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国史大辞典・日本大百科全書

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国史大辞典
景行天皇
けいこうてんのう
『日本書紀』『古事記』に第十二代と伝える天皇。大足彦忍代別天皇(記には大帯日子淤斯呂和気天皇)・大足日子天皇などという。父は垂仁天皇、母は丹波道主王の女、皇后日葉洲媛命。垂仁天皇三十七年に立太子、同九十九年父天皇の崩後即位し纏向日代宮に都したとされる。皇后播磨稲日大郎姫との間に日本武尊、同八坂入媛命との間に成務天皇・五百城入彦皇子があったほか、計八十人の皇子女があり、上記三皇子以外はみな諸国に赴かせ、その苗裔がそれぞれの国の別(わけ)となったという。記紀の所伝には、皇室による全国支配の確立をこの時期におこうとする意識が強くみられる。治世の間の主要な所伝として、日本武尊の西征・東征がある。紀には記にみられぬ天皇自身の熊襲征討と筑紫巡幸・東国行幸のことを記すが、日本武尊の説話に加上した後次的な所伝であろう。在位六十年、百六歳(記では百三十七歳)で近江の志賀高穴穂宮に没し、翌々年大和の山辺道上陵に葬られたと伝えられる。→志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや),→纏向日代宮(まきむくのひしろのみや),→日本武尊(やまとたけるのみこと)
(笹山 晴生)

山辺道上陵(やまのべのみちのえのみささぎ)

 奈良県天理市渋谷町にある前方後円墳。『日本書紀』『延喜式』によると崇神天皇陵の陵名と同じ。『延喜式』諸陵寮には「在〓大和国城上郡〓、兆域東西二町、南北二町、陵戸一烟」とあり遠陵とする。正治二年(一二〇〇)『諸陵雑事注文』にみえる「大和渋谷」は当陵を指す。江戸時代には所伝が混乱し、幕府は元禄十年(一六九七)の陵改め以来、当所を崇神・景行いずれかの天皇陵とし、安政二年(一八五五)崇神天皇陵に考定、元治元年(一八六四)民地を買収して周濠を整え、拝所を設け、翌慶応元年(一八六五)二月竣工直前に景行天皇陵に改定した。西面する代表的な古式古墳で、長さ二九〇メートル、前方部幅一六五メートル、高さ二二・三メートル、後円部径一七〇メートル、高さ三六・一メートル、十箇に区切られた周濠が巡る。墳丘は前方部四段、後円部五段の段築で、最下段は、前方部が浸蝕で二段目と一体となり、後円部が水没する。前方部両側斜面は、元治の修陵まで阿弥陀堂と観音堂とがあって相当崩れ、墳丘と周濠渡堤の斜面には葺石が遺存し、前方部各段前面と後円部最上・最下段上縁には埴輪円筒列が残る。周濠の原初濠底は、現外堤下に延び、本来は幅広い周濠で、馬蹄形の可能性がある。陵の北側に点在する天皇山・松明山・上山の高塚三基は、当陵陪塚として宮内庁所管。当陵出土品には、宮内庁所管の各種埴輪片・須恵〓・古式土師器などがある。元治元年渋谷村出土石枕(関西大学所蔵、重要文化財)を当陵出土とする説がある。
[参考文献]
帝室林野局「景行天皇山辺道上陵之図」(末永雅雄『古墳の航空大観』所収)、谷森善臣『山陵考』(『(新註)皇学叢書』五)、上野竹次郎『山陵』上、宮内庁書陵部陵墓課編『書陵部紀要所収陵墓関係論文集』、奈良県立橿原考古学研究所編「磯城・磐余地域の前方後円墳」(『奈良県史蹟名勝天然紀念物調査会報告』四二)
(石田 茂輔)


日本大百科全書(ニッポニカ)
景行天皇
けいこうてんのう

「世界大百科事典」項目を見る

  • 景行天皇

皇室系譜に第12代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)。垂仁(すいにん)天皇の第3子で、母は日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)である。景行天皇元年に即位して播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)(『古事記』は父を吉備臣(きびのおみ)らの祖若建吉備津日子(わかたけきびつひこ)とする)を皇后とし、日本武尊(やまとたけるのみこと)をもうけたが、同52年に皇后が没したため、妃の一人で皇太子稚足彦尊(わかたらしひこのみこと)(成務(せいむ)天皇)の生母八坂入彦皇子(やさかいりひこのみこ)の女(むすめ)八坂入媛(やさかいりひめ)を皇后にたてた。