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安閑天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『安閑天皇』の国史大辞典・日本大百科全書のサンプルページ

国史大辞典
安閑天皇
あんかんてんのう
『日本書紀』によれば、生没年は四六六―五三五、五三四―三五在位。名は勾大兄(まがりのおおえ)、おくり名を広国押武金日(ひろくにおしたけかなひ)天皇という。継体天皇の第一子、母は尾張連草香の女の目子媛(めのこひめ)。同腹の弟に宣化天皇がある。継体の次に即位するが、『日本書紀』や『上宮聖徳法王帝説』などによると、継体の死後、即位までのあいだに二年の空位があり、また安閑の異母弟の欽明天皇が継体の死の翌年に即位した形跡のあることなどから、継体の死後皇位継承の紛争がおこり、安閑・宣化両朝と欽明朝とが併立した時期があったとする説がある。安閑は大和の勾金橋(奈良県橿原市曲川町)に都し、仁賢天皇の女の春日山田皇女を皇后とする。摂津三嶋の竹村屯倉をはじめ、西は九州から東は武蔵・上野に至る各地に多数の屯倉を設置し、また勾舎人部・勾靫部・犬養部をおいたという。勾金橋宮で死ぬ。年七十。古市高屋丘陵に葬る。
[参考文献]
林屋辰三郎「継体・欽明朝内乱の史的分析」(『古代国家の解体』所収)
(直木 孝次郎)

古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)

大阪府羽曳野市古市にあり、皇妹神前皇女を合葬する。周濠のある西面する前方後円墳(前方部幅一〇〇メートル、長径一二〇メートル、高さ後円部一三メートル余、前方部一二メートル余)で、古市古墳群の南端に位し、丘陵によって築造したもの。『日本書紀』に崩御になった月に当陵に葬り、皇后春日山田皇女と皇妹が合葬の旨を記してある。しかし皇后・皇妹の没年は不明で埋葬の先後はわからない。『延喜式』諸陵寮の制は遠陵とし、「兆域東西一町、南北一町五段、陵戸一烟、守戸二烟」とあるが、皇后陵は別に「古市高屋墓」と記載されている。のちに改葬したものか、あるいは何かの誤りか疑問はあるが、現在は式に従って皇后陵は別に定めている。室町時代に畠山氏がこの地に高屋城を造り、当陵を本丸にあてていた。江戸時代の寛政のころ、土砂崩れの際に白瑠璃碗(カットグラス)が出土したが、これはイラン産のもので、正倉院御物に酷似し、現在重要文化財として東京国立博物館に保存されている。→春日山田皇女(かすがのやまだのおうじょ)
[参考文献]
清野謙次『日本考古学・人類学史』
(中村 一郎)


日本大百科全書(ニッポニカ)
安閑天皇
あんかんてんのう

第27代天皇。継体(けいたい)天皇の長子。母は尾張連目子媛(おわりのむらじめのこひめ)。諱(いみな)は勾大兄(まがりのおおえ)。国風諡号(しごう)は広国押武金日尊(ひろくにおしたけかなひのみこと)。『日本書紀』安閑即位前紀に継体天皇25年(531)即位、元年紀には甲寅(きのえとら)年(534)即位とあって矛盾し、一方『書紀』に540年即位とある欽明(きんめい)天皇が、『法王帝説(ほうおうていせつ)』によると532年即位となる。そこで、継体の没後嫡子欽明が立ったが、まもなくこれに反発して庶兄安閑が並び立ったとも解しうる。『書紀』によると、皇居は勾金橋宮(まがりのかなはしのみや)(奈良県橿原(かしはら)市曲川(まわりかわ)町)、在位2年、古市高屋丘陵(ふるいちのたかやのおかのみささぎ)(大阪府羽曳野(はびきの)市古市)に葬られた。在位中、全国各地に30余りの屯倉(みやけ)が設置されたと伝えるのは、安閑朝が動乱期であったことを示すものであろう。
[黛 弘道]

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検索ヒット数 320
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検索コンテンツ
1. 安閑天皇
日本大百科全書
第27代天皇。継体(けいたい)天皇の長子。母は尾張連目子媛(おわりのむらじめのこひめ)。諱(いみな)は勾大兄(まがりのおおえ)。国風諡号(しごう)は広国押武金日 ...
2. あんかん‐てんのう[‥テンワウ]【安閑天皇】
日本国語大辞典
第二七代天皇。継体天皇の第一皇子。名は、勾大兄(まがりのおおえ)。おくり名、広国押武金日尊(ひろくにおしたけかなひのみこと)。五三四年即位し、大和の勾金橋宮(ま ...
