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  11. 崇神天皇
国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典

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国史大辞典
崇神天皇
すじんてんのう
『古事記』『日本書紀』などの皇室系譜では第十代の天皇。開化天皇の皇子。『日本書紀』によれば母は伊香色謎(いかがしこめ)命(『古事記』では伊迦賀色許売(いかがしこめ)命)と伝える。御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)天皇(御真木入日子印恵(みまきいりひこいにえ)命)、御真木(みまき)天皇、美万貴(みまき)天皇などともよぶ。『古事記』に「所知初国」天皇、『日本書紀』に「御肇国天皇」と称していることが注目される。記紀では師木水垣(磯城瑞籬、しきのみずがき)宮に宮居したと所伝する。疫病が流行したので三輪山の神を祭祀し、また墨坂神・大坂神に奉幣し、さらに四道(記は三道)に将軍を派遣したり、武埴安彦(たけはにやすひこ、建波邇安(たけはにやす)王)の叛乱を鎮定したり、あるいは男女の調(みつぎ、貢物)を定めたことなどが記紀にみえる。紀には天照大神と倭(やまと、大和)の大国魂神の二神を殿内に祭るのをやめ、天照大神を倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に遷したことや三輪君(みわのきみ)の始祖とする大田田根子(おおたたねこ)に三輪の大物主神を祭らせ、倭直(やまとのあたえ)の祖とする長尾市(ながおち)に大和の大国魂神を祭らせたことなどを記載する。また紀には出雲の神宝をめぐる説話などを伝える。『常陸国風土記』には美万貴天皇の代のこととする伝承を記し、『古語拾遺』には磯城瑞垣朝(崇神天皇の代)に関する説話などを載す。「所知初国」天皇(記)・「御肇国天皇」(紀)とする崇神天皇が、事実上の初代の王者であるとみなす説があり、神武天皇を「始馭天下之(はつくにしらす)天皇」(紀)と表現するのは、皇室の起源をさらに古くするための造作であるという。この「所知初国」「御肇国」天皇の表現は、記紀の編纂者らの天皇観にもとづく歴史意識の投影であり、これをただちに史実とみなすことはできない。崇神天皇の伝承などにみられる三輪山を中心とする政治勢力を三輪王朝(三輪王権)とよび、河内を基盤とする新たな政治勢力を河内王朝(河内王権)とする説などもあり、また北方大陸系の騎馬民族が征服王朝を樹立したとする騎馬民族征服王朝説では、騎馬民族の後裔である崇神天皇に象徴される勢力が北九州に入って第一回の「建国」をなし、北九州から畿内に進出した応神天皇によって第二回の「建国」がなされたと解釈する。このように崇神天皇とその時期は、さまざまに評価されているが、文献伝承のみならず考古学の研究成果および東アジアの情勢のなかで綜合的に考察する必要がある。『古事記』には戊寅年十二月、百六十八歳で崩じたとあり、『日本書紀』には六十八年十二月五日、百二十歳で崩じたとある。→騎馬民族説(きばみんぞくせつ),→はつくにしらすすめらみこと
[参考文献]
江上波夫『騎馬民族国家』(『中公新書』一四七)、上田正昭『大和朝廷』(『角川選書』六二)
(上田 正昭)

山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)

 奈良県天理市柳本町字向山アンドにある。ニサンザイ古墳ともよばれる。主軸の長さ約二三七メートルの前方後円墳。崇神天皇陵について、『古事記』には「御陵在〓山辺道勾之岡上〓也」、『日本書紀』には「葬〓于山辺道上陵〓」とあり、『延喜式』諸陵寮には「山辺道上陵(磯城瑞籬宮御宇崇神天皇、在〓大和国城上郡〓兆域東西二町、南北二町、守戸一烟)」とし遠陵とする。崇神天皇陵の南約六〇〇メートルに、西に前方部を向けて存する景行天皇陵と錯雑されてきた。景行天皇陵は向山古墳ともいわれている。蒲生君平は『山陵志』でニサンザイ古墳を景行天皇陵、向山古墳を崇神天皇陵となした。谷森善臣は『山陵考』でこの反対の考察をなし、この説が認められ、現在、宮内庁で治定されている。筆者は、ニサンザイ古墳と向山古墳を比較し、ニサンザイ古墳の方が型式の上で築造年代が古いものとなし、ニサンザイ古墳を崇神天皇陵とすることが適切であるとした。そして崇神天皇陵は古代山陵の中で最も正しく、かつ古くさかのぼるものとなした。
[参考文献]
斎藤忠「崇神天皇に関する考古学上よりの一試論」(『古代学』一三ノ一)
(斎藤 忠)