この間、同4年に纏向(まきむく)(奈良県桜井市穴師(あなし))の日代宮(ひしろのみや)に都を営み、同12年より19年まで九州に遠征して熊襲(くまそ)を平定し、日本武尊に命じて同27年にふたたび熊襲を、同40年に東方の蝦夷(えみし)を討伐させた。さらに同56年には彦狭嶋王(ひこさしまのみこ)の子御諸別(みもろわけ)王を用いて東国経略に成功した。そして同58年、近江(おうみ)国の志賀(しが)(滋賀県滋賀郡・大津市)の高穴穂宮(たかあなほのみや)に移り、在位60年、106歳(一説に143歳、『古事記』では137歳)で没し、山辺道上陵(やまのべのみちのかみのみさざき)に葬られたという。また皇子女多く、『古事記』は77子を諸国に封じたと伝えるが、これは熊襲・蝦夷征討の伝承とともに、大和(やまと)王権成立期の国内征服の記憶が伝説化されたものとみなされる。
[星野良作]

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検索コンテンツ
1. 景行天皇
日本大百科全書
わけのみこと)。垂仁(すいにん)天皇の第3子で、母は日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)である。景行天皇元年に即位して播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ) ...
2. 景行天皇
世界大百科事典
記紀の天皇記に第12代の天皇として伝えられる。諡号(しごう)は〈大足彦忍代別(おおたらしひこおしろわけ)〉という。《日本書紀》は在位60年とし,その間の事跡に九 ...
3. けいこう‐てんのう【景行天皇】
デジタル大辞泉
記紀で、第12代天皇。垂仁天皇の第3皇子。名は大足彦忍代別(おおたらしひこおしろわけ)。皇居は大和纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲(くまそ)を征討、ま ...
4. けいこう‐てんのう[ケイカウテンワウ]【景行天皇】
日本国語大辞典
第一二代天皇。垂仁天皇の第三皇子。名は大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)。日本書紀によれば、垂仁天皇九九年即位し、大和の纏向日代宮(まきむくひし ...
5. けいこうてんのう【景行天皇】
国史大辞典
元治元年(一八六四)民地を買収して周濠を整え、拝所を設け、翌慶応元年(一八六五)二月竣工直前に景行天皇陵に改定した。西面する代表的な古式古墳で、長さ二九〇メート ...
6. 景行天皇(けいこうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 4ページ ...
7. けいこうてんのう【景行天皇】
日本人名大辞典
),東国の蝦夷(えみし)を平定させ,諸国に田部(たべ)と屯倉(みやけ)をもうけたとつたえる。景行天皇60年11月7日死去。106歳。墓所は山辺道上陵(やまのべの ...
8. 景行天皇[文献目録]
日本人物文献目録
『大確小確二皇子生れ給し時景行天皇の確に誥し事 付狭投神社にて国内帳を読む事』栗田寛『景行帝の奇大と「しらぬひ」』杉谷正倫『景行天皇紀を読む』邨岡良弼『景行天皇 ...
9. 景行天皇山陵 (見出し語:景行天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 977ページ ...
10. 景行天皇皇子爲諸國之別 (見出し語:景行天皇)
古事類苑
官位部 洋巻 第1巻 175ページ ...
11. 景行天皇親征態襲 (見出し語:景行天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 734ページ ...
12. 景行天皇親征筑紫諸賊 (見出し語:景行天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 740ページ ...
