産数百億円というシャネラーがいる。シャネラーというのは、すべて同じブランドで統一しなくてはいけないそうだ。

 彼女ももちろんそうであった。あるときゴルフに誘った。ゴルフ場で会った時、目を見張った。ゴルフウェアーも全身シャネルだったのである。違うのはクラブとボールだけ。キャディもゴルフの腕前にではなく、ファッションにうっとりしていた。だが、彼女はシャネラーの資格のある美人だった。

 だが、たけしとピン子の2人の姿は言葉では形容できないほど無残であった。それまで培ってきた2つのブランドの幻想を完膚なきまでに地に叩き落とし、破壊したのだ。

 その結果、借金してまでブランド品を追い求め、買いあさっていた女性たちの目を覚まさせたのである。

 ある程度のブランド力を持っていた先のアパレル大手4社は、この時、気が付かなければいけなかったのだ。だが、バブルが弾け、ファストファッションが台頭する中で、

 「アパレル各社は目先の売り上げを立てようと、生産拠点を中国に移し、大量生産でコストカットを図ってきました。国内のマーケットは縮小しているにもかかわらず、製品の品質には目をつぶり、過剰に製品を供給することで生き延びようとしたのです」(『誰がアパレルを殺すのか』の著者の一人・杉原淳一氏)

 そしてユニクロが出てくれば、これからは低価格路線だとコストカットに躍起になり、品質は低下し、社内で肩で風を切って歩いていたデザイナーやパタンナーが次々に辞めていった

 その人たちが独立して、低価格のブランドのデザインを請け負うようになったというから皮肉なものである。

 そこへ先ほど触れた通販サイトができて、膨大な量の衣服を一覧できる。昔は手を出さなかったセコハン洋品にも、今の女性は抵抗がない。

 気に入ったものはセレクトショップという流れの中で、それに棹さしたのが一冊の本だったと思う。

 大ベストセラーになった『フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質”を高める秘訣』(ジェニファー・L・スコット著・大和書房)である。

 「間食はせず、食事を存分に楽しむ。上質なものを少しだけ持ち、大切に使う。日常の中に、ささやかな喜びを見つける。情熱的に、お金をかけずに、生活を心から楽しむ方法が満載」(アマゾンの本の紹介から)

 ミニマリズムの流行もその流れの中にあるはずだ。

 『現代』は、その一方でエルメスが売り上げを伸ばしていると書いているが、いつの時代でもブランドにカネをつぎ込む金持ちはいるのだから、そういう人間だけを相手にするブランドは昔ほどではないが、まだ生き延びるのだろう。

 だが、ボストンバッグのような数百万もするバーキンとかいう重たいバッグが小柄な日本人に似合うはずがないではないか。

 私も今、ミニマリズムというか断捨離に凝っていて、本、CD、DVD、背広からブレザー、昔の資料などをどんどん捨てている。

 たしかにこれは癖になる。捨てられなかった名刺の山をエイヤと捨てた時の快感は、なかなかいいものだった。ブランド品はいらない。一人2万円もするフレンチや和食を食べるより、京成立石の居酒屋で飲むほうがいい。

 人生の敗者の遠吠えかもしれないが、身の丈に合った生活がいいとようやく思えるようになった。

 最後に、『現代』の「ZOZOTOWN社長の『異形の履歴書』」という記事にも触れておこう。この社長、前澤友作という。41歳。この「ZOZOTOWN」を運営する会社スタートトゥデイの本社は千葉・海浜幕張。200人以上の社員が仕切りのない大部屋にいて、基本給とボーナスは従業員一律。違うのは役職給だけ。

 6時間労働制で、9時出社だと15時退社になる。2007年に東証マザーズに上場した時の時価は366億円だったが、今夏は1兆円を超えたという。

 この社長、早稲田実業学校高等部卒だという。千葉の鎌ヶ谷出身で、千葉への愛情が半端でないらしい。現在建てている100億円の新居も千葉市内。

 高校を出てインディーズバンドをやったりしているうちに、海外のCDやレコードのカタログ販売に手を付け、カタログ通販で年商1億円に。そこから現在のような会社をつくって成功したらしい。

 アート作品へのカネのつぎ込み方も尋常ではないという。まあ、これだけカネがあれば何でもできるだろうが。

 ネット通販はこれからも雨後の筍のように出てくるだろうが、よほどの差別化を図らない限り、生き残るのは大変だろう。10年後、「ZOZOTOWN」がどうなっているのか、楽しみではある。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 ノンフィクション・ライターというのは哀れである。若いうちは文章が下手でも体を動かせばそれなりに稼げる。だが、長い時間をかけて本を書いても初版は数千、重版はなし。出版社はすぐに絶版にしてしまう。書く媒体はどんどんなくなり、老後は暗澹たるものになる。出版社はノンフィクションに冷たすぎる。これでは優れたノンフィクション・ライターなど出てくるわけはない。「ノンフィクション・ライター死んだ。出版社も死ね」そう叫びたくなるこのごろである。

