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  11. 清寧天皇
国史大辞典・日本大百科全書

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国史大辞典
清寧天皇
せいねいてんのう
『古事記』『日本書紀』で第二十二代と伝える天皇。白髪武広国押稚日本根子天皇(記には白髪大倭根子命)・白髪皇子などという。父は雄略天皇、母は葛城円大臣の娘韓媛。雄略天皇二十二年立太子、二十三年雄略天皇崩後、異母弟星川皇子の反乱を討って磐余甕栗宮に即位。后妃・皇子女が全くいなかったので(記は没後、紀は生前)履中天皇の孫、押歯皇子の二子億計(仁賢)・弘計(顕宗)皇子を播磨に見出して皇嗣としたという。陵墓は河内坂門原陵と伝える。
(黛 弘道)

河内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ)

 大阪府羽曳野市西浦六丁目にある。『日本書紀』『延喜式』は現陵名を用いるが、『扶桑略記』は「坂門原陵」とする。『延喜式』諸陵寮には「在〓河内国古市郡〓、兆域東西二町、南北二町、陵戸四烟」とあり、遠陵に入れる。元禄の諸陵探索の際の、元禄十一年(一六九八)正月二十一日付け保田美濃守(宗易)・松平玄蕃頭(忠固)の調書は、陵所に大県郡平野村字坂門原と古市郡西浦村字白髪山の両所を挙げて白髪山を推し、「山之頂に石之唐櫃三尺斗土より上に出有之を、弐拾年程以前見付候故、其上え土を掛け松を植置申候、清寧之陵にて可有之哉と申伝候」と記し、白髪山に陵が決定された。墳丘は西南西に面する前方後円墳で、長軸の長さ一一一メートル、前方部幅一二〇メートル、後円部径四八メートル、高さ前方部一〇・六メートル、後円部九・五メートル。前後に区切られた周濠がある。墳丘の等高線はかなり乱れているが、本来は三段段築であろう。前方部の幅が極端に広く特異な形態をするのは、後世に堀の堆積土を墳丘に何度も盛土したために、変形したからである。昭和四十四年(一九六九)墳丘の裾廻りに、掘削をせぬロックフィールド工法により護岸が行われ、現代版葺石といわれている。同五十四年の外堤護岸工事区域の調査により、周濠は当初より狭くなっていることが判明し、埴輪・弥生式土器・土師器・須恵器・陶磁器・〓(せっき)・瓦などの破片が出土した。陵背の道をへだてた所にある小前方後円墳の小白髪山は、陪塚(ばいちょう)に指定されている。
[参考文献]
上野竹次郎『山陵』上、帝室林野局製図『清寧天皇河内坂門原陵之図』、陵墓調査室「昭和五十四年度陵墓関係調査概要」(『書陵部紀要』三二)
(石田 茂輔)


日本大百科全書(ニッポニカ)
清寧天皇
せいねいてんのう

生没年不詳。記紀によれば第22代の天皇。5世紀に在位。白髪武広国押稚日本根子(しらがのたけひろくにおしわかやまとねこ)天皇ともいう。雄略(ゆうりゃく)天皇の第3子。母は葛城韓媛(かつらぎのからひめ)。星川皇子の乱を鎮めて即位し、磐余(いわれ)の甕栗(みかぐり)宮(奈良県桜井市付近)に都した。大伴室屋(おおとものむろや)を大連(おおむらじ)に、平群真鳥(へぐりのまとり)を大臣(おおおみ)とする。生まれながらにして白髪で、皇后も皇子もなかったので御名代(みなしろ)として白髪部(しらがべ)を定めたという。治世5年で没し、河内(かわち)坂門原(さかとのはら)陵(大阪府羽曳野(はびきの)市)に葬られる。
[志田諄一]

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1. 〓寧天皇(せいねいてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 6ページ ...
2. 清寧天皇
日本大百科全書
生没年不詳。記紀によれば第22代の天皇。5世紀に在位。白髪武広国押稚日本根子(しらがのたけひろくにおしわかやまとねこ)天皇ともいう。雄略(ゆうりゃく)天皇の第3 ...
3. せいねい‐てんのう【清寧天皇】
デジタル大辞泉
記紀で、第22代天皇。雄略天皇の第3皇子。名は白髪武広国押稚日本根子(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこ)。  ...
4. せいねい‐てんのう[‥テンワウ]【清寧天皇】
日本国語大辞典
記紀の所伝で、第二二代の天皇。雄略天皇の第三皇子。白髪武広国押稚日本根子天皇(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと)。母は葛城韓媛(かずらきのか ...
