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成務天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『成務天皇』の国史大辞典・日本大百科全書のサンプルページ

国史大辞典
成務天皇
せいむてんのう
『古事記』『日本書紀』に伝える第十三代の天皇。和風諡号は稚足彦(わかたらしひこ)尊。第十二代景行天皇の第四子で、母は皇后八坂入姫(やさかのいりびめ)命。景行天皇の皇子日本武尊の没後、景行天皇五十一年に立太子し、同六十年に天皇が崩じた後、翌年正月即位したという。后妃・子女について書紀には伝えがないが、『古事記』には穂積臣らの祖、建忍山垂根(たけおしやまたりね)の女弟財郎女(おとたからのいらつめ)を娶り、和訶奴気(わかぬけ)王を生んだとある。志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや)にあって治政を行い、武内宿禰を大臣とし、地方支配のために国造・県主(書紀では稲置)を置き、国々の境界を画定したと伝えられるが、その事蹟に関する記述は著しく簡略かつ抽象的で、日本武尊や神功皇后の説話を介して景行と応神以降の系譜とを結ぶため、のちに歴代に加えられた疑いが強く、実在性に乏しい。四十八年に日本武尊の子足仲彦(たらしなかつひこ)尊(仲哀天皇)を皇太子とし、六十年、百七歳(記では九十五歳)で崩じ、狭城盾列(さきのたたなみ)陵に葬られたといい、記ではその崩年の干支を乙卯とする。
(笹山 晴生)

狭城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)

奈良市山陵町にある。江戸時代には「石塚山」という。陵号は『日本書紀』は神功皇后陵と同一の「狭城盾列陵」、『続日本後紀』は「楯列南山陵」、『扶桑略記』は「池後山陵」、『東大寺要録』は「狭城盾陳池後陵」とする。『延喜式』諸陵寮は現陵号で「在〓大和国添下郡〓、兆域東西一町、南北三町、守戸五烟」とし遠陵に列する。当初陵号が神功皇后陵と同一のため、両陵の混乱を生じ、『続日本後紀』承和十年(八四三)四月己卯条に、神功皇后陵の奇異により図録を捜検したところ、当陵を世人の相伝により神功皇后陵と誤認して久しく祭祀を行なっていたことが判明した由を記す。以後所伝の混乱はなく、元禄の諸陵探索時には奈良奉行所は当所を分明陵として報告している。墳丘は丘陵上の縁に位置する南面の前方後円墳で、東は市道を隔て狭木之寺間陵が列び、南は高野陵陵域に接し、西と北は急傾斜で低地となる。長軸の長さ二一五メートル、前方部幅一〇九メートル、後円部径一三一メートル、高さ前方部一六メートル、後円部二三メートル、三段の段築で、前方部頂上には埴輪列が遺存する。後円部頂上の西半分に高さ二メートルほどの小丘がある特異な形態は、過去三回の発掘の影響である。初回は康平六年(一〇六三)三月の興福寺僧静範らの盗掘で、『扶桑略記』『百練抄』によれば、十月犯人静範ら十六名を配流し、十二月陵を修復し盗掘された宝物を返納した。二回目は本多政勝が郡山領主在任中のうちで、寛永十一年(一六三四)―承応二年(一六五三)の間に、里人が採石中誤って石棺を掘り出し、棺内に鏡・刀剣があったので届け出たもので、政勝は天皇陵と知り元のごとく埋め戻させたという。しかし文化の山陵図には「御石棺之盍石と相見へ候、長サ一間幅三尺程之石六枚並埋リ有之候」とあり、石室の復旧はしていない。三回目は嘉永五年(一八五二)の勾玉類の盗掘で、奈良奉行所が犯人を捕え磔にし、盗掘坑を復旧、盗品は御所へ届け、月輪陵内に埋納されたという。文久三年(一八六三)陵前の濠を埋め拝所を設け、外堤を築いた。
[参考文献]
末永雅雄編『古墳の航空大観』、上野竹次郎『山陵』上
(石田 茂輔)


日本大百科全書(ニッポニカ)
成務天皇
せいむてんのう

生没年不詳。記紀によれば第13代の天皇。4世紀中ごろの在位となるが明らかでない。稚足彦(わかたらしひこ)天皇ともいう。景行(けいこう)天皇の第4子。母は八坂入媛(やさかいりひめ)。近江(おうみ)の志賀高穴穂(しがたかあなほ)宮(大津市)に都した。穂積(ほづみ)氏らの祖、建忍山垂根(たけおしやまたりね)の女(むすめ)、弟財郎女(おとたからのいらつめ)を妃とする。武内宿禰(たけしうちのすくね)を大臣(おおおみ)とし、国々の境や道路に従って国、県(あがた)、邑里(むら)を分かち定め、国造(くにのみやつこ)、県主(あがたぬし)、稲置(いなぎ)を置いたと伝えられる。『日本書紀』には治世60年、107歳で没したとあるが、『古事記』では95歳とある。大和(やまと)の狭城盾列(さきのたたなみ)陵(奈良市山陵(みささぎ)町)に葬る。
[志田諄一]