第1位 「75歳まで働かされるニッポン」(『週刊ポスト』9/1号)
第2位 「山田太一、83歳。『私はもう原稿が書けない、ドラマを観る気力すらない』」(『週刊ポスト』9/1号)
第3位 「米朝開戦」(『週刊現代』9/2号)

 第3位。『現代』が「米朝開戦」かと、ドでかい特集を巻頭で組んでいるが、残念ながらというべきか幸いなことに、その危機は今のところなさそうである。
 トランプ米大統領も金正恩もそこまでバカではないということだ。騒いでいるのは週刊誌と、支持率を上げるためには北朝鮮危機が起こればいいと内心考えている安倍首相ぐらいではないか。
 トランプの側近中の側近だったバノン大統領首席戦略官が突然、首を切られたが、彼のようなウルトラ右派でさえ、こう言っているのだ。

 「北朝鮮問題は余興に過ぎない。軍事的解決などあり得ない。忘れてよい」

 ロシアンゲートだけではなく、人種差別問題でも非難を浴びているトランプには、北朝鮮から飛んでくるICBMなどよりも、国内から飛んでくる非難の礫のほうが怖いというのが本音であろう。
 それに側近といわれた人間が次々に離れ、今や自分の身内しかいなくなってしまったトランプに、軍隊を動かせる力はない。
 中国がせせら笑っているはずだ。

 第2位。山田太一という脚本家は天才だと思う。『岸辺のアルバム』『ふぞろいの林檎たち』、中でも鶴田浩二主演の『男たちの旅路』は素晴らしいドラマだった。
 その山田も83歳になり、今年1月、自宅を出たところで倒れ、意識不明のまま救急車で搬送されたという。
 脳出血で、倒れてから3日間の記憶が全くないという。
 退院したのは6月で、言語機能は回復しつつあるが、脚本を執筆する状態ではないようだ。
 テレビも観る気力がわかず、ひとりで散歩に出ることもかなわないという。
 次の作品を書いて、それから仕事を辞め、遊ぼうと思っていたが、「人生、なかなか思い通りにならないですね」(山田)
 山田はこう語っている。

 「人生は自分の意思でどうにかなることは少ないと、つくづく思います。生も、老いも。そもそも人は、生まれたときからひとりひとり違う限界を抱えている。性別も親も容姿も、それに生まれてくる時代も選ぶことができません。生きていくということは限界を受け入れることであり、諦めを知ることでもあると思います。でも、それはネガティブなことではありません。
 諦めるということは自分が“明らかになる”ことでもあります。良いことも悪いことも引き受けて、その限界の中で、どう生きていくかが大切なのだと思います」

