1. びたつ‐てんのう[‥テンワウ]【敏達天皇】
日本国語大辞典
第三〇代の天皇(在位五七二~五八五年)。名は訳語田渟中倉太珠敷尊(おさだのぬなくらふとたましきのみこと)。欽明天皇の第二皇子。母は石姫皇女。皇后は豊御食炊屋姫尊 ...
2. 敏達天皇(びたつてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 8ページ ...
3. 敏達天皇
日本大百科全書
6世紀中葉の天皇で、記紀では第30代に数えられる。『日本書紀』によれば在位は14年間とする。渟名倉太珠敷(ぬなくらふとだましき)(沼名倉太玉敷)天皇(命(みこと ...
4. びだつてんのう【敏達天皇】
国史大辞典
葬之陵也」と二陵の陵号を磯長陵とするが、『延喜式』諸陵寮は陵号と墓号に分記し、現陵号の項は「訳語田宮御宇
敏達天皇、在
河内国石川郡
...5. びだつてんのう【敏達天皇】
日本人名大辞典
はかるがみのらず,また疫病流行がおさまらないのは,蘇我(そが)氏が仏法をひろめたためとして,排仏を実行した。敏達天皇14年8月15日死去。墓所は河内磯長中尾陵( ...
6. あがたのいぬかいのみちよ【県犬養三千代】
国史大辞典
―七三三 奈良時代の女性。藤原不比等の妻、光明皇后の母。従四位下県犬養宿禰東人の女で、はじめ敏達天皇の曾孫にあたる美努王に嫁し、葛城王(橘諸兄)・佐為王(橘佐為 ...
7. あしきたぐん【葦北郡】
国史大辞典
南部は水俣市域となっている。郡名の初見は『続日本紀』天平十六年(七四四)五月条であるが、『日本書紀』敏達天皇十二年条には「火葦北国造刑部靫部阿利斯登之子、臣達率 ...
8. あしきたぐん【葦北郡】熊本県
日本歴史地名大系
任那日本府の滅亡後、百済にあって外交折衝をしていた葦北出身の高官達率日羅が呼返されている。「日本書紀」敏達天皇一二年条に「火葦北国造刑部靫部阿利斯登の子、臣、達 ...
9. あしきたのくにのみやつこ【葦北国造】
国史大辞典
したが朝鮮半島経営にも参画していて、『日本書紀』敏達天皇十二年条によれば、葦北国造阿利斯登の子の日羅(にちら)は百済でその賢勇を謳われ、敏達天皇は任那恢復につい ...
10. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
想定する見解による)555(欽明16)白猪屯倉を設置562(欽明23)新羅、任那日本府を滅ぼす572(敏達1)敏達天皇即位587(用明2)蘇我馬子、物部守屋を滅 ...
11. あなほべのおうじ【穴穂部皇子】
国史大辞典
母は欽明妃の蘇我堅塩媛(きたしひめ)の同母弟小姉君(おあねのきみ)。敏達天皇の崩後、天下を取らんとし、物部守屋とむすんで、皇子に反対する敏達天皇の寵臣三輪君逆( ...
12. 穴穂部皇子
世界大百科事典
?-587 欽明天皇の皇子で,母は欽明妃で大臣蘇我稲目の女小姉君(おあねのきみ)。敏達天皇の没後大連(おおむらじ)の物部守屋と結んで天下をとろうとし,これに反対 ...
13. あま【尼】画像
日本国語大辞典
仏門に入った女性。具足戒を受け、中古ごろは頭髪を肩のあたりでそぎ、のちには剃るようになった。敏達天皇一三年に善信尼らが出家したのが日本での始まりとされる。尼僧。 ...
14. あま【尼】
仏教語大辞典
尼はṇīの音写だから、意味はない 出家して仏門に入った女性。本来は比丘尼の具足戒を受けたもので、敏達天皇の十三年に出家した善信尼らは朝鮮にわたって具足戒を受け ...
15. あまぐん【海部郡】愛知県
日本歴史地名大系
た(新撰姓氏録)。記紀の所伝によれば、允恭天皇二年二月に尾張地方最古の名代である刑部、次いで敏達天皇六年二月に私部が本郡に設置されている。県主制に代わって大和政 ...
16. いけだごう【池田郷】大阪府:和泉国/和泉郡
日本歴史地名大系
茅渟海中から梵音が聞こえたため天皇の命で海中から樟の霊木を引上げたとある溝辺直は、おそらく同書敏達天皇一三年是歳条の池辺直氷田と同一人で、溝は池の誤りであろう。 ...
17. いけのべのなみつきのみや【池辺双槻宮】
国史大辞典
用明天皇の皇居。『日本書紀』用明天皇即位前紀
敏達天皇十四年九月戊午条に「天皇即
天皇位
...18. いけのべのひだ【池辺氷田】
国史大辞典
ほぼ同じ内容の説話を載せ、池辺氷田がこの楠で阿弥陀仏と菩薩の三像を彫刻したと伝える。『日本書紀』敏達天皇十三年条によれば、蘇我馬子の命により、池辺氷田と司馬達等 ...