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検索ヒット数 205
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検索コンテンツ
1. 成務天皇
日本大百科全書
生没年不詳。記紀によれば第13代の天皇。4世紀中ごろの在位となるが明らかでない。稚足彦(わかたらしひこ)天皇ともいう。景行(けいこう)天皇の第4子。母は八坂入媛 ...
2. せいむ‐てんのう【成務天皇】
デジタル大辞泉
記紀で、第13代天皇。景行天皇の第4皇子。名は稚足彦(わかたらしひこ)。国・郡(こおり)・県(あがた)・邑(むら)を定め、国造(くにのみやつこ)・県主(あがたぬ ...
3. せいむ‐てんのう[‥テンワウ]【成務天皇】
日本国語大辞典
記紀の所伝で、第一三代の天皇の漢風諡号(しごう)。景行天皇の第四皇子。母は八坂入姫。和風諡号は稚足彦天皇(わかたらしひこのすめらみこと)。「日本書紀」によれば、 ...
4. せいむてんのう【成務天皇】
国史大辞典
『古事記』『日本書紀』に伝える第十三代の天皇。和風諡号は稚足彦(わかたらしひこ)尊。第十二代景行天皇の第四子で、母は皇后八坂入姫(やさかのいりびめ)命。景行天 ...
5. 成務天皇(せいむてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 4ページ ...
6. せいむてんのう【成務天皇】
日本人名大辞典
みやつこおさ),県邑(あがたむら)に稲置(いなき)をおき,邑里(むら)をさだめたとつたえる。成務天皇60年6月11日死去。107歳。墓所は狭城盾列池後陵(さきの ...
7. 成務天皇山陵 (見出し語:成務天皇)
古事類苑
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8. 掘損成務天皇山陵 (見出し語:成務天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1064ページ ...
9. あがた【県】画像
国史大辞典
を中心として勢力を伸張してゆく過程に対応するものと考えられる。行政組織としての県については、成務天皇の代に国郡県邑を設けたとする『日本書紀』や同代に大小の国の国 ...
10. あしなぐん【芦品郡】広島県
日本歴史地名大系
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13. あまつたけころのみこと【天津多祁許呂命】
日本人名大辞典
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14. あまてるたまのみことじんじゃ【天照玉命神社】京都府:福知山市/今安村
日本歴史地名大系
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15. 荒木田氏画像
日本大百科全書
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16. あらきだうじ【荒木田氏】画像
国史大辞典
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17. あわのくに【安房国】千葉県地図
日本歴史地名大系
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18. いおきいりひこのおうじ【五百城入彦皇子】
日本人名大辞典
景行天皇の80人の子のうち,日本武尊(やまとたけるのみこと),稚足彦(わかたらしひこの)尊(成務天皇)とともに太子(ひつぎのみこ)(皇太子)となる。「古事記」に ...
19. いおきいりひめのおうじょ【五百城入姫皇女】
日本人名大辞典
やさかいりひめ)の第8子(「日本書紀」),または第4子(「古事記」)という。五百城入彦皇子,成務天皇らの同母妹。「古事記」では五百木之入日売命。 ...
20. いおはらのくに【廬原国】
国史大辞典
廬原国は富士川の西に、珠流河国はその東にあったとされている。また『旧事本紀』によると、廬原国の国造には、成務天皇のとき池田・坂井の祖吉備武彦命の子意加部彦(おか ...
21. いがのくに【伊賀国】画像
国史大辞典
領したとされる伝説上の人物伊賀津姫(吾娥津媛命、猿田彦神の女)の名に由来するといい、『旧事本紀』には、成務天皇のとき、武伊賀都別命を国造に定めたとの所伝がある。 ...
22. いけじりのみささぎ【池後陵】
国史大辞典
成務天皇(せいむてんのう)  ...
23. いけじりむら【池尻村】奈良県:橿原市/畝傍地区
日本歴史地名大系
木梨軽太子の名代として定めた軽部(軽戸)関係の地名であろうか。「姓氏録」左京皇別の軽我孫の項には「成務天皇御代、賜軽地卅千代、是負軽我孫姓之由也」とみえる。三箇 ...
24. いさわはちまんじんじゃ【石和八幡神社】山梨県:東八代郡/石和町/市部村
日本歴史地名大系
宗教法人名は八幡神社。祭神は天足彦国押人命・日売大神・稚城瓊入彦命。旧村社。「社記」によれば、成務天皇五年に物部神社の社号を賜ったという。朝廷からの尊崇も厚く、 ...
25. いせあまてらすこうたいじんぐうねぎふとちょう【伊勢天照皇太神宮〓宜譜図帳】
国史大辞典
内容は記紀以下の古典の伝、『神宮旧記』と矛盾するところもあるが、荒木田氏の出自についてもと大貫連とし、成務天皇のとき波己利命の次男最上(いとかみ)が、大神の朝御 ...
26. 逸文(風土記) 462ページ
日本古典文学全集
→四六〇ページ注六。『常陸国風土記』多珂郡条(四一五ページ)に「斯我高穴穂宮大八洲照臨天皇之世」(成務天皇)の同書式例がある。同じ例が『常陸国風土記』行方郡条( ...
27. いなぎ【稲置】
