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  11. 宣化天皇

宣化天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『宣化天皇』の国史大辞典・日本大百科全書のサンプルページ

国史大辞典
宣化天皇
せんかてんのう
『日本書紀』によれば、生没年は四六七―五三九年、五三六―三九年在位。名は檜隈高田(ひのくまのたかだ)、諡を武小広国押盾(たけおひろくにおしたて)天皇という。継体天皇の皇子、母は尾張連草香の女の目子媛(めのこひめ)、安閑天皇の同母弟。安閑のあとをついで即位。檜隈の廬入野(奈良県高市郡明日香村檜前)に都し、仁賢天皇の女の橘仲皇女を皇后に立て、大伴金村・物部麁鹿火を大連、蘇我稲目を大臣とする。『上宮聖徳法王帝説』などは仏教伝来の年を欽明天皇戊午年とするが、戊午は五三八年で宣化の治世にあたる。これが継体・宣化朝と欽明朝併立説の根拠の一つである。廬入野宮で没す。年七十三、大和の身狭桃花鳥坂上陵に葬ると伝える。→継体・欽明朝の内乱(けいたい・きんめいちょうのないらん)
(直木 孝次郎)

身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)

奈良県橿原市鳥屋町にある。皇后橘仲皇女との合葬陵。江戸時代には「みさんざい山」という。『日本書紀』宣化天皇四年十一月条に「葬〓天皇于大倭国身狭桃花鳥坂上陵〓、以〓皇后橘皇女及其孺子〓〓葬于是陵〓」とあるが、『延喜式』諸陵寮では当陵について「在〓大和国高市郡〓、兆域東西二町、南北二町、守戸五烟」とし、遠陵とするが、合葬については記していない。当陵は中世以後所在不明となり、元禄の諸陵探索で同十二年(一六九九)四月、京都所司代松平信庸は、現陵を決定し老中へ報告した。墳丘は丘陵の先端に位置し、丘尾を切断して築造した前方後円墳で、北北東に面する。現状は長軸の長さ一三八メートル、前方部幅七七メートル、後円部径八三メートル、高さ前方部一八・九メートル、後円部一八メートル、両側くびれ部には各造出しがある。墳丘裾は、前方部正面に河石積石垣、他は練石積擁壁を設ける。擁壁は昭和四十六年(一九七一)、侵蝕部に葺石などの遺構を破壊せぬ工法で施工、擁壁基礎外側には葺石遺構が埋没遺存する。周濠は寛永年間(一六二四―四四)に灌漑用水に利用するため、東側外堤を切り取って鳥屋池を作り、貯水量を増すため西側外堤の嵩上げを繰り返した。このため濠底が堆積土で埋まり、墳丘は裾が埋没したため小さくみえ、西側渡土手は水没して痕跡をとどめるだけとなった。当陵出土品には宮内庁書陵部所蔵の埴輪・須恵器などがある。
[参考文献]
『(宣化天皇・皇后橘仲姫皇女)身狭桃花鳥坂上陵之図』(宮内庁所蔵『陵墓地形図』)、上野竹次郎『山陵』上、陵墓調査室「昭和五十一年度陵墓関係調査概要」(『書陵部紀要』二九)
(石田 茂輔)


日本大百科全書(ニッポニカ)
宣化天皇
せんかてんのう

生没年不詳。記紀によれば第28代の天皇。6世紀前半に在位。武小広国押盾(たけおひろくにおしたて)天皇ともいう。継体(けいたい)天皇の第2子。母は目子媛(めのこひめ)。兄安閑(あんかん)天皇の後を受けて即位、大和(やまと)の檜隈廬入野宮(ひのくまのいおいりのみや)(奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村)に都し、橘仲皇女(たちばなのなかつひめみこ)を皇后とする。大伴金村(おおとものかなむら)、物部麤鹿火(もののべのあらかい)を大連(おおむらじ)、蘇我稲目(そがのいなめ)を大臣(おおおみ)とし、諸国の屯倉(みやけ)の稲を運ばせて、那津(なのつ)(福岡市博多(はかた))に官家(みやけ)を建て、任那(みまな)・百済(くだら)救援のために大伴狭手彦(さてひこ/さでひこ)を遣わしたと伝えられる。次代の欽明(きんめい)天皇との並立も考えられ、朝廷内部の動揺期にあたる。治世4年で没し、大和の身狭桃花鳥坂上(むさのつきさかのうえ)陵(奈良県橿原(かしはら)市鳥屋(とや))に葬る。『日本書紀』には、皇后とその幼児も合葬したとある。
[志田諄一]