 山田のような高名な脚本家は、つらいだろうが、書けなくなっても生活に困ることはないだろう。じっくり養生して、書きたいものがあったら口述でもできるかもしれない。
 だが、ノンフィクション・ライターはそうはいかない
 松田賢弥という優れた記者がいる。小沢一郎を追いかけて、私が『週刊現代』編集長時代に小沢批判キャンペーンを続け、その後、『週刊文春』で小沢の妻からの「離縁状」をスクープした男である。
 野中広務に食い込み、彼のインタビューをもとに数々のスクープをものにもした。
 小沢と同じ岩手県の出身で、東北人らしく黙々と地を這うような地道な取材をする。原稿は足で書く、を実践してきた今ではまれな記者である。
 その彼が3月初め、2度目の脳梗塞で倒れた。虎の門病院に入院して手術をしたが、左手に後遺症が残った。
 現在、リハビリを続けているが、言葉もスムーズには出てこない。時々ふっと記憶を失うことがあるという。
 私が見る限り、もう一度物書きとして再起できるかというと、かなり難しいかもしれない。
 残念なことに、彼には再婚した妻との間に子どもがいるが、脳梗塞になる前に離婚していた。
 離婚に至る夫婦の間には、いろいろなことがあったのであろう。子どもに会いたいと彼はいうが、離婚後、一度も会ってはいないそうだ。元妻もほとんど顔を出さない。
 地元には90歳を超える母親がいるが、もはや彼が身を寄せられる場所ではない。
 あまり人付き合いのいいほうではなかった。親族との付き合いも疎遠であった。『現代』や『文春』の編集者たちは退院後もカンパしてくれたりと、何かと面倒を見てくれてはいるが、60をいくつか過ぎた松田の老後は、大変であろうと思わざるを得ない。
 それでなくともノンフィクション・ライターの老後は生きがたい。私は、そうしたケースをいやというほど見てきている。
 若い時は花形ライターとしてもてはやされ、稼ぎもかなりのものがあった。
 しかし、当然ながらこの仕事には退職金もなければ、年を食ったからといって原稿料が上がるわけでもない。
 有名なノンフィクション賞をとり、何冊も本を出したが、そのほとんどが絶版になっているから、印税もない。
 出版社は、ノンフィクションは売れないからと言って、そうしたライターたちの支えになる雑誌まで潰してしまった。
 長い時間をかけて資料を漁り、読みこみ、取材してまとめても、初版はせいぜい数千部。重版されることは稀である。
 本田靖春さんのことを少し書いておこう。ノンフィクション作家として一時代を築いた本田さんだったが、50代半ばから重い糖尿を患い、60になるあたりから執筆できなくなっていた。
 だが、糖尿のためのインシュリンは毎週打たなければいけない。今はたしか保険が適用されるが、その頃はかなりの額を払わなければならない。行き帰りにはタクシーを使うとかなりの物入りになった。
 私は『週刊現代』の編集長で、本田さんに連載を書いてもらっていたが、中断していた。私の一存で、休載中も本田さんに毎週原稿料を払い続けた。
 それは、彼のような優れたノンフィクションを書く作家が苦しんでいるのに、出版社が救わなくていいわけはない。たとえ、背信行為、横領だといわれようと、俺は本田さんのためにできることをやるという思いからだった。
 私が編集長を辞めるまでの3年以上に渡って、本田さんに払い続けた。残念ながら、連載を再開することはなかったが。
 本田さんからは、君のおかげで生き延びることができたといわれたが、編集者として当然のことをやったまでだ。
 本田さんはその後、『月刊現代』で「我、拗ね者として生涯を閉ず」を亡くなる直前まで連載してくれた。編集者冥利に尽きるというものである。
 今のままではノンフィクションなどを書く人間はいなくなってしまう。それでもいいと出版社はいうだろう。しかし、70年代初めに起きたノンフィクション勃興期を知っている世代は、今の惨状を少しでもよくするために何ができるか、出版社はもちろんのこと、現場の編集者たちにも真剣に考えてほしいと思う。
 出版社は、執筆する人間がいて成り立つこと、今さら言うまでもないが、忘れているアホな経営陣がいることは間違いない。
 松田のような人間一人助けられなくて、出版社社員だとか編集者だとかいうな。彼を病室に送りながら、松田の背中にそう吠えたくなった。

 第1位は、『ポスト』の安倍政権の考えていることは75歳まで働けということだと喝破している巻頭特集。
 要は、年金・医療・介護を合わせた社会保障制度を「革命的」に悪くさせようというものだということである。
 『ポスト』の小見出しを見ただけで、よくわかる。

 「高齢者は働いて社会保障の“支え手”になれ」
 「楽隠居は認めない。死ぬまで働け」
 「健康なうちは年金を支給しない」
 「自己責任で老後資金を捻出せよ」
 「90歳になるまで医療費は3割負担で」
 「高齢者は介護施設から出てってくれ」
 「でも、子供や孫世代からも搾取します」

 『ポスト』はこう結ぶ。

 「安倍首相が『成長戦略』を話し合う未来投資会議で介護や医療の論議をしていること自体、社会保障を高齢者のためでも子孫のためでもなく、金儲けの種としか考えていない証拠なのだ」

 何も付け加えることはない。『ポスト』のいうとおりである。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 生徒が練習で長時間拘束され、勉強のための時間や心の余裕を失う「ブラック部活」の問題。「自分の若い頃にはこれくらい普通だった」という意見がよく出るのだが、科学的な理論にもとづくスポーツの指導は日々進化している。シンプルに「勝利をめざすため」「達成感を得るため」なら、精神論ばかりでなく効率も考えられるべきだろう。

 ブラック部活は生徒だけでなく、顧問の教員にとってもブラックなものだ。とにかく休み返上で働くのが偉い!という価値観は、過去にはそれなりに美徳として認められていたものの、いまや時代にそぐわないようだ。すると、いままで「アリ」であっても「ナシ」となる。夫である教員が部活動の顧問として忙しく、そのしわ寄せを受けて妻が孤独に苦しむ「部活未亡人」なる言葉。教育現場では昔から語られてきたが、最近とみに注目が集まっている。

