1. 允恭天皇
日本大百科全書
付近)に都する。忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)を皇后とし、刑部(おさかべ)を定める。允恭天皇4年、氏姓の混乱を正すため味橿丘(あまかしのおか)で盟神探湯 ...
2. いんぎょう‐てんのう【允恭天皇】
デジタル大辞泉
記紀で、第19代の天皇。仁徳天皇の第4皇子。名は雄朝津間稚子宿禰(おあさづまわくごのすくね)。皇居は大和の遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)。宋書にみえる倭の五王の ...
3. いんぎょう‐てんのう[‥テンワウ]【允恭天皇】
日本国語大辞典
第一九代天皇。仁徳天皇の第四皇子。名は雄朝津間稚子宿禰尊(おあさづまわくごのすくねのみこと)。「古事記」によれば大和遠飛鳥宮(やまととおつあすかのみや)に都を定 ...
4. いんぎょうてんのう【允恭天皇】
国史大辞典
『日本書紀』では第十九代の天皇。諱は雄朝津間稚子宿禰。仁徳天皇皇子。母は磐之媛。履中・反正天皇の同母弟。忍坂大中姫を皇后とし、刑部を定め、木梨軽皇子、安康・雄 ...
5. 允恭天皇(いんぎょうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 5ページ ...
6. いんぎょうてんのう【允恭天皇】
日本人名大辞典
氏姓の乱れをただすため,盟神探湯(くがたち)を実行したという。「宋書」倭国伝の倭王の済とされる。允恭天皇42年1月14日死去。78歳。墓所は恵我長野北陵(えがの ...
7. 允恭天皇即位 (見出し語:允恭天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 252ページ ...
8. 允恭天皇山陵 (見出し語:允恭天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 982ページ ...
9. あかぎじんじゃ【赤城神社】
国史大辞典
群馬県勢多郡宮城村に鎮座。旧県社。祭神は大己貴(おおなむち)命・豊城入彦(とよきいりひこ)命。創建は崇神、また允恭天皇の世とも伝えるが、しかしその起源は赤城山を ...
10. あかしぐん【明石郡】兵庫県:播磨国
日本歴史地名大系
坂王・忍熊王らが天皇のためと偽り、山陵を「赤石」に作るとあり、允恭天皇一四年九月一二日条には赤石の海底に真珠があり、その珠を祀ればことごとく獣を得るとみえる。歴 ...
11. あがぐん【英賀郡】岡山県:備中国
日本歴史地名大系
おそらくこの地の首長に認められたいわゆる豪族私有民である部曲であったろう。刑部は記紀伝承等によると允恭天皇の妃の忍坂大中姫の名代とされる。丹部はもと丹治比部であ ...
12. あしきたぐん【葦北郡】
国史大辞典
二年条には「火葦北国造刑部靫部阿利斯登之子、臣達率日羅」とみえている。そのことから五世紀代、允恭天皇后妃忍坂大中姫の部民がこの地に点ぜられ、六世紀代に朝鮮経略の ...
13. 飛鳥画像
世界大百科事典
語源については,アは接頭語,スカは住処で,集落の意とする説など諸説あるが,定かでない。この地域には,早く允恭天皇の遠飛鳥宮,顕宗天皇の近飛鳥宮が営まれたとも伝え ...
14. あすか【飛鳥】
国史大辞典
この地にはしばしば皇居がおかれ、七世紀前後における政治・文化の中心地となった。はやく五世紀に允恭天皇が遠飛鳥宮、顕宗天皇が近飛鳥八釣宮をおいたといい、そののち五 ...
15. あすかのきよみはらのみや【飛鳥浄御原宮】
国史大辞典
持統天皇八年(六九四)、藤原宮に遷るまでの、天武・持統両天皇の時代の皇居。允恭天皇からとすると約二百年、推古天皇からは約百年にわたる飛鳥京址の中でも最も代表的 ...
16. あすか‐の‐みやこ【飛鳥京】
日本国語大辞典
古代、奈良盆地南部の飛鳥地方におかれた皇都の総称。早くは允恭天皇の遠飛鳥宮があるが、河内にも飛鳥があり、顕宗天皇の近飛鳥八釣宮を河内に比定する説もある。その後、 ...
17. あつもの【羹】
国史大辞典
普茶料理ではクワイに米粉と小麦粉とをまぶして油で揚げ、さらに煮込んだものを羮としている。『日本書紀』允恭天皇二十四年六月条に「御膳羮汁」とみえ、あるいは『万葉集 ...
18. あつもの【羹】 : 羹/(一)
国史大辞典
普茶料理ではクワイに米粉と小麦粉とをまぶして油で揚げ、さらに煮込んだものを羮としている。『日本書紀』允恭天皇二十四年六月条に「御膳羮汁」とみえ、あるいは『万葉集 ...