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1. 宣化天皇
日本大百科全書
生没年不詳。記紀によれば第28代の天皇。6世紀前半に在位。武小広国押盾(たけおひろくにおしたて)天皇ともいう。継体(けいたい)天皇の第2子。母は目子媛(めのこひ ...
2. せんか‐てんのう[センクヮテンワウ]【宣化天皇】
日本国語大辞典
第二八代の天皇。継体天皇の第二皇子。諡(おくりな)は武小広国押盾天皇(たけをひろくにおしたてのすめらみこと)。「日本書紀」によれば、檜隈(ひのくま)の廬入野宮( ...
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奈良県橿原市鳥屋町にある。皇后橘仲皇女との合葬陵。江戸時代には「みさんざい山」という。『日本書紀』宣化天皇四年十一月条に「葬〓天皇于大 ...
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古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 8ページ ...
5. せんかてんのう【宣化天皇】
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母兄。都は檜隈(ひのくま)の廬入野(いおりのの)宮。蘇我稲目(そがの-いなめ)を大臣とした。宣化天皇4年2月10日死去。73歳。墓所は身狭桃花鳥坂上陵(むさのつ ...
6. あおきし【青木氏】画像
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『武蔵七党系図』によれば、宣化天皇の曾孫多治比古王が臣籍に降り、その子孫が武蔵国に移って秩父郡・賀美郡を領し、子孫が丹党として栄えたと伝えるが、この所伝には疑わ ...
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『武蔵七党系図』によれば、宣化天皇の曾孫多治比古王が臣籍に降り、その子孫が武蔵国に移って秩父郡・賀美郡を領し、子孫が丹党として栄えたと伝えるが、この所伝には疑わ ...
8. あかのみやけ【我鹿屯倉】福岡県:田川郡/赤村
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9. あすかむら【明日香村】奈良県:高市郡
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10. あそぐん【阿蘇郡】
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11. 阿倍氏
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12. ありまぐん【有馬郡】兵庫県:摂津国
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13. あわたべむら【粟田部村】福井県:今立郡/今立町
日本歴史地名大系
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14. あんかんてんのう【安閑天皇】
国史大辞典
けかなひ)天皇という。継体天皇の第一子、母は尾張連草香の女の目子媛(めのこひめ)。同腹の弟に宣化天皇がある。継体の次に即位するが、『日本書紀』や『上宮聖徳法王帝 ...
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日本歴史地名大系
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17. いしひめのおうじょ【石姫皇女】
国史大辞典
欽明天皇の皇后。『古事記』は石比売命、『上宮聖徳法王帝説』は伊斯比女命と記す。『日本書紀』によれば、宣化天皇の皇女で、母は仁賢天皇皇女橘仲皇女。欽明天皇元年正月 ...
18. いしひめのおうじょ【石姫皇女】
日本人名大辞典
?−? 6世紀,欽明(きんめい)天皇の皇后。宣化天皇の皇女。母は橘(たちばなの)皇女。箭田珠勝大兄(やたのたまかつのおおえの)皇子,敏達(びだつ)天皇,笠縫(か ...
19. いせのくに【伊勢国】三重県
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「日本書紀」雄略天皇一七年三月条と安閑天皇元年閏一二月条に現れる贄土師部だけであり、皇室の直轄地屯倉は、宣化天皇元年五月条に現れる新家屯倉(現久居市に比定)がそ ...
20. いなうじ【為奈氏】
国史大辞典
古代の皇別氏族の一つ。韋那・偉那・猪名・威奈とも書く。『古事記』宣化天皇段、『日本書紀』宣化天皇元年三月条では宣化天皇の皇子恵波王(上殖葉皇子)を祖とし、『新 ...
21. いなおおむらこつぞうきしゅつどち【威奈大村骨蔵器出土地】奈良県:北葛城郡/香芝町/穴蒸村
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23. いなの-おおむら【威奈大村】
日本人名大辞典
662−707 飛鳥(あすか)時代の官吏。天智(てんじ)天皇元年生まれ。宣化天皇の4世孫。少納言,左小弁をへて,慶雲(きょううん)2年越後(えちご)城司となる。 ...
24. 威奈大村墓誌
世界大百科事典
記した長文の序と,大村の出自・人柄・功績などをたたえ,死を悼む銘の2部から成っている。序によると,大村は宣化天皇の子孫で,威奈鏡の子である。文武朝に少納言となり ...
25. おいしひめのおうじょ【小石姫皇女】
日本人名大辞典
?−? 6世紀,欽明(きんめい)天皇の妃。宣化天皇と橘(たちばなの)皇女の娘。欽明天皇の皇后石姫皇女の同母妹。石上(いそのかみの)皇子を生んだという伝承がある。 ...
26. おおしかわちの-わくごひめ【大河内稚子媛】
日本人名大辞典