13. けいこうてんのうしゃ【景行天皇社】愛知県:愛知郡/長久手町/長久手村
日本歴史地名大系
古くは明神祠といわれ、社伝に承和四年(八三七)斎藤道智房らの創建とあり、祭神は大帯日子於斯呂和気命(景行天皇)。初めは根の神に鎮座、慶長九年(一六〇四)加藤太郎 ...
14. あおうまのせちえ【白馬節会】
国史大辞典
御覧になる儀式。正月元日・七日・十六日の三節のうち中儀の節会として重んぜられた七日節会の行事。七日節会は景行天皇五十一年の記事を初見とし(『類聚国史』)、持統朝 ...
15. 赤神(あかかみ)神社
デジタル大辞泉プラス
秋田県男鹿市にある神社。第12代景行天皇御代の創祀とされる。祭神は天津彦火瓊々杵之命(あまつひこほのににぎのみこと)、天手力男命(あめのたじからおのみこと)など ...
16. あかなべむら【茜部村】岐阜県:岐阜市/旧厚見郡地区
日本歴史地名大系
村社で、江戸時代の上茜部村地内にあたる。祭神は神功皇后・応神天皇・品夜和気命とされるが、ほか景行天皇皇子大碓王とする説、美濃国比奈守の祖神とする説もある。「延喜 ...
17. あがたぬし【県主】画像
国史大辞典
称する古社が、県制の存在した地方に残っている。県主のなかには、日向の諸(もろ)県君(『日本書紀』景行天皇十八年条)、対馬の下県直(同顕宗天皇三年条)のほか、美濃 ...
18. あがたぬしじんじゃ【県主神社】岐阜県:美濃加茂市/太田村
日本歴史地名大系
伝える。祭神彦坐王は開化天皇第四皇子で、その皇子神大根王は三野(美濃)国造・本巣国造の祖で、景行天皇の皇子大碓命と神大根王の女弟比売との子押黒弟日子王は牟宜都君 ...
19. あがつまぐん【吾妻郡】群馬県
日本歴史地名大系
じる国道三五三号、長野原から草津町を経て新潟県新井市に通じる国道二九二号が通る。「日本書紀」景行天皇四〇年条に、日本武尊が碓日嶺に登って弟橘媛をしのび「吾嬬はや ...
20. あさくらし【朝倉氏】画像
国史大辞典
越前守護斯波氏の守護代。戦国大名。『越州軍記』では景行天皇、『朝倉始末記』などでは孝徳天皇の皇子表米親王を祖としている。しかし本姓は日下部(くさかべ)氏である ...
21. あさまじんじゃ【浅間神社】山梨県:西八代郡/六郷町/宮原村
日本歴史地名大系
[現]六郷町宮原 上門に鎮座し、表門神社とも称する。勧請時期は不詳だが、「甲斐国志」によれば景行天皇五六年に国造塩海ノ足尼が幣帛を奉納。岩間・葛籠沢・宮原の三ヵ ...
22. あしがらぐん【足柄郡】
国史大辞典
詳細はわからないことが多い。戦国時代、江戸時代の初めには西郡と呼ばれた。足柄の名は『古事記』景行天皇段に足柄之坂本とみえ、『常陸国風土記』には足柄岳坂以東の諸県 ...
23. あしがらとうげ【足柄峠】静岡県:駿東郡/小山町/竹之下村
日本歴史地名大系
峠を越えたとき、亡妻を偲んで「阿豆麻波夜」といったことが東国の地名由来であるとの伝承を載せ(景行天皇段)、「常陸国風土記」にも相模国の「足柄の岳坂」より東の諸県 ...
24. あしがらやま【足柄山】静岡県:駿東郡/小山町
日本歴史地名大系
名由来としてヤマトタケルが足柄坂を通過した際、嘆息して「阿豆麻波夜」といったとの記載があり(景行天皇段)、古くから東西の境界として人々の往来をはばむ交通の難所と ...
