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用明天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『用明天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
用明天皇
ようめいてんのう
六世紀末の天皇。『日本書紀』によれば五八五―八七年在位。異母兄敏達天皇の死去をうけて即位。橘豊日尊、大兄皇子と称す。父は欽明天皇、母は蘇我稲目の女、堅塩媛。異母妹の穴穂部間人皇女(母は堅塩媛の妹、小姉君)を妃として、厩戸・来目・殖栗・茨田の諸皇子を得た。また、稲目の女石寸名との間に田目皇子を、葛城直磐村(当麻倉首比呂)の女広子(飯之子)との間に当麻皇子・酢香手姫皇女をもうけた。即位に伴い、磐余池のほとりに双槻宮を営んだ。二年四月、磐余の河上での新嘗祭(大嘗祭か)の帰途、病にたおれ、双槻宮で没した。没日を『古事記』は四月十五日とし、『日本書紀』は四月九日とする。死に臨み、仏教への帰依を願ったという。磐余池上陵に葬られたが、のちに河内磯長に改葬された。天皇の死はその後継者をめぐる蘇我氏・物部氏激突の引き金となった。なお、天皇は正式には即位せず「臨朝」したにすぎず、王位をねらう異母弟穴穂部皇子の命をうけた物部守屋に暗殺されたとする説がある。天皇の直系の子孫は皇極天皇二年(六四三)に滅んだが、登美真人・当麻真人・蜷淵真人がその血統を後世に伝えた。
[参考文献]
岸雅裕「用明・崇峻期の政治過程」(『日本史研究』一四八)
(遠山 美都男)

河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)

大阪府南河内郡太子町大字春日にある。『日本書紀』は、用明天皇二年四月天皇が崩じ、七月に磐余池上陵(いわれのいけのへのみささぎ)に葬り、推古天皇元年(五九三)九月河内磯長陵に改葬、とする。『古事記』は陵号を科長中陵とする。『延喜式』諸陵寮は、現陵号で「在〓河内国石川郡〓、兆域東西二町、南北三町、守戸三烟」とし遠陵に入れる。当陵は幕末まで所在明白で、元治元年(一八六四)修補をし拝所を設け、明治三十二年(一八九九)には勅使を遣し工事の奉告祭を行なって御在所修理を行なった。南面する方墳で、東西六四メートル、南北約六〇メートル、高さ一〇メートル、幅約六・五メートルの空湟がめぐり、湟には高さ約二メートルの土手を設けている。初葬地は所在不明であるが、天皇の皇居の池辺双槻宮と、地名「いけのへ」が一致するので、奈良県桜井市阿部付近と考えられている。
[参考文献]
宮内庁編『明治天皇紀』九、『用明天皇河内磯長原陵之図』(宮内庁書陵部保管『陵墓地形図』三一四〔L八〇〕)、上野竹次郎『山陵』上
(石田 茂輔)


日本大百科全書(ニッポニカ)
用明天皇
ようめいてんのう
[?―587]

第31代とされる天皇(在位585~587)。和風諡号(しごう)は橘豊日(たちばなとよひ)天皇。欽明(きんめい)天皇の第四皇子。母は蘇我堅塩媛(そがのきたしひめ)で、その第1子。厩戸(うまやど)皇子(聖徳太子)の父である。敏達(びだつ)天皇のあと池辺双槻宮(いけべなみつきのみや)で即位し、大臣は蘇我馬子(うまこ)、大連(おおむらじ)は物部守屋(もののべのもりや)。また、葛城(かずらき)広子との間に生まれた酢香手姫(すかてひめ)皇女を伊勢斎王(いせさいおう)とした。異母弟の穴穂部(あなほべ)皇子(母は蘇我小姉君(おあねのきみ))は、この天皇の即位に不満であったらしく、なにかと物部守屋と結んで蘇我馬子と対立し、政局の混迷を深めた。この対立は、587年(用明天皇2)2月、病を得た天皇が仏教信仰の是非を問うたことから極度に高まり、そのなかで天皇は死んだ。その直後に馬子は守屋とその支持勢力を討ち滅ぼした。陵墓は、大阪府南河内(かわち)郡の磯長原(しながはら)陵。
[門脇禎二]



世界大百科事典
用明天皇
ようめいてんのう
?-587

第31代に数えられる天皇。在位585-587年。欽明天皇の第4皇子,母は蘇我稲目の娘堅塩媛。大兄皇子といい,同母兄敏達天皇の死によって585年9月,磐余池辺双槻宮に即位。異母妹穴穂部間人皇女を皇后に立て,大臣蘇我馬子,大連物部守屋の補佐を受けたが,両氏の抗争の中で587年4月に没した。橘豊日天皇と諡(おくりな)し,大阪府南河内郡の河内磯長原陵に葬る。法隆寺金銅薬師如来像光背銘に,病の天皇が薬師像と寺を造ろうとして成らず,推古天皇と聖徳太子が受けついだことが記されている。皇子に厩戸皇子(聖徳太子)があり,皇女酢香手姫は伊勢斎王となった。