?−? 6世紀,宣化天皇の妃。火焔(ほのおの)皇子を生む。「古事記」では川内之若子比売。 ...
27. おおとものいわ【大伴磐】
国史大辞典
六世紀前半ごろの豪族。大連大伴金村の子。『日本書紀』によると、宣化天皇二年十月新羅が任那を攻めたので、天皇は金村に詔して、その子の磐と狭手彦を遣わして、任那を ...
28. 大伴狭手彦
日本大百科全書
生没年不詳。6世紀中葉の豪族、武将。大伴金村(かなむら)の子。537年(宣化天皇2)、新羅(しらぎ)に侵略された任那(みまな)を救援するため朝鮮に渡り、任那を鎮 ...
29. おおとものさてひこ【大伴狭手彦】
国史大辞典
六世紀中葉の豪族、武将。大連大伴金村の子。『日本書紀』によれば、宣化天皇二年新羅が任那を侵したので、天皇は金村に詔して、その子の磐と狭手彦とに任那を助けさせた ...
30. おおともの-さてひこ【大伴狭手彦】
日本人名大辞典
?−? 6世紀中ごろの豪族。大伴金村(かなむら)の3男。大伴磐(いわ)の弟。宣化天皇2年(537)新羅(しらぎ)(朝鮮)に攻められた任那(みまな)(朝鮮)をたす ...
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日本国語大辞典
大和時代の武将。金村の子。宣化天皇二年(五三七)新羅の任那(みまな)侵攻に際し、渡海して任那、百済(くだら)を救った。松浦佐用姫(まつらさよひめ)との悲恋伝説が ...
32. おおぬきのみやけ【大抜屯倉】福岡県:北九州市(旧豊前域)/小倉南区
日本歴史地名大系
豊国の屯倉。「日本書紀」安閑天皇二年五月九日条に大抜屯倉とみえる。また同書宣化天皇元年五月一日条には、筑紫・肥・豊の三ヵ国の屯倉の稲穀をいわゆる那津官家(現福岡 ...
33. おおみやじんじゃ【大宮神社】香川県:仲多度郡/満濃町/吉野上村
日本歴史地名大系
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34. おきのくに【隠岐国】島根県
日本歴史地名大系
后妃の諸費用に充てるための私部、反正天皇の名代である蝮王部、穴穂皇子(安康天皇)名代の孔王部、宣化天皇名代の檜前部などがある。ほかに大伴部・宗我部・物部など豪族 ...
35. おばたむら【小波田村】三重県:名張市
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南伊賀における早期開発地域であったと推量される。ここに稲置が置かれたとすれば、屯倉の存在が想定される。同書宣化天皇元年五月一日条には、伊賀臣が伊賀国の屯倉の穀を ...
36. おみあしじんじゃ【於美阿志神社】奈良県:高市郡/明日香村/檜前村
日本歴史地名大系
於美阿志神社は磐橋神社とも称し、高市郡久迷郷にあって、高市連・奄知造らの祖天目一箇神を祀るとある。近世、社地は宣化天皇檜隈廬入野宮跡とされ、また神宮寺として檜隈 ...
37. 改訂 京都民俗志 298ページ
東洋文庫
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38. かがみやま【鏡山】佐賀県:唐津市/鏡村
日本歴史地名大系
墓治置。其墓見在」と述べている。大伴金村の子、磐と狭手彦が任那に遣わされたことは「日本書紀」宣化天皇二年の条にみえる。風土記では弟日姫子であるが、佐用姫の名がみ ...
39. かごむら【鹿籠村】鹿児島県:枕崎市
日本歴史地名大系
有川夢宅の坐像(石体)がある。今嶽神社は別府北端の下山岳(四一五・八メートル)南麓に鎮座。口碑によれば、宣化天皇が西国行幸の際に大島(奄美大島)で破船し、島人が ...
40. かすやのみやけ【糟屋屯倉】福岡県:糟屋郡
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またいわゆる那津官家(現福岡市博多区)の修造に際して、筑紫・肥・豊三国の屯倉の稲穀が集められており(同書宣化天皇元年五月一日条)、当屯倉からも運ばれたと推測され ...
41. かたのぐん【交野郡】大阪府:河内国
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由来すると考えられている。「和名抄」に記された交野郡三宅郷を、「日本書紀」仁徳天皇一三年条と宣化天皇元年条、および「古事記」仁徳天皇の段にみえる茨田屯倉に関係す ...
42. 甲子夜話続篇 1 95ページ
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45. 甲子夜話続篇 8 231ページ
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46. かとのみやけ【肝等屯倉】福岡県:京都郡/苅田町
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結ぶ線は、大宰府から豊前に至るのちの駅路に相当し、陸上交通の要衝を押えるものであった。また同書宣化天皇元年五月一日条には筑紫・肥・豊の三ヵ国の屯倉の稲穀の一部を ...
48. かわけたみかべじんじゃ【河桁御河辺神社】滋賀県:八日市市/神田村
日本歴史地名大系
河辺)大明神といい、明治初年に現社名に改称した。創建の時期は不明。社蔵の「鎮座記」によれば、宣化天皇乙未年、神崎の郡司玉祖宿禰磯戸彦は神前川(愛知川)の河辺で水 ...
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日本歴史地名大系
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子で母は皇后手白香(たしらか)皇女。異母兄の宣化天皇の死後をうけて539年に即位し,大和の磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや)におり,宣化天皇の女の石姫を皇 ...
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