 特に教員になりたての若手は、ベテランよりも授業に不慣れで、家に持ち帰る雑務も多くなる。加えて野球部などの「重い」部活を担当してしまうと、手を抜かない限り、家に帰る頃にはもうヘトヘトだ。自然と家庭でも会話が少なくなる。生徒たちと向き合う夫を、妻が支えている……という構図は美しいようだが、子育て真っ最中の頃とバッティングすると悲劇的。夫に落ち着いて悩みを相談する時間もとれない。きつい時期なのに放っておかれるとは。

 思いおこせば、昔からどの学校にも部活に熱心な先生がいたものだ。だが、なかなかその多忙さ、ましてや奥さんのことまでおもんぱかることはなかった。いま、生徒・教員の両面から適切な部活の在り方が問われている。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 デビュー以来、快進撃を続ける将棋の最年少プロ棋士、藤井聡太四段(15歳)。連勝は29勝でストップしたが、その後も並み居る先輩棋士たちに挑み、白星を重ねている。

 その藤井四段が幼児期に受けた教育法が注目されている。3歳で入園した幼稚園で導入されていた「モンテッソーリ教育」だ。

 モンテッソーリ教育は、20世紀初頭にイタリアの女性医師マリア・モンテッソーリによって考案された教育法だ。障害をもつ子どもの教育に携わり、大きな成果を上げたモンテッソーリは、1907年に設立した貧困家庭の健常児を対象とした保育施設「子どもの家」で、その教育法を確立した。

 モンテッソーリ教育では、人間が完成するのは24歳頃とされ、それまでの発達段階を4段階に区切っている。その教育の目指すところは、「自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢を持った人間に育てる」ことだ。

 「子どもは、自らを成長・発達させる力をもって生まれてくる。大人(親や教師)は、その要求を汲み取り、自由を保障し、子どもたちの自発的な活動を援助する存在に徹しなければならない」と考えられているため、教師は「教える人」ではなく、子どもを観察し、自主活動を援助するといった位置づけだ。

 脳生理学に基づき、さまざまな能力の獲得には、それぞれに最適な時期があると気づいたモンテッソーリは、これを「敏感期」と名付けて、その能力を最大限に発揮できるようにする教育方法を考案。それぞれの敏感期に合わせて、「日常生活の練習」「感覚教育」「言語教育」「算数教育」「文化教育」の5つの領域ごとに教具(知育玩具)が用いられるのも特徴だ。

 子どもたちは、集団で同じことをするのではなく、その教具の中から好きなものを自由に選んで遊びながら学んでいく。援助者である大人たちは、子どもが自発的に活動を始めるまで根気強く誘導し、子どもが集中しはじめたら見守るだけだ。

 藤井四段の集中力や直感力の原点は、モンテッソーリ教育を導入していた幼稚園で過ごした3年間にあったようだ。

 通常、教師や親などの大人は、子どもに対して、つい「教える人」になりがちだ。また、大人の一方的な都合で子どもの活動を妨げたり、ついつい手を出しすぎてしまったりすることがある。だが、モンテッソーリ教育では、「子どもはできないのではなく、どうやったらいいか知らないだけなので、子どもたちが100%自己教育力を発揮できるように」環境を整えされすればいいという考えだ。

 過保護になりすぎると、親は子どもの一挙手一投足が心配だ。だが、子どもに自立性を促したいなら、その心配はグッとこらえて、見守る忍耐力が必要なのかもしれない。

 モンテッソーリ教育を受けた著名人は、藤井四段のほかに、アマゾンの創立者ジェフ・ベゾス、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ、俳優で映画監督のジョージ・クルーニー、「アンネの日記」のアンネ・フランクなど、世界に影響力を与えている人が数多く存在する。

 子どもを天才にしたいなら、自主性と感性を育てられるような環境づくりをしてみてはいかがだろうか。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 ビジネスの世界で有名な「AIDMA(アイドマ)の法則」は、消費者が商品を購入するまでの心の動きを段階的に示した用語だ。Attention(注意)→Interest(関心)→Desire(欲求)→Memory(記憶)→Action(行動)の頭文字をとったもの。たとえば、テレビや広告で商品を認知したとき(=Attention)を起点として、興味が出てくる→欲しくなる→商品について心に焼きつけられる……という過程をたどり、購入に至る(=Action)わけである。

 AIDMAの法則は戦前から語られているもので、購買行動プロセスとしては最もポピュラーといえそうだが、類似のモデルはいくつか提唱されている。電通がインターネット時代を反映して2005年に発表(商標登録)した「AISASの法則」は特に知名度が高い。