新版 日本架空伝承人名事典
崇神天皇
すじんてんのう
 第一〇代に数えられる天皇。和名を御間城入彦五十瓊殖みまきいりひこいにえ命という。この天皇が記紀の伝承の中で特に目だつ点は、大物主おおものぬし神をはじめとしてもろもろの国津神くにつかみを祭り、また伊勢神宮の創始に関係したとされることである。『日本書紀』によると、それまで天皇と共殿共床の関係にあった天照大神あまてらすおおかみ豊鍬入姫とよすきいりひめ命に託して宮廷の外に移し、いわゆる神人分離の基をつくった。トヨスキイリヒメは『古事記』に「伊勢大神をいつき祭る」と記され、初代の斎宮さいぐうであるという。このことは、天照大神の霊威が狭い宮廷の枠を超えて国家的な普遍性をもったことを意味し、王権の原始的形態に特徴的にみられる祭政の癒着が廃されて、天皇の政治力に宗教からの相対的な独立性と展開力とをもたらしたのである。それは政治と宗教の新しい結合でもあった。また疫病が流行し人民が死滅しようとしたとき、大田田根子おおたたねこに大物主神を祭らせて危機を切り抜け、さらに大国魂おおくにたま神をはじめとして諸諸の国津神を祭ったという。これらのことは、『出雲国造神賀詞いずものくにのみやつこのかむよごと』が述べるように、土豪のいつく神々が大国主神の分身として「皇孫命すめみまのみことの近き守り神」へと転化したことを物語る。伊勢神宮と斎宮制の成立は、同時に多くの国津神が大国主神へと統合されて天皇の守護神へと再編成されてゆく過程でもあった。神宮の創始と国津神の統合、それによる王権の確立という時期は実年代ではかなり下るものと思われる。しかし、王権と、神宮を頂点とする神々の秩序とは国の始まりとともになくてはならないとする意識が、天皇家の始祖の観念と結合したとき、もろもろの制度や文物をつくり出した王として崇神天皇が語り伝えられたのであった。かくして崇神は、伊勢神宮の創始にかかわった王として「天神地祇あまつかみくにつかみ」の神社を定め、それらの神々によって守護された「御肇国天皇はつくにしらすすめらみこと」と称された。
[武藤 武美]
此の天皇の御世に、〓病多に起りて、人民死にて尽きむと為き。爾に天皇愁ひ歎きたまひて、神牀に坐しし夜、大物主大神、御夢に顕れて曰りたまひしく、「是は我が御心ぞ。故、意富多多泥古を以ちて、我が御前を祭らしめたまはば、神の気起らず、国安らかに平らぎなむ。」とのりたまひき。是を以ちて駅使を四方に班ちて、意富多多泥古と謂ふ人を求めたまひし時、河内の美努村に其の人を見得て貢進りき。
古事記中巻