19. あまかしのおか【甘檮岡】
国史大辞典
奈良県高市郡明日香村豊浦にある丘。味橿丘とも書く。『古事記』『日本書紀』によれば、允恭天皇のとき、諸氏の人々がめいめい自分に有利な氏姓を称し、事実が不明となっ ...
20. あまかしのおか【甘樫丘】奈良県:高市郡/明日香村/豊浦村
日本歴史地名大系
[現]明日香村大字豊浦 「古事記」允恭天皇段に「是に天皇、天の下の氏氏名名の人等の氏姓の忤ひ過てるを愁ひたまひて、味白檮の言八十禍津日の前に玖訶 ...
21. あまかし‐の‐おか【甘橿岡】地図
デジタル大辞泉
《「甘樫丘」とも書く》奈良県高市郡明日香(あすか)村にある丘。允恭(いんぎょう)天皇が姓氏の乱れを正すため諸氏を集めて盟神探湯(くかたち)を行った地。また、蘇我 ...
22. あまぐん【海部郡】愛知県
日本歴史地名大系
政権の東限に位置し、県として当郡には島田上・下県があった(新撰姓氏録)。記紀の所伝によれば、允恭天皇二年二月に尾張地方最古の名代である刑部、次いで敏達天皇六年二 ...
23. 足結
世界大百科事典
に狭袴の膝を縛した表現を見るから,もとは大陸起源の服装に付随した習慣であろう。なお《古事記》允恭天皇条には〈足結の小鈴〉という語があるが,群馬県藤岡市白石や栃木 ...
24. あわじのくに【淡路国】兵庫県
日本歴史地名大系
に赴いたという「日本書紀」の記事(応神天皇一三年九月条、同二二年九月条、履中天皇五年九月条、允恭天皇一四年九月条など)も無視できない。これらの所伝も史実かどうか ...
25. 安康天皇
日本大百科全書
れている。父は允恭(いんぎょう)天皇。母は忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめのみこと)。允恭天皇の太子軽(かる)皇子を殺して即位し、大和(やまと)の石上(い ...
26. あんこう‐てんのう【安康天皇】
デジタル大辞泉
記紀で、第20代の天皇。允恭(いんぎょう)天皇の皇子。名は穴穂(あなほ)。皇居は石上穴穂宮(いそのかみあなほのみや)。在位3年余りで眉輪(まよわ)王に暗殺された ...
27. あんこうてんのう【安康天皇】
国史大辞典
『日本書紀』では第二十代の天皇。諱は穴穂皇子。允恭天皇第二子。母は忍坂大中姫命。兄の木梨軽皇子を物部大前宿禰の家に殺して即位し、宮を大和山辺郡石上(奈良県天理 ...
28. 医学
世界大百科事典
に,火傷に生貝のジュース,傷口にガマの穂などの用法がみえる。文書記録上,最初の外来の医療は,允恭天皇の病気の治療のため新羅から来た金武と名乗る医師によるものであ ...
29. いしのねやこふん【石の寝屋古墳】兵庫県:津名郡/淡路町/岩屋浦
日本歴史地名大系
わずかに石材が残るのみである。須恵器坏一が出土している。築造の時期は六世紀後半であろう。「日本書紀」によれば允恭天皇一四年、天皇が淡路国で猟を行った際、天皇の命 ...
30. いずみし【和泉市】大阪府地図
日本歴史地名大系
滝街道が分岐する交通の要地であり、以後長い間和泉の中心地であった。なおこれ以前の「日本書紀」允恭天皇八年条などにみえる茅渟宮、「続日本紀」霊亀二年(七一六)三月 ...
31. いずみのくに【和泉国】大阪府地図
日本歴史地名大系
作り、また茅渟菟砥川上宮にあって大刀一千口を作って石上神宮(現奈良県天理市)に献じたとあるもの、允恭天皇八年二月条などでは、允恭がその寵姫の衣通郎姫のために茅渟 ...
32. いずみのみや【和泉宮】
国史大辞典
允恭天皇の離宮および奈良時代の離宮。『日本書紀』によると、允恭天皇八年二月条に、天皇が衣通郎姫を寵愛して皇后の嫉妬を恐れ、王宮を離れた茅渟(ちぬ)に宮室を建て ...
33. いちえだむら【櫟枝村】奈良県:大和郡山市
日本歴史地名大系
長忌寸意吉麿(「万葉集」巻一六)この櫟津は、現櫟枝町の付近。「万葉代匠記」は「日本書紀」の允恭天皇七年一二月の条に「春日に到りて、櫟井の上に食ふ」とあるのを引 ...
34. いちのもとむら【市ノ本村】奈良県:天理市/櫟本地区
日本歴史地名大系
たか。あるいは「古事記」応神天皇段に「櫟井の丸邇坂の土を、初土は、膚赤らけみ」、「日本書紀」允恭天皇七年条に「倭の春日に到りて櫟井の上に食ふ」とある櫟井の地か。 ...