25. あしきたぐん【葦北郡】熊本県
日本歴史地名大系
があり、景行天皇の時に吉備津彦命の子である三井根子命を初めて葦北の国造に定めたという(国造本紀)。葦北国は今の葦北郡より北方の、八代市の南部をさすという説もある ...
26. あじきじんじゃ【阿自岐神社】滋賀県:犬上郡/豊郷町/安食西村
日本歴史地名大系
道主貴神。旧県社。創祀年代は未詳だが、庭園は上古期の多島式園池で、県指定名勝。社伝によれば、景行天皇の代に犬上君が創建したといわれる。また渡来系氏族の阿直岐氏が ...
27. あずまのくにのみやつこ【東国造】
国史大辞典
『古事記』景行天皇段に、倭建命(日本武尊)が東国の蝦夷を征しての帰途、甲斐の酒折宮で、「にひばりつくばをすぎていくよかねつる」と詠んだ時、「かかなべてよにはこ ...
28. あずみの-ももたり【阿曇百足】
日本人名大辞典
古代伝承上の豪族。阿曇氏の祖。肥前値嘉(ちか)郷(長崎県)には景行天皇の九州巡幸にしたがった伝承があり,播磨(はりま)(兵庫県)揖保(いぼ)郡には孝徳天皇に百枝 ...
29. あそうじ【阿蘇氏】画像
国史大辞典
られる。神武皇孫の健磐竜命が阿蘇に封ぜられ、その子速瓶玉命が阿蘇国造となって阿蘇氏を賜わり、景行天皇の時に勅命により阿蘇神社を創始し、代々阿蘇君として健磐竜命を ...
30. あそぐん【阿蘇郡】熊本県
日本歴史地名大系
光道路があり、阿蘇登山道路坊中線・赤水線・吉田線、仙酔峡道路と名付けられている。「日本書紀」景行天皇一八年六月一六日条に阿蘇国とあり、「肥後国風土記」逸文に閼宗 ...
31. あそじんじゃ【阿蘇神社】熊本県:阿蘇郡/一の宮町/宮地村
日本歴史地名大系
噴火は神の意志が表される異常な事態として受けとめられていたということができよう。「日本書紀」景行天皇紀に、天皇が阿蘇に至り、広漠として人跡がないため、人はいるか ...
32. あそつひこ【阿蘇都彦】
日本人名大辞典
「日本書紀」にみえる神。景行天皇は熊襲(くまそ)を討ったのち,筑紫(つくし)などをめぐり,阿蘇国についた。野がひろく,人家もみえないので「この国に人がいるか」と ...
33. あそつひめ【阿蘇都媛】
日本人名大辞典
「日本書紀」にみえる神。景行天皇が阿蘇国をおとずれたとき,野がひろく,人家もみえないので「この国に人がいるか」とたずねると,阿蘇都彦とともに「私たち2人がいます ...
34. あそのくに【阿蘇国】
国史大辞典
古代国郡制施行以前、現在の熊本県阿蘇郡地方にあった国。景行天皇が阿蘇国に巡行した時、郊野が曠遠で人影を見なかったので、「是の国に人が有りや」と問うた。すると阿 ...
35. 朝臣
世界大百科事典
(やくさのかばね)の第2位。主として旧姓が臣(おみ)であった有力な氏族に授けられ,系譜的には景行天皇以前の諸天皇の子孫であると称する皇別(こうべつ)の氏族である ...
36. あそん【朝臣】
国史大辞典
、それらの氏を分類すると、旧姓臣三十九氏、旧姓君十一氏、旧姓連二氏、出自によって分類すると、景行天皇以前の皇裔四十四氏、天神系四氏、地祇系三氏である。これによる ...
37. あつかや【厚鹿文】
日本人名大辞典
「日本書紀」にみえる豪族。熊襲(くまそ)の首長のひとり。景行天皇12年天皇の和解策に応じ,ふたりの娘を天皇と結婚させたが,姉娘の市乾鹿文(いちふかや)にうらぎら ...