3. あんかんてんのう【安閑天皇】
国史大辞典
『日本書紀』によれば、生没年は四六六―五三五、五三四―三五在位。名は勾大兄(まがりのおおえ)、おくり名を広国押武金日(ひろくにおしたけかなひ)天皇という。継体 ...
4. 安閑天皇(あんかんてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 8ページ ...
5. あんかんてんのう【安閑天皇】
日本人名大辞典
全国各地に屯倉(みやけ)をおき,県犬養連(あがたのいぬかいのむらじ)らに,その税をつかさどらせた。安閑天皇2年12月17日死去。70歳。墓所は古市高屋丘陵(ふる ...
6. 安閑天皇山陵 (見出し語:安閑天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 983ページ ...
7. 安閑天皇山陵 (見出し語:安閑天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1070ページ ...
8. あかさかむら【赤坂村】岐阜県:大垣市/旧多藝郡・不破郡地区
日本歴史地名大系
神社六・寺一一がある。同八年与市新田を合併。金生山の南側中腹にある旧郷社の金生山神社の祭神は安閑天皇、かつて当地の字虚空蔵にあったが、同二年に現在地へ移転。同社 ...
9. あかのみやけ【我鹿屯倉】福岡県:田川郡/赤村
日本歴史地名大系
豊国の屯倉。「日本書紀」安閑天皇二年五月九日条の諸国屯倉設置記事にみえ、同条の注には「我鹿、此をば阿柯と云ふ」とあり、アカと訓ずることがわかる。当屯倉は大宰府か ...
10. あきたぐん【飽田郡】
国史大辞典
白川下流の北岸地域の交通の要衝にあたる飽田郡が、肥後の政治上の中心的な位置を占めるようになったのは、安閑天皇二年五月に「火国春日部屯倉」を置いたことに始まる。春 ...
11. あきたぐん【飽田郡】熊本県:肥後国
日本歴史地名大系
の一二郷が含まれた。肥後唯一の上郡である。これは安閑天皇二年春日部屯倉(現熊本市春日町・春日一―五丁目が遺称地)が設けられ(「日本書紀」同年五月九日条) ...
12. あしうらのみやけ【葦浦屯倉】滋賀県:草津市/蘆浦村
日本歴史地名大系
安閑天皇の時代に全国的に設置されたとされる屯倉の一つで、「日本書紀」安閑天皇二年五月九日条に近江国の葦浦屯倉とみえる。同年八月および九月条によって全国的に屯倉が ...
13. あしうらむら【蘆浦村】滋賀県:草津市
日本歴史地名大系
片岡村の北に位置。集落は観音寺を中心に北寄りに位置。中央南寄りを志那街道が通る。「日本書紀」安閑天皇二年五月条に「葦浦屯倉」とみえる。永禄一一年(一五六八)六月 ...
14. あじきごう【安食郷】愛知県:尾張国/春部郡
日本歴史地名大系
含む一帯と考えてよかろう。安食は葦敷とも書かれることから、これを間敷の地名の転訛したものとして、「日本書紀」安閑天皇二年五月条にみえる間敷屯倉にあて、現春日井市 ...
15. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
紫国造磐井の乱531(継体25)継体天皇没す532欽明天皇即位〔元興寺縁起〕534(安閑1)安閑天皇即位538(宣化3)百済の聖明王による仏教公伝〔上宮聖徳法王 ...
16. あずまあそび【東遊】
国史大辞典
遠目はあれど」。相模や駿河の地名が現われる歌は東国産であることを明らかにしている。特に駿河歌の第一曲は安閑天皇の代に有度浜に天女が舞い降りたのを写したという伝説 ...
17. あなのうみ【穴海】広島県:深安郡
日本歴史地名大系
のことが記される。「国造本紀」によると、景行天皇の時吉備穴国造が任命されており、「日本書紀」安閑天皇二年には「婀娜国」に屯倉をおいたとある。これら穴国・婀娜国は ...
18. あわたべむら【粟田部村】福井県:今立郡/今立町
日本歴史地名大系
倉谷川左岸に浄土宗法音寺がある。天神の地には継体天皇伝承にかかわる皇子ヶ池があり、天皇の子、のちの安閑天皇・宣化天皇の産湯の水に用いられたと伝え、「うぶ湯ヶ池」 ...
19. あわのくに【安房国】千葉県地図
日本歴史地名大系
支配領域としていたのではないかと考えられている。「国造本紀」に記載がないのは北に「日本書紀」安閑天皇元年四月条にみえる伊甚屯倉と接し、南からは阿波国造の圧迫を受 ...
20. いおきごう【伊福郷】広島県:安芸国/佐伯郡
日本歴史地名大系
「続日本後紀」天長一〇年(八三三)一〇月九日条に「佐伯郡人伊福部五百足」がみえ、「日本書紀」安閑天皇元年閏一二月条にみえる「安芸国の過戸の廬城部屯倉」にも連なる ...