19. いしかわぐん【石川郡】大阪府:河内国
日本歴史地名大系
一四年条に「大溝を感玖に掘る。乃ち石河の水を引きて」とあって古くから存したことが知られ、同書敏達天皇一二年条に、百済から渡来した日羅の妻子らを「石川に居らしむ」 ...
20. いしかわしょうじゃ【石川精舎】
国史大辞典
『日本書紀』敏達天皇十三年条に蘇我馬子が百済伝来の弥勒石像を安置するため自宅の東に仏殿を造り、また石川の宅にも仏殿を造ったと記す。しかしこの記事の二つの宅の位 ...
21. いしかわ‐の‐しょうじゃ[いしかはのシャウジャ]【石川精舎】
日本国語大辞典
敏達天皇一三年(五八四)蘇我馬子が石川の自宅に仏像を安置したというわが国最初の寺。現在の奈良県橿原市石川町の浄土宗本明寺の地とされる。イシカワノショージャ ...
22. いしかわのしょうじゃ【石川精舎】奈良県:橿原市/畝傍地区/石川村
日本歴史地名大系
「日本書紀」
敏達天皇一三年条に「馬子宿禰、亦、石川の宅にして、仏殿を修治る。仏法の初、
より作れり」とある。所在について「大和志」に「石川廃精舎
...23. いしかわむら【石川村】奈良県:橿原市/畝傍地区
日本歴史地名大系
[現]橿原市石川町 畝傍山東南、下ツ道東側、大軽村の北に位置する。「日本書紀」敏達天皇一三年の条に、蘇我馬子らが石川の宅に仏殿を造営するという記事があり、当村に ...
24. いしひめのおうじょ【石姫皇女】
国史大辞典
宣化天皇の皇女で、母は仁賢天皇皇女橘仲皇女。欽明天皇元年正月立后。箭田珠勝大兄皇子・敏達天皇・笠縫皇女の二男一女を生み、敏達天皇元年四月、皇太后の尊号をうけたと ...
25. いしひめのおうじょ【石姫皇女】
日本人名大辞典
箭田珠勝大兄(やたのたまかつのおおえの)皇子,敏達(びだつ)天皇,笠縫(かさぬいの)皇女を生む。敏達天皇元年(572)皇太后となる。石比売命ともいう。 ...
26. いずみし【和泉市】大阪府地図
日本歴史地名大系
上に散見する。このこととも関連し、彼らによる先進文化導入(仏教受容)も早かった。「日本書紀」敏達天皇一三年条にみえる池辺直永田は仏教受容期の貢献者であった。飛鳥 ...
27. いせじんぐう【伊勢神宮】三重県:伊勢市
日本歴史地名大系
後に皇子茨城に
されたるに坐りて解けぬ」、(三)
敏達天皇七年菟道皇女が「伊勢の祠に侍らしむ。即ち池辺皇子に
...28. いせのおおかの-うなこ【伊勢大鹿菟名子】
日本人名大辞典
?−? 6世紀後半,敏達(びだつ)天皇の夫人(ぶにん)。敏達天皇4年(575)夫人となり,太姫(ふとひめの)皇女,糖手姫(ぬかてひめの)皇女を生んだ。 ...
29. い‐そう[‥サウ]【異相】
日本国語大辞典
すぐれてよい場合にも悪い場合にもいう。(イ)人、動物の場合。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・
敏達天皇一二年「太子聞
日羅有
...30. いちじょういんあと【一乗院跡】鹿児島県:川辺郡/坊津町/坊村
日本歴史地名大系
寺名は西海金剛峯如意珠山龍巌寺一乗院。真言宗に属し、本尊は虚空蔵菩薩、開基は百済国の日羅、中興開山は成円。敏達天皇一二年日羅が来朝して創建。上ノ坊・中ノ坊・下ノ ...
31. いっ‐ぺん【一遍・一反】
日本国語大辞典
ん)なな」(2)物事の始めから終わりまで。ひとわたり。一部始終。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕
敏達天皇七年「太子焼
香披見。日別一二巻
...32. 逸文参考(風土記) 567ページ
日本古典文学全集
百済村 百済ノ人来レハ多ク河内国久多羅郡ニ住居セシム。此郡ハ別テ其内ニクタラ村アリ。是卅一代敏達天皇ノ御時、阿ノクタラ三藐三菩提寺ナト云ヲ建玉フ。故地名トスル事 ...
33. いわきのじんじゃ【石城神社】山口県:熊毛郡/大和町/塩田村
日本歴史地名大系
を形成した。旧県社。「延喜式」神名帳の周防国十座のうちに「熊毛郡並小石城神」とみえる。鎮座は敏達天皇三年と伝える(神祇志料)。「三代実録」貞観九年(八六七)八月 ...