世界大百科事典
崇神天皇
すじんてんのう

第10代に数えられる天皇。和名を御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命という。この天皇が記紀の伝承の中で特に目だつ点は,大物主(おおものぬし)神をはじめとしてもろもろの国津神(くにつかみ)を祭り,また伊勢神宮の創始に関係したとされることである。《日本書紀》によると,それまで天皇と共殿共床の関係にあった天照大神(あまてらすおおかみ)を豊鍬入姫(とよすきいりひめ)命に託して宮廷の外に移し,いわゆる神人分離の基をつくった。トヨスキイリヒメは《古事記》に〈伊勢大神を拝(いつ)き祭る〉と記され,初代の斎宮(さいぐう)であるという。このことは,天照大神の霊威が狭い宮廷の枠を超えて国家的な普遍性をもったことを意味し,王権の原始的形態に特徴的にみられる祭政の癒着が廃されて,天皇の政治力に宗教からの相対的な独立性と展開力とをもたらしたのである。それは政治と宗教の新しい結合でもあった。また疫病が流行し人民が死滅しようとしたとき,大田田根子(おおたたねこ)に大物主神を祭らせて危機を切り抜け,さらに大国魂(おおくにたま)神をはじめとして諸々の国津神を祭ったという。これらのことは,《出雲国造神賀詞(いづものくにのみやつこのかむよごと)》が述べるように,土豪の斎(いつ)く神々が大国主神の分身として〈皇孫命(すめみまのみこと)の近き守り神〉へと転化したことを物語る。伊勢神宮と斎宮制の成立は,同時に多くの国津神が大国主神へと統合されて天皇の守護神へと再編成されてゆく過程でもあった。神宮の創始と国津神の統合,それによる王権の確立という時期は実年代ではかなり下るものと思われる。しかし,王権と,神宮を頂点とする神々の秩序とは国の始まりとともになくてはならないとする意識が天皇家の始祖の観念と結合したとき,もろもろの制度や文物をつくり出した王として崇神天皇が語り伝えられたのであった。かくして崇神は,伊勢神宮の創始にかかわった王として〈天神地祇(あまつかみくにつかみ)〉の神社を定め,それらの神々によって守護された〈御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)〉と称された。
→伊勢神宮
[武藤 武美]