5. せいねいてんのう【清寧天皇】
国史大辞典
は、陪塚(ばいちょう)に指定されている。 [参考文献]上野竹次郎『山陵』上、帝室林野局製図『清寧天皇河内坂門原陵之図』、陵墓調査室「昭和五十四年度陵墓関係調査概 ...
6. せいねいてんのう【清寧天皇】
日本人名大辞典
億計(おけ)(のちの仁賢天皇),弘計(おけ)(のちの顕宗天皇)を播磨(はりま)で発見し,宮中にむかえた。清寧天皇5年1月16日死去。墓所は河内坂門原陵(かわちの ...
7. 清寧天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『雄略・清寧・顕宗天皇巻「物語」考』竹野長次 ...
8. 〓寧天皇即位 (見出し語:〓寧天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 287ページ ...
9. 〓寧天皇山陵 (見出し語:〓寧天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 983ページ ...
10. あかしぐん【明石郡】兵庫県:播磨国
日本歴史地名大系
おいて畿内国の範囲を定めた際、「西は赤石の櫛淵よりこのかた」とあるのはよく知られている。同書清寧天皇二年一一月条に「赤石郡の縮見屯倉の首、忍海部造細目が新室にし ...
11. あがたごう【英多郷】大阪府:河内国/河内郡
日本歴史地名大系
原神社は市場に鎮座する。現在、福万寺の地は八尾市、それより北は東大阪市に属する。「日本書紀」清寧天皇前紀にみえる河内三野県主小根、「新撰姓氏録」(河内国神別)に ...
12. 飯豊青皇女
日本大百科全書
説と市辺押磐皇子の女(母は葛城氏出身の荑媛(はえひめ))とする説の2説がある。『日本書紀』に清寧天皇の没後、飯豊が忍海角刺宮(おしぬみのつのさしのみや)に「臨朝 ...
13. いいとよあおのおうじょ【飯豊青皇女】
日本人名大辞典
媛(はえひめ)ともいう。「日本書紀」では清寧天皇5年天皇の死後,億計(おけ)王(仁賢天皇)と弘計(おけ)王(顕宗(けんぞう)天皇)が皇位の継承 ...
14. いいとよあお‐の‐ひめみこ[いひとよあを‥]【飯豊青皇女】
日本国語大辞典
履中天皇の皇孫女。父は市辺押磐(いちのべのおしいわ)皇子。清寧天皇の崩御(四八四)後、皇女の弟、弘計(おけ)、億計(おけ)の両皇子が譲り合って即位しなかったので ...
15. 飯豊青皇女
世界大百科事典
の女で,母は蟻臣(葦田宿禰)の女荑(はえ)媛とも伝える。《日本書紀》の顕宗即位前紀によれば,清寧天皇が没したあと皇位継承者が定まらず久しく空位が続くので,飯豊青 ...
16. いいとよあお‐の‐ひめみこ【飯豊青皇女】
デジタル大辞泉
履中天皇の皇孫。市辺押磐(いちのべのおしいわ)皇子の王女。清寧天皇没後に一時、政務を執ったので飯豊天皇とも称されたが世代には数えない。青海皇女(あおうみのみこ) ...
17. いいとよのあおのおうじょ【飯豊青皇女】
国史大辞典
媛(はえひめ)とする。ともに葦田宿禰(葛城襲津彦の子)の女。清寧天皇崩後、億計・弘計の二王は皇位を譲りあい久しく空位なので「天皇姉飯豊青皇女於 ...
18. いせじんぐう【伊勢神宮】三重県:伊勢市
日本歴史地名大系
後期古墳が急増することが明らかにされたことから、伊勢神宮の現在地への奉祀時期が推定できる。雄略朝期以後、清寧天皇―天智天皇の間について書紀には、(一)継体天皇元 ...
19. いばどの【射場殿】
国史大辞典
射場舎・射庭殿・弓射殿・弓場殿・弓庭殿・弓庭舎・射場・射庭・弓場・弓庭とも書く。『日本書紀』清寧天皇四年九月条の射殿が初見。平安宮では古くは射礼の行われた豊楽殿 ...
20. いよのくめべの-おたて【伊予来目部小楯】
日本人名大辞典
「日本書紀」にみえる官吏。清寧天皇2年に播磨(はりま)国司として大嘗(だいじょう)祭の供奉料をあつめるため派遣された赤石郡縮見屯倉(しじみのみやけ)で,市辺押磐 ...