 AISASでは、Attention→Interestまでは同じだが、その後は、Search(検索)→Action(行動)→Share(情報共有)という流れで説明される。なるほど、関心を持ったらまずは「ググって」みることは、日常的になっている。そこで商品が信頼に足ると思えば、さっそく購入となる(いまやネットショッピングが全盛で、リアルの店舗にわざわざ足を運ぶ必要もない)。さらに実際に使ってみて、よいものとなればSNSなどでシェアされる。現代型の口コミは、またたく間に拡散する強力な「広告」といえ、AIDMAの法則はこの視点が抜けている点で少しオールドな印象も受ける。

 これらの消費モデルを理解した上で、ヒットに向けた様々な仕掛けを繰り出しているのがマーケティング業界だ。やみくもに商品の宣伝をしても効果は期待できない。まずは人の心を理解して、戦略的に宣伝することが重要なのである。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 北戴河は中国・北京近郊(約270キロ)にある河北省の保養地。海沿いにあり、この地で毎年夏、中国共産党の幹部と長老らが重要課題や人事について話し合うことで知られる。

 北戴河会議は党大会や中央委員会総会の準備的会合との位置づけだ。会議内容は公表されない。

 いつ頃から始まったかは不明だが、「水泳が好きで避暑のため当地によく滞在した毛沢東指導下ではないか。1950年代だろう」というのが通説だ。

 避暑地であることから、党幹部らが夏休み気分で集まる、というわけではない。水面下で激しい権力闘争や駆け引きが繰り広げられるというのだ。中国共産党の権力闘争の構図は(1)習国家主席(党総書記)の派閥、(2)江沢民元総書記の「江派」、(3)胡錦濤(こ きんとう)前総書記系の共産主義青年団(共青団)グループという、3つの派閥から成り立っている。

 とりわけ今年の北戴河会議は緊張感が増していたという。今秋に5年に1度の党大会(第19回)が開催されるからだ。党大会では、習近平政権2期目の指導部人事、習氏への権力集中を進める党規約改正などの取り扱いが焦点で、せめぎ合いが強まっているとの観測が専らだ。

 その一つが、会議直前の2017年7月14日に行なわれた孫政才(そんせいさい)・共産党政治局員の摘発だ。重慶市トップだった孫氏のバックには、江派や温家宝氏(胡錦濤政権で首相)がついていたとの見方もある。

 孫氏の後任には陳敏爾(ちんびんじ)氏(貴州省党委書記)が就いた。同氏は、習氏の浙江省勤務時代の部下だった。重慶市トップは首都・北京市トップなどとともに党指導部である政治局員が務めるのが通例。陳氏も指導部入りし、習政権の中枢を固めるものとみられる。習氏は同じく福建省時代からの側近、蔡奇(さいき)氏を北京市トップに抜てきしている。

 北戴河会議、秋の党大会を通して習氏は共産党指導部で、自派の多数派形成を推し進めるとみられる。
   

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 人気男性俳優ら今をときめく男子たちを足して割ったようなイケてるメンズ(=イケメン)のこと。

 モデル兼俳優の花沢将人(28)がその代表格とされており、綾野剛(35)に菅田将暉(すだ・まさき)(24)、そのうえ成田凌(りょう)(23)に赤西仁(じん)(33)……ほか、名だたるイケメンがハイブリッドされていると評判……なんだそう。

 筆者のような50代のオジサン世代からすれば、「複数のイケメンに例えることができる顔立ち=特徴と印象の薄いハンサム」としか思えないのだけれど、近年若い世代のあいだでは、そういう「突出感の無さ」がイケメンという概念、ひいては社会適合における処世術の主流となりつつあるようだ。

 とは言え、「一人のイケメンだけに偏って似ている」のは、たとえば「郷ひろみに似ている=若人(わかと)あきら(現・我修院達也(がしゅういん・たつや))」といった残念(?)なケースに到りがちなのもまた事実であり(※綾野剛だけに似ている男性はパチンコ屋や競馬場でよく見かける)、「似ているのバイブリッド」こそが、イマドキのするっとした塩顔系イケメンの基本概念なのかもしれない。

 ちなみに一昔前の筆者は、合コンやキャバクラなどに行くたび「筧利夫(かけい・としお)に似てる〜」と、かならず言われていたものだが、正直なところ全然うれしくはなかった。「○○に似ている」は、細心の注意を払って相手に告知しないと“褒め言葉”にはならないのである。
   

   

ゴメスの日曜俗語館 / 山田ゴメス   


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