38. あつたごう【熱田郷】愛知県:尾張国/愛智郡
日本歴史地名大系
すなわち草薙剣は、尾張国吾湯市村にあり、これが熱田の祝部が奉祀する神であるというのである。また、景行天皇紀五一年条には、草薙剣に関して、「初め、日本武尊の佩せる ...
39. あつたじんぐう【熱田神宮】画像
国史大辞典
鎮座。旧官幣大社で、三種神器の一つである草薙神剣を祀り、伊勢の神宮につぐ由緒ある大社である。景行天皇の代、皇子日本武尊は東夷征討の際、伊勢の神宮に詣でて斎王倭姫 ...
40. あなだごう【穴田郷】岡山県:備中国/下道郡
日本歴史地名大系
中世以降に関する限り、後者の説が妥当であるが古代についてはなお検討の余地もある。「日本書紀」景行天皇五一年八月四日条に、日本武尊の妃で武卵王・十城別王の母として ...
41. あなのうみ【穴海】広島県:深安郡
日本歴史地名大系
と考えられる。このような神辺平野を含む福山湾一帯を穴海といったのではなかろうか。「日本書紀」景行天皇二七年一二月条に、日本武尊の熊襲征伐の帰途を記して「既にして ...
42. あなふきじんじゃ【穴吹神社】奈良県:奈良市/都南地区/古市村
日本歴史地名大系
」、長承二年(一一三三)の「春日大明神垂跡小社記」には「穴栗」とみえる。鎮座地は「日本書紀」景行天皇五五年二月五日条に「春日の穴咋邑」として現れ、小字穴栗がアナ ...
43. あねさきじんじゃ【姉埼神社】
国史大辞典
大雀(おおささぎ)命など十柱を奉斎する。社伝によると日本武尊東征の折、風神を奉祀せられ、のち景行天皇巡幸の折に日本武尊を合祀したのに創まるという。元慶元年(八七 ...
44. あびこ【我孫】
国史大辞典
依羅(よさみ)我孫・葛江我孫・山部阿弭古など、地名や部の下に付けて姓として用いることが多い。山部阿弭古が景行天皇に冷水を献じた話や、依網屯倉阿弭古が異鳥を捕えて ...
45. あびらつじんじゃ【吾平津神社】宮崎県:日南市/平野村
日本歴史地名大系
天児屋根命を合せ祀る。旧郷社。祭神については、神武天皇の妃である吾平津毘売命とする説のほか、景行天皇妃である八坂之入日売命とする説などもある(「日向地誌」など) ...
46. あぶぐん【阿武郡】
国史大辞典
国造は、大井川下流一帯を基盤にその周辺を阿武国として支配したもので、「阿牟君」(『日本書紀』景行天皇四年条)がその氏族名。管内の一部を割いて七世紀後半阿武郡が成 ...
47. あぶぐん【阿武郡】山口県
日本歴史地名大系
「国造本紀」に「阿武国造」がみえるが、大井川下流一帯を基盤にしてその付近を支配したものと思われ、「日本書紀」景行天皇四年の条にみえる「阿牟君」(「日本後紀」弘仁 ...
48. 天津神社
デジタル大辞泉プラス
新潟県糸魚川市にある神社。第12代景行天皇の御代の創祀とされる。祭神は天津彦々火瓊々杵尊(あまつひこひこほににぎのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、 ...
49. あまてらすおおみかみ【天照大神】
国史大辞典
現在の伊勢神宮の地に鎮祭したとある。それ以来天皇統治の太祖として、ひいてはその祖先神として奉斎され、景行天皇二十年条に五百野皇女(いおののひめみこ)を遣わして天 ...
50. あまべぐん【海部郡】大分県:豊後国
日本歴史地名大系
営されていることから、この時期に郡域の人々も海部に編入されたと考えられる。「豊後国風土記」の景行天皇伝説で、周防国佐婆津から出航した天皇王軍が「海部郡宮浦」に上 ...
「景行天皇」の情報だけではなく、「景行天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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