21. いわきのおうじ【磐城皇子】
日本人名大辞典
子。天皇の死後,母の吉備稚媛(きびの-わかひめ)にそそのかされて皇太子白髪(しらかの)皇子(清寧天皇)に対する謀反をたくらんだ弟の星川皇子をいさめるが,拒否され ...
22. いわれ【磐余】
国史大辞典
余彦天皇=神武天皇)の名はこの地名を含み、神功皇后の磐余若(稚)桜宮、履中天皇の磐余稚桜宮、清寧天皇の磐余甕栗宮、継体天皇の磐余玉穂宮、用明天皇の磐余池辺双槻宮 ...
23. いわれ【磐余】奈良県:桜井市/桜井地区
日本歴史地名大系
神武天皇の和風諡号はカムヤマトイワレビコ(古事記、日本書紀)であった。また「日本書紀」には履中天皇磐余稚桜宮・清寧天皇磐余甕栗宮・継体天皇磐余玉穂宮などの宮名が ...
24. いわれのみかくりのみや【磐余甕栗宮】
国史大辞典
清寧天皇の皇居。『日本書紀』清寧天皇元年正月壬子条に「設〓壇場於磐余甕栗 ...
25. いわれのわかざくらのみや【磐余稚桜宮】奈良県:桜井市/桜井地区/磐余
日本歴史地名大系
郡にみえる若桜神社との関係が注目される。現大字谷に若桜神社、大字池之内に稚桜神社が鎮座。また清寧天皇磐余甕栗宮を「帝王編年記」は「大和国十市郡、白香谷是也」と記 ...
26. 歌垣
世界大百科事典
歌垣の原義らしい。東国方言カガイも同義か。なぞかけのカケと同意であろう。〈歌垣〉(《古事記》清寧天皇条),〈歌場〉(《日本書紀》武烈天皇条)と字をあてるのは,男 ...
27. おおともうじ【大伴氏】画像
国史大辞典
、允恭朝以降にみえる室屋からが実在の人物であろう。室屋は雄略朝に大連となり、雄略天皇の死後、清寧天皇を助けて星川皇子の乱を平らげた。談は室屋の子。談の子金村は、 ...
28. 大伴金村
世界大百科事典
仁賢天皇の死後,大臣の平群(へぐり)氏を滅ぼして武烈を即位させたとされるが,《古事記》では平群氏はこれより前,清寧天皇の死後,意祁(仁賢)・袁祁(顕宗)両皇子に ...
29. おしぬみのつのさしのみや【忍海角刺宮】
国史大辞典
忍海飯豊青(おしぬみのいいとよのあお)尊の宮。『日本書紀』顕宗天皇即位前紀によれば、清寧天皇崩御後、皇太子億計王(のちの仁賢天皇)と弘計王(のちの顕宗天皇)が ...
30. おしみぐん【忍海郡】奈良県:大和国
日本歴史地名大系
「日本書紀」神功皇后摂政五年三月七日条に「桑原・佐糜・高宮・忍海、凡て四の邑」がみえる。また「古事記」清寧天皇段に「葛城忍海之高木角刺宮」があるので、忍海郡は葛 ...
31. おびと【首】
国史大辞典
勢力あるものに対する尊称であった。記紀には「宮之首」(『古事記』神代)、「屯倉首(『日本書紀』清寧天皇二年十一月条)、「村首」(同大化二年三月甲申条)などのこと ...
32. おりおのむら【遠里小野村】大阪府:大阪市/住吉区地図
日本歴史地名大系
詠まれた(後述)。なお「摂津志」に「遠里小野 旧名難波来目大井戸」とある。これは「日本書紀」清寧天皇二三年八月条にみえる「難波来目邑大井戸」のことと思われ、字名 ...
33. 膳部(夫)
世界大百科事典
に近侍させた。これは,応神天皇の吉備行幸の際に吉備氏の祖が兄弟子孫を膳夫となして饗したとか,清寧天皇代に諸国に白髪部舎人・白髪部靱負とともに白髪部膳夫を置いたと ...
34. かしわでべ【膳部】
国史大辞典
」とあって、これらの伴を資養する部としての膳部も国造の領域内に設定されていた。これらは清寧天皇の御名代である白髪部舎人・白髪部膳部・白髪部靫負のごとく、朝廷に属 ...
35. 葛城氏 系図[図版]画像
国史大辞典
磐之媛 (仁徳天皇皇后 履中天皇・反正天皇・允恭天皇母) 玉田宿禰 円大臣 韓媛 (雄略天皇妃 清寧天皇母) 蟻臣 荑媛 (市辺押磐皇子妃 顕宗天皇・仁賢天皇母 ...