34. いわやじあと【岩屋寺跡】大分県:大分市/旧大分市地区/古国府村
日本歴史地名大系
たという。大友貞宗と直翁智侃が巌屋寺の故事について談じた際に直翁が話した民間の伝説によれば、敏達天皇一二年七月天皇の命によって来朝した百済国の日羅が上洛する途中 ...
35. いん‐ざ【隠坐】
日本国語大辞典
〔名〕(「隠」は「穏」に同じ)おだやかにすわること。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・
敏達天皇一二年「太子隠坐易
衣而出」*北史‐薛
...36. いん‐ぴ【隠避】
日本国語大辞典
〔名〕(1)隠れ避けること。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・
敏達天皇四年「兄弟不和。諸少児等輙以口闘。今欲
笞誨
...37. う‐さく【烏冊】
日本国語大辞典
〔名〕カラスの羽に文字を書いた文書。敏達天皇の御代に、高麗がカラスの羽に書いた上表文を奉ったという。*懐風藻〔751〕序「高麗上表、図 ...
38. うじのかいだこのおうじょ【菟道貝鮹皇女】
日本人名大辞典
母は推古天皇。聖徳太子と結婚したが,子はなかった。「古事記」に静貝王,またの名は貝鮹王とあるが,敏達天皇の前の皇后広姫が生んだ子との混同があるらしい。 ...
39. うすきまがいぶつ【臼杵磨崖仏】大分県:臼杵市/深田村
日本歴史地名大系
深田の石仏は真名長者が隋国の天台山に黄金を寄進したことを契機に、百済の蓮城が仏像を持って来朝、敏達天皇のとき祇陀・療病・施薬・安養・戯楽(快楽)の五院を建立して ...
40. うちつみやけ【内官家】
国史大辞典
九年)十月条で、ついで(二)同摂政前紀十二月条、(三)同継体天皇二十三年四月戊子条、(四)同敏達天皇十二年七月朔条、(五)同推古天皇三十一年(六二三)是歳条、( ...
41. うみ‐じんじゃ【宇美神社】
日本国語大辞典
こと)ほか四柱。新羅から凱旋した神功皇后が、誉田別命(応神天皇)を出産した霊地と伝えられる。敏達天皇三年の創建と伝えられ、古くから安産の神として信仰された。産宮 ...
42. うみはちまんぐう【宇美八幡宮】福岡県:糟屋郡/宇美町/宇美村
日本歴史地名大系
産の神として知られている。創建年代について、近世に当宮別当が記した「留守良勝伝子孫書」には「敏達天皇三年甲午筑紫蚊田邑始宮柱太敷建給う」とある。天喜三年(一〇五 ...
43. えき‐しつ【疫疾】
日本国語大辞典
〔名〕流行病。疫。また、それを病むこと。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・
敏達天皇一四年「於
是、国有
...44. えちぜんのくに【越前国】福井県
日本歴史地名大系
史実においても欽明天皇三一年に「高麗の使人」が「越の岸」に漂着したことを江沼臣裙代が報告しているし、敏達天皇二年にも同様記事がみられる(日本書紀)。江沼臣はのち ...
45. 江戸繁昌記 3 252ページ
東洋文庫
(二)振古 むかしから。振は、自りの意。『茅窓漫録』(茅原定著)に、「鎗来由。雑々拾遺に、敏達天皇の後胤和田賢秀、暦応元年、手鉾の中より鎗を工夫し、始て作り出 ...
46. えびなし【海老名氏】画像
国史大辞典
東国武士の一族。出自は村上源氏、敏達天皇より出た小野氏、清和源氏など系図によりまちまちである。海老名という地名は相模・遠江などにあり、海老名を苗字とするものの ...
47. えん‐きゅう[ヱンキウ]【冤仇】
日本国語大辞典
〔名〕うらみ。また、かたき。仇敵。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・
敏達天皇一二年「冤仇不
離。断
...48. 王辰爾
日本大百科全書
欽明朝に船賦(船税)を数え録した功により、船長(ふねのつかさ)に任ぜられ、船史の氏姓を賜わった。572年(敏達天皇1)には誰も読むことのできなかった高句麗の国書 ...
49. おうしんに【王辰爾】
国史大辞典
船賦(ふねのみつき)を数え録させ、辰爾を船長(ふねのつかさ)とし、船史の姓(かばね)を与えたといい、敏達天皇元年五月に東西の諸史がみな読みえなかった高句麗の表疏 ...
50. おおいたもとまちせきぶつ【大分元町石仏】大分県:大分市/府内城下/元町
日本歴史地名大系
三尊仏は、風化損傷のため痕跡をとどめるのみで像名は不明。「雉城雑誌」によると薬師堂の石仏群は敏達天皇一二年百済国から来朝した僧日羅の作と伝え、同僧開基の岩屋寺の ...