[索引語]
御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命 大物主(おおものぬし)神 伊勢神宮 天照大神 豊鍬入姫(とよすきいりひめ)命 斎宮 御肇国天皇
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検索コンテンツ
1. 崇神天皇
日本大百科全書
民族征服王朝説では、騎馬民族の後裔(こうえい)である崇神天皇は、まず北九州に入って第一次の「建国」をなしたと解釈している。このように崇神天皇の代はさまざまに評価 ...
2. 崇神天皇
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4. すじん‐てんのう[‥テンワウ]【崇神天皇】
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第一〇代の天皇。開化天皇の皇子。母は伊香色謎命(いかがしこめのみこと)。御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)天皇・御間城天皇・御肇国天皇(はつくにしらすす ...
5. すじんてんのう【崇神天皇】
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7. すじんてんのう【崇神天皇】
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8. すじんてんのう【崇神天皇】
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いとする意識が、天皇家の始祖の観念と結合したとき、もろもろの制度や文物をつくり出した王として崇神天皇が語り伝えられたのであった。かくして崇神は、伊勢神宮の創始に ...
9. 崇神天皇[文献目録]
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13. あいづぐん【会津郡】福島県:陸奥国
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日本大百科全書
を祖とするが、『古事記』では大彦命の子建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)を祖としている。崇神天皇(すじんてんのう)10年に大彦命を北陸に、武渟川別(たけぬな ...
21. 阿倍氏
世界大百科事典
はせつかべ)がこの方面に多く分布することからも察せられるが,伝承の上でも大彦命と建沼河別命は崇神天皇のとき,四道将軍としてそれぞれ北陸と東海方面へ派遣されており ...
22. あべうじ【阿倍氏】画像
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23. あまつ 社(やしろ)
日本国語大辞典
のあまつ社のうれへには心よせなれくものうへ人」*保元物語〔1220頃か〕上・将軍塚鳴動「昔、崇神天皇の御時、天津社(あまつやしろ)、国津社を定めおかれてより此か ...
24. あまつやしろ・くにつやしろ【天社・国社】
国史大辞典
示すものとせられる。『日本書紀』崇神天皇七年十一月条に群神を祭り、天社・国社を定めたとみえている。天社は天神(あまつかみ)を、国社は地祇(くにつかみ)を祭った神 ...
25. あまてらすおおみかみ【天照大神】
国史大辞典
に関する起源の物語で、実際に天皇の大殿に倭大国魂神とともに奉斎されていた。その後『日本書紀』崇神天皇六年条には天照大神と同殿に共住するのを安からずとして、豊鍬入 ...
26. あめのいわとわけじんじゃ【天石門別神社】岡山県:英田郡/英田町/宮地村
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27. あめのむらくものつるぎ【天叢雲剣】
国史大辞典
鏡と玉)とともに、孫の彦火瓊瓊杵(ひこほのににぎ)尊に授けて天下らせ、以来皇居に安置された。崇神天皇のとき、神威をおそれて剣を神鏡とともに皇居から遷して大和の笠 ...
28. 荒魂
世界大百科事典
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30. いくたまよりひめ【活玉依〓
国史大辞典
タマヨリヒメの名は古代の物語に数多く登場する。イクタマヨリヒメはそれに「イク」と冠称したもので、『古事記』崇神天皇段に河内の陶津耳(すえつみみ)命の娘で美人であ ...
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世界大百科事典
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32. 伊佐須美神社
世界大百科事典
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33. いさすみ‐じんじゃ【伊佐須美神社】
日本国語大辞典
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34. いさすみじんじゃ【伊佐須美神社】福島県:大沼郡/会津高田町/高田村
日本歴史地名大系
そのうちの一社で名神大社である。社伝によれば、「古事記」にみえる四道将軍派遣にまでさかのぼる。崇神天皇により派遣され、北陸を進んだ大毘古命と、東海を進んだその子 ...
35. いしきりつるぎやじんじゃ【石切剣箭神社】大阪府:東大阪市/旧枚岡市地区/芝村地図
日本歴史地名大系
俗に「石切さん」「デンボの神さん」とよばれる。社伝によれば神武天皇二年宮山に上之社が建てられ、崇神天皇の代に下之社に可美真手命が祀られたといわれ(天文五年「遺書 ...
36. いするぎひこじんじゃ【伊須流岐比古神社】石川県:鹿島郡/鹿島町/蟻ヶ原村
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37. いずのくに【伊豆国】静岡県
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さらに「万葉集」巻二〇には、大伴家持が「伊豆手舟」について詠んだ歌二首が載せられており、「日本紀略」は崇神天皇の時のこととして伊豆国から大船が献上されたことを記 ...
38. いずみのくに【和泉国】大阪府地図
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39. いずもこくそうかん【出雲国造館】島根県:松江市/旧意宇郡地区/大庭村
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神武(じんむ)天皇より崇神(すじん)天皇の代まで同床共殿、すなわち皇居の中にともに祀っていた。しかし、崇神天皇はそれを畏(おそ)れ多いこととして別殿で祀ることと ...
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伊雑宮に五社あり、さらに外宮にも四社がある。それぞれ由緒があり、年中恒例の祭祀が行われる。『日本書紀』崇神天皇六年条によると、もと宮中殿内に祭ってあったのを、畏 ...
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「崇神天皇」の情報だけではなく、「崇神天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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『日本書紀』では第二十一代で、大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)天皇と表記し、『古事記』では大長谷若建命と表記する。允恭天皇第五子。母は忍坂大中姫命。兄の安康天皇が眉弱(まよわ)王に暗殺されると、王と王を保護した葛城円(かずらきのつぶら)
安康天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』では第二十代の天皇。諱は穴穂皇子。允恭天皇第二子。母は忍坂大中姫命。兄の木梨軽皇子を物部大前宿禰の家に殺して即位し、宮を大和山辺郡石上(奈良県天理市)に移して、石上穴穂宮と称した。さらに大草香皇子を殺し、その妻を皇后としたため、皇后が大草香皇子との
允恭天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』では第十九代の天皇。諱は雄朝津間稚子宿禰。仁徳天皇皇子。母は磐之媛。履中・反正天皇の同母弟。忍坂大中姫を皇后とし、刑部を定め、木梨軽皇子、安康・雄略両天皇を生み、また皇后の妹衣通郎姫を妃とし、そのため藤原宮をたて、藤原部を定めたという。甘檮岡の盟神探湯により
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