36. かずらきの-からひめ【葛城韓媛】
日本人名大辞典
かくまったため雄略天皇に攻められた父によって贖罪(しょくざい)のために,雄略天皇にささげられた。清寧天皇と稚足姫(わかたらしひめの)皇女を生む。「古事記」では韓 ...
37. 葛城
世界大百科事典
めぐる履中系と允恭系の争いの中で,葛城臣が没落したことを示す伝承である。《日本書紀》顕宗即位前紀によれば清寧天皇没後,履中天皇皇女(市辺押羽皇子の子ともいう)の ...
38. 葛城氏画像
日本大百科全書
けんそう)・仁賢(にんけん)両天皇の祖母、円大臣の女韓媛(からひめ)は雄略(ゆうりゃく)妃で清寧天皇(せいねいてんのう)の母とされ、さらに顕宗・仁賢の母を『日本 ...
39. かわちのくに【河内国】大阪府地図
日本歴史地名大系
もっていた大首長が志幾之大県主とあるように、県主としての支配を受けるに至っている。このほか「日本書紀」清寧天皇即位前紀には、中河内地方に勢力をもっていた御野県主 ...
40. かわちのさかどのはらのみささぎ【河内坂門原陵】
国史大辞典
清寧天皇(せいねいてんのう)  ...
41. きび【吉備】岡山県:総論
日本歴史地名大系
ことである。「日本書紀」雄略天皇七年八月条の吉備下道臣前津屋、同七年是歳条の吉備上道臣田狭、清寧天皇即位前紀の稚媛・星川皇子の反乱記事がそれである。記紀を通じて ...
42. きびのかみつみちのおみ【吉備上道臣】
日本人名大辞典
雄略天皇没後の皇位をめぐり,孫の星川皇子が乱をおこした際,救援にむかうがはたせず,乱ののち管理していた山部を清寧天皇に没収されたという。 ...
43. きびのたさ【吉備田狭】
国史大辞典
皇位につけようと大蔵を占領して立てこもった。大連大伴室屋は遺詔に従うと称して葛城韓媛の生んだ白髪皇子(清寧天皇)を支持し、大蔵に火をかけて星川皇子・稚媛、上道田 ...
44. くにのみこともち【国宰】
国史大辞典
国宰といって区別した。たとえば『日本書紀』顕宗天皇即位前紀に「播磨国司」とみえる来目部小楯は、同清寧天皇二年条には「大嘗供奉の料によりて、播磨国に遣せる司」(原 ...
45. くみのくに【久味国】
国史大辞典
山郷戸主としてみえる久米直熊鷹は、久味国造に系譜を引くものであったと考えられる。『日本書紀』清寧天皇二年十一月条にみえる山部連の先祖伊予来目部小楯もこの地方に関 ...
46. くめべのおたて【来目部小楯】
国史大辞典
清寧天皇二年十一月、大嘗供奉の料を調達するため、播磨国赤石郡に赴いた国宰(くにのみこともち)。同郡縮見屯倉首忍海部造細目の新築祝いの宴に出席し、そこで、奴僕に ...
47. けんぞう‐てんのう【顕宗天皇】
デジタル大辞泉
記紀で、第23代の天皇。名は弘計(おけ)。履中(りちゅう)天皇の孫。父市辺皇子が雄略天皇に殺されたとき、兄の億計(おけ)王(のちの仁賢天皇)とともに身を隠したが ...
48. けんぞう‐てんのう[‥テンワウ]【顕宗天皇】
日本国語大辞典
目稚子(くめのわくご)。「日本書紀」によれば、雄略天皇に父を殺され、播磨の明石に隠れる。のち清寧天皇の太子となり、即位して大和の近飛鳥八釣宮(ちかつあすかのやつ ...
49. けんぞうてんのう【顕宗天皇】
国史大辞典
皇子を狩に誘って暗殺した。子の億計・弘計の二王は難を避け、播磨の縮見屯倉に奴として潜伏、やがて清寧天皇のとき、大嘗供奉の料を調達するため遣わされた伊与来目部小楯 ...
50. けんぞうてんのう【顕宗天皇】
日本人名大辞典
履中天皇の孫で,父を雄略天皇に殺され,兄億計(おけ)王とともに播磨(はりま)にのがれていたが,清寧天皇にむかえられ,兄にさきんじて即位した。顕宗天皇3年4月25 ...
「清寧天皇」の情報だけではなく、「清寧天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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