21. いおきべの-きこゆ【廬城部枳〓喩】
日本人名大辞典
稚足姫(わかたらしひめの)皇女をおかしたと中傷され,罪が自分におよぶのをおそれて息子を殺害。安閑天皇元年娘の幡媛(はたひめ)が皇后に献上した首飾りが盗品であるこ ...
22. いさやまごう【諫山郷】福岡県:豊前国/京都郡
日本歴史地名大系
「太宰管内志」は「伊佐也万と訓ムべし、名義は、胆狭山部の居たる処にて、負せたるべし」と記し、「日本書紀」安閑天皇元年閏一二月条に「筑紫君の胆狭山部」とみえる。同 ...
23. いさやまごう【諫山郷】大分県:豊前国/下毛郡
日本歴史地名大系
廷軍に帰投した郡司らのなかに、「下毛郡擬少領無位勇山伎美麻呂」の名がみえる。なお「日本書紀」安閑天皇元年閏一二月条によれば筑紫国の胆狭山部らが物部氏によって献じ ...
24. いさやまべ【胆狭山部】
国史大辞典
物部連の部民。『日本書紀』安閑天皇元年閏十二月条に、物部大連尾輿が十市部、伊勢国の来狭狭(くささ)・登伊の贄土師部(にえのはじべ)とともに、筑紫国の胆狭山部を ...
25. いさやまむら【諫山村】大分県:下毛郡/三光村
日本歴史地名大系
勇山伎美麻呂」が馳せ参じたとあり、当地に住んでいたと考えられている。それ以前には「日本書紀」安閑天皇元年閏一二月条に、物部尾輿が「筑紫国の胆狭山部」という部曲を ...
26. いじみの-わくご【伊甚稚子】
日本人名大辞典
「日本書紀」にみえる豪族。上総(かずさ)(千葉県)夷隅(いすみ)地方の国造(くにのみやつこ)。安閑天皇元年真珠の献上がおくれたのを天皇からせめられ,後宮ににげこ ...
27. いじむのくにのみやつこ【伊自牟国造】
国史大辞典
る。これは早くから皇室と屯倉などで結合していたために成立し得た系譜の伝であろう。『日本書紀』安閑天皇元年四月条によると、勅命で膳臣大麻呂が伊甚国造に珠を献上する ...
28. いすみぐん【夷隅郡】
国史大辞典
とあり、「伊志美」と註している。安閑天皇の時、国造稚子直(わくこのあたえ)は、勅命を拝して珠を献じた時に、図らずも不敬事件が起り、重 ...
29. いすみぐん【夷隅郡】千葉県
日本歴史地名大系
〔古代〕「旧事本紀」「日本書紀」にみえる伊甚国造、「古事記」に記される伊自牟国造の領域であったと推定される。安閑天皇元年四月、伊甚国造の稚子直は内膳卿の膳臣大麻 ...
30. いずみのくに【和泉国】大阪府地図
日本歴史地名大系
なお根使主は坂本臣の祖であり、武内宿禰の子孫で紀氏と同族であったという氏族伝承をもつ。このほか、安閑天皇元年一〇月条には、安閑がその妃香香有媛に桜井屯倉(現東大 ...
31. いせのくに【伊勢国】三重県
日本歴史地名大系
する記事を除くときわめて少なく、大和朝廷に奉仕する品部は、「日本書紀」雄略天皇一七年三月条と安閑天皇元年閏一二月条に現れる贄土師部だけであり、皇室の直轄地屯倉は ...
32. いたくらごう【板倉郷】群馬県:藤岡市/緑埜村
日本歴史地名大系
また山城醍醐寺報恩院の末寺帳(醍醐寺文書)に「上州緑埜郡板倉村 不動寺」とある。一方、「日本書紀」安閑天皇二年五月条にみえる全国二六ヵ所に設置された屯倉の一つ「 ...
33. 一之宮貫前神社[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
安閑天皇(あんかんてんのう)元年の創祀(そうし)と伝える古社。上野国(こうずけのくに)一宮(いちのみや)として、人々の信仰を集めた。現在の社殿は1635年(寛永 ...
34. いとしべ【伊登志部】
国史大辞典
定めたとあるが、この伊部が諸本によって伊都・伊都部などと相違があるので、本居宣長は『日本書紀』安閑天皇二年五月条に胆年部(いとしべ)屯倉の名がみえることなどを参 ...
35. いなふくみじんじゃ【稲含神社】群馬県:甘楽郡/甘楽町/秋畑村
日本歴史地名大系
とある。永正二年(一五〇五)の「稲含大明神御縁起」(中野文書)によると、秋畑岳山稲含大明神は安閑天皇の頃に日本に来た南天竺阿溯大王の第三姫が、稲穂をひそかに口に ...