国史大辞典
『日本書紀』の成務天皇五年条には「国郡に造長を立て、県邑に稲置を置く」という起源説明が起載されているが、その表現にはのちの知識にもとづく潤色があり、地方制度上の ...
28. いなばのくに【因幡国】鳥取県
日本歴史地名大系
穴穂朝御世(成務天皇朝)に「彦坐王児、彦多都彦命」が国造に定められたとある。延暦三年(七八四)成立と推定される伊福部臣古志(伊福部家文書)には、第一六代の伊其和 ...
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30. いよぐん【伊予郡】愛媛県
日本歴史地名大系
〔古代〕松前町の横田・神崎地区には条里制の痕跡や、それに関する地名が残っている。「国造本紀」によると成務天皇の代、速後上命が伊余国造に補任されており、のちの伊予 ...
31. いよのくに【伊予国】画像
国史大辞典
うに伊予と書くのが通例であるが、古くは伊余・伊与・夷与などとも記した。『旧事本紀』によると、成務天皇・神功皇后・応神天皇の諸朝に、伊余(伊予)・久味(久米)・小 ...
32. いよのくに【伊予国】愛媛県
日本歴史地名大系
の下らぬ時期であろう。それ以前のこの地には五国造が補任されていた。「国造本紀」によると、まず成務天皇の代に速後上命が伊余国に、神功皇后の代に若弥尾命が怒麻国に、 ...
33. いわきぐん【磐城郡】福島県:陸奥国
日本歴史地名大系
「国造本紀」に石城国造、「常陸国風土記」香島郡条に「陸奥の国石城の船造」がみえ、同多珂郡条に、成務天皇が建御狭日命を多珂国造に任命したとき「久慈の堺の助河」(現 ...
34. いわきし【いわき市】福島県
日本歴史地名大系
を置いてから四〇〇年余が過ぎたとあり、五世紀のこととなる。「国造本紀」によれば、成務天皇の世に建許呂命を石城国造に、その子屋主刀禰を菊多国造に任じており、ほぼ同 ...
35. いわじんじゃ【伊和神社】兵庫県:宍粟郡/一宮町/須行名村
日本歴史地名大系
志安元年二月十一日丁卯ニ有御用向」とみえ、当社の社家安黒家が所蔵する「正一位伊和大明神縁起」は創建時を成務天皇甲申年二月一一日とする。「峯相記」などに記されるこ ...
36. いわせのくに【石背国】
国史大辞典
大化前代の国造の国。現在の福島県の中央南部、須賀川市・岩瀬郡の地域。『旧事本紀』一〇の『国造本紀』に成務天皇のとき建許侶命の子の建弥依米命を石背国造に定めたとあ ...
37. いわせのくに【石背国】 : 石背国/(一)
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大化前代の国造の国。現在の福島県の中央南部、須賀川市・岩瀬郡の地域。『旧事本紀』一〇の『国造本紀』に成務天皇のとき建許侶命の子の建弥依米命を石背国造に定めたとあ ...
38. いわとじんじゃ【磐戸神社】宮崎県:宮崎市/上北方村
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39. うえかりむら【上苅村】新潟県:糸魚川市
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おかれた。天和三年郷帳に高四六二石余とある。水田耕作にめぐまれた条件にあるため古くから開け、成務天皇の時にこの地には稲置が首長としておかれ、稲の技術を教えたので ...
40. うじりょう【宇治領】和歌山県:和歌山市/和歌山城下/宇治
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影媛を娶りて、武内宿禰を生ましむ」とある菟道彦は当地の地名を冠したものとされる。「一代要記」成務天皇条は武内宿禰の母を「紀伊国名草郡人宇治郷人」としており、少な ...
41. えっちゅうのくに【越中国】富山県
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42. 江戸繁昌記 2 150ページ
東洋文庫
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44. おうみのくに【近江国】滋賀県
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45. おおおみ【大臣】
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46. おおかるむら【大軽村】奈良県:橿原市/畝傍地区
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47. おおがみむら【大上村】千葉県:長生郡/睦沢町地図
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この狩野氏らが問答なく切りつけてきて五人が手傷を負ったという(睦沢町史)。宮ノ脇の熊野神社は成務天皇の代に創祀され、長元二年(一〇二九)長柄郡桜井城主の刑部成常 ...
48. おおただねこじんじゃ【大直禰子神社】奈良県:桜井市/三輪・纏向地区/三輪村/大神神社
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大直禰社とも若宮社ともいう。祭神は大物主神の神裔で最初の大神神社祭主大田田根子命。「大三輪神三社鎮座次第」には成務天皇の時、大三輪君大友主の創祀とある。「三輪山 ...
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記・紀にみえる景行天皇の皇子。母は八坂入媛(やさかのいりひめ)。成務天皇の同母弟。「古事記」では押別命(みこと)。 ...
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