35. いちのやまこふん【市野山古墳】大阪府:藤井寺市/国府村地図
日本歴史地名大系
[現]藤井寺市国府一丁目 允恭天皇陵に治定される。南から北へ向かって突出した羽曳野丘陵の北端に、前方部を北にして築かれた前方後円墳。墳丘の全長二二七メートル、後 ...
36. いなばのくに【因幡国】鳥取県
日本歴史地名大系
そのとき天皇から与えられた大刀等は神宝として「伊波比社」に祀ると記している。また第二〇代若子臣のとき允恭天皇から気吹部臣(のちに伊福部臣となる)の姓を初めて賜っ ...
37. いふきべ【伊福部】
国史大辞典
。因幡国の伊福部臣氏の系図で延暦三年(七八四)の成立と思われる『伊福部臣古志』には、若子臣が允恭天皇の時代に、祈祷して気(いき)を飄風に変えたので、気吹部臣の氏 ...
38. いわのひめ【磐之媛/石之日売】
デジタル大辞泉
仁徳天皇の皇后。葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)の娘。履中・反正・允恭天皇の母。万葉集・巻2にその作とされる歌を収める。 ...
39. うがい[うがひ]【嗽・含嗽】
日本国語大辞典
候。仰云。六度する也。清六根也」*水鏡〔12C後〕上・允恭天皇「水をとりて御うがひを奉り給ひしついでに」*観智院本類聚名義抄〔1241〕「嗽 クチススグ ...
40. 氏人
世界大百科事典
の構成員で,氏上(うじのかみ)にひきいられる一定範囲の人々をさし,氏上とおなじ氏姓を称する。允恭天皇のとき,盟神探湯(くかたち)によって,氏姓の乱れを正したとい ...
41. 歌垣
世界大百科事典
榴市(つばいち)(《万葉集》巻十二。現,桜井市)・軽(かる)(軽市(かるのいち)。《古事記》允恭天皇条。現,橿原市)などが知られ,歌垣山の名も残る(《摂津国風土 ...
42. うたりぐん【鵜足郡】
国史大辞典
し、長尾・小川・井上・栗隈・坂本・川津・二村・津野を挙げている。郡名については『全讃史』に「允恭天皇御宇、栗隈の村に酒部黒丸が宅中に水無きを患けるに、ある時、鵜 ...
43. うとうじんじゃ【善知鳥神社】青森県:青森市/青森湊町/安方町
日本歴史地名大系
安方二丁目の南側にある。祭神市杵島姫命・多紀理姫命・多紀都姫命。旧県社。祭日九月一五日。草創年月不詳。允恭天皇の時に当地に流罪となった烏頭中納言安方が宗像宮を祀 ...
44. うとう‐やすかた【善知鳥安方】
日本国語大辞典
。猟師が母鳥の声をまねて、子鳥を呼び出し捕らえると母鳥は空にあって血の涙を流すという。一説に允恭天皇の時、罪を得て、奥州卒都が浜(外ケ浜)に下った中納言烏頭安潟 ...
45. うね‐め【采女】
日本国語大辞典
巴椰(うねめはや)」と言い、采女と通じたと疑われた話が見える〔允恭天皇四二年一一月〕。(1)ウはウチの略、ネは神職の意で、ウネは内巫に当たる ...
46. えが【会賀】大阪府:藤井寺市
日本歴史地名大系
我長野西陵(仲哀天皇陵)・恵我藻伏崗陵(応神天皇陵)・恵我長野北陵(允恭天皇陵)が載り、仲哀天皇陵はミサンザイ古墳、允恭天皇陵は市野山古墳、応神天皇陵は羽曳野市 ...
47. えがのながののきたのみささぎ【恵我長野北陵】
国史大辞典
⇒允恭天皇(いんぎょうてんのう) ...
48. えがのもふしのおかのみささぎ【恵我藻伏岡陵】 : 応神天皇
国史大辞典
兆域東西五町、南北五町、陵戸二烟、守戸三烟)」とある。応神天皇陵を中心として藤井寺市にまたがり、「允恭天皇陵」古墳・「仲姫皇后陵」古墳・古室山古墳などをふくむ古 ...
49. えたごう【江田郷】千葉県:上総国/市原郡
日本歴史地名大系
口の刑部稲麻呂(三八歳)がみえ、東大寺に経師として仕えることになっている。刑部は忍坂大中姫(允恭天皇の皇后)の名代。エタと訓じれば、江戸時代の吉沢村が古く江田郷 ...
50. えんげき【演劇】
国史大辞典
特徴づける重要な性格である。 〔大陸芸能輸入時代(五―七世紀)〕 大陸との交渉がひらけると、允恭天皇崩御の際、新羅王が楽人八十人を貢したとか、欽明天皇の時代に百 ...