36. いぬかいべ【犬養部】
国史大辞典
あるいは宮城諸門の守衛、地方にあっては屯倉の防衛などに任じたものであろう。文献上の初見は『日本書紀』安閑天皇二年八月条であるが、およそ六世紀初頭の設置とみて大過 ...
37. いぬやまし【犬山市】愛知県
日本歴史地名大系
れ、三角縁神獣鏡や精緻な合子に象徴される高い文化が導入されていたことが知られる。「日本書紀」安閑天皇二年五月の項に「置〓筑紫穂波屯倉・鎌屯倉 ...
38. いばらきし【茨木市】大阪府地図
日本歴史地名大系
創建している。このような私領形成が中世において市域に摂関家領が展開する前提であったといえよう。なお安閑天皇のときに設定された竹村屯倉を、桑原・耳原付近とする説や ...
39. いぼぐん【揖保郡】兵庫県
日本歴史地名大系
奥村廃寺(龍野市)や馬立遺跡(新宮町)などとの関連が注目される。なお越部には安閑天皇の時期に屯倉が設置されている(「日本書紀」安閑天皇二年五月九日条など)。一方 ...
40. いるかいけ【入鹿池】愛知県:犬山市/神尾入鹿新田村
日本歴史地名大系
木川・奥入鹿川などはここで大川となり、銚子口から鞍が淵を経て羽黒川へ落ちていた。「日本書紀」安閑天皇二年五月の項に「尾張国間敷屯倉・入鹿屯倉」とあり、この入鹿屯 ...
41. いわてもりじんじゃ【磐手杜神社】大阪府:高槻市/安満村地図
日本歴史地名大系
[現]高槻市安満磐手町 祭神は武甕槌命・斎主神・天児屋根命・姫大神・安閑天皇。旧村社。中世には安満社といい、近世には春日神社と号していたが、明治四四年(一九一一 ...
42. うえくさむら【植草村】千葉県:山武郡/山武町地図
日本歴史地名大系
願出ている(同文書)。小間子牧の牧付村であった。宮代の御嶽神社は久安元年(一一四五)の創建と伝え、祭神は安閑天皇という。古くは三三ヵ郷の鎮守と伝える。一月六日・ ...
43. おおあかみむら【大赤見村】愛知県:一宮市
日本歴史地名大系
決むべき証なし」と記し、さらに「徇行記」では「集説、仁賢天皇之皇女、山田皇后、又名赤見皇女、安閑天皇后也」と述べている。また、この村に織田平七郎の在居と伝える大 ...
44. おおしかわちの-あじはり【大河内味張】
日本人名大辞典
?−? 6世紀前半の豪族。天津彦根命(みこと)の子孫とされる。安閑天皇元年(534)天皇が皇后の屯倉(みやけ)とするために味張の土地をもとめたとき,献上をおしみ ...
45. おおすみのみや【大隅宮】大阪府:大阪市
日本歴史地名大系
西大道村(現東淀川区)にその旧跡を求めている。その根拠は必ずしも明らかでないが、「日本書紀」安閑天皇二年九月一三日条に、牛を「難波の大隅島と媛島の松原」に放した ...
46. おおぬきのみやけ【大抜屯倉】福岡県:北九州市(旧豊前域)/小倉南区
日本歴史地名大系
豊国の屯倉。「日本書紀」安閑天皇二年五月九日条に大抜屯倉とみえる。また同書宣化天皇元年五月一日条には、筑紫・肥・豊の三ヵ国の屯倉の稲穀をいわゆる那津官家(現福岡 ...
47. おおのぐん【大野郡】
国史大辞典
大野郡〓」とある。『日本書紀』安閑天皇二年五月条の豊国の桑原屯倉は当郡大野町桑原との説もある。『豊後国風土記』に「郷肆所(里一十一) ...
48. おおのぐん【大野郡】 : 大野郡/(四)
国史大辞典
大野郡〓」とある。『日本書紀』安閑天皇二年五月条の豊国の桑原屯倉は当郡大野町桑原との説もある。『豊後国風土記』に「郷肆所(里一十一) ...
49. おおやけごう【大宅郷】広島県:備後国/深津郡
日本歴史地名大系
「福山志料」は「ヲヽヤケ」と傍注する。「日本地理志料」は「於保也介」と読み、大宅は屯倉で、「日本書紀」安閑天皇二年五月九日条にみえる婀娜国の「胆年部屯倉」をこの ...
50. おおやごう【大家郷】広島県:備後国/安那郡
日本歴史地名大系
、裏に「大家里白米五斗」とするものがあり、この説は認められる。「日本地理志料」は「日本書紀」安閑天皇二年五月九日条にみえる「婀娜国胆殖屯倉」について「家与 ...
「安閑天皇」の情報だけではなく、「安閑天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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