聖徳太子信仰がひろまるにつれて,仏法の興隆につくした天皇と伝えられるようになり,東北から九州まで各地に太子の父用明天皇の潜幸伝説がある。幸若舞曲《烏帽子折》にとりあげられた貴種流離譚は,近松門左衛門の浄瑠璃《用明天王職人鑑》で脚色を加えられ,広く人々に知られた。
[大隅 和雄]

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1. 用明天皇
日本大百科全書
らしく、なにかと物部守屋と結んで蘇我馬子と対立し、政局の混迷を深めた。この対立は、587年(用明天皇2)2月、病を得た天皇が仏教信仰の是非を問うたことから極度に ...
2. 用明天皇
世界大百科事典
聖徳太子信仰がひろまるにつれて,仏法の興隆につくした天皇と伝えられるようになり,東北から九州まで各地に太子の父用明天皇の潜幸伝説がある。幸若舞曲《烏帽子折》にと ...
3. ようめい‐てんのう[‥テンワウ]【用明天皇】
日本国語大辞典
第三一代の天皇(在位五八五~五八七年)。名は橘豊日。欽明天皇第四皇子。母は蘇我稲目の女堅塩媛。この天皇の仏教帰依の可否をめぐって蘇我・物部両豪族の抗争がはじまっ ...
4. ようめいてんのう【用明天皇】
国史大辞典
河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ) 大阪府南河内郡太子町大字春日にある。『日本書紀』は、用明天皇二年四月天皇が崩じ、七月に磐余池上陵(いわれのいけ ...
5. 用明天皇
日本史年表
造らんと願う(紀)。 587年〈用明2 丁未〉 4・9 没。 593年〈推古元 癸丑〉 9・‐ 用明天皇 を河内磯長陵に改葬(紀)。  ...
6. 用明天皇(ようめいてんのう)
古事類苑
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7. ようめいてんのう【用明天皇】
日本人名大辞典
馬子(そがの-うまこ)と大連(おおむらじ)物部守屋(もののべの-もりや)との対立を助長した。用明天皇2年4月9日死去。墓所は河内磯長原陵(かわちのしながのはらの ...
8. ようめいてんのう【用明天皇】
日本架空伝承人名事典
聖徳太子信仰がひろまるにつれて、仏法の興隆につくした天皇と伝えられるようになり、東北から九州まで各地に太子の父用明天皇の潜幸伝説がある。幸若舞曲『烏帽子折』にと ...
9. 用明天皇山陵 (見出し語:用明天皇)
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10. 用明天皇御葬送圖 (見出し語:用明天皇)
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12. あいくろし‐げ【愛─】
日本国語大辞典
〔形動〕(形容詞「あいくろしい」の語幹に接尾語「げ」の付いたもの)「あいくるしげ」に同じ。*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕二「頼む詞のひっぱなし、あいくろし ...
13. あい‐ず[あひヅ]【合図・相図】
日本国語大辞典
に渡して下され」*日葡辞書〔1603~04〕「Aizzuuo (アイヅヲ) スル」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕二「わらはは兄がね屋に行、よくねいらせてあ ...
14. あいだて‐な・い
日本国語大辞典
72〕「男山われもむかしは姥そだち〈季吟〉 あいたてなくもそれるさかやき〈玄三〉」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕二「あいだてなし共狂気共わらはば笑へいはば ...
15. あいみん 自謹(じきん)の砌(みぎん)
日本国語大辞典
恒沙(がうじゃ)の龍王哀愍納受、あいみん自謹のみぎんなれば、いづくに大蛇は有るべきぞと」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕鐘入「あいみんしきんのみぎんなれば、 ...
16. あい‐ら【彼等】
日本国語大辞典
の人を指し示す(遠称)。ののしったり、遠慮なく言ったりする場合に用いる。あいつら。*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕道行「エエここな者あいら風情を相手にして、 ...
17. あかがね‐や【銅屋】
日本国語大辞典
銅(あかがね)、諸国より出す。真鍮も同所に商(あきなふ)。一切の金物師これをつかふなり」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕職人尽し「親王も又御心ぬるみてとくる ...
18. あかり‐も【明藻】
日本国語大辞典
〔名〕植物「い(藺)」の異名。*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕四「則其薬といっぱ、ごしつあかりも廿日草、ねずみの尾花末つむ花」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔17 ...
19. あがた‐めし【県召】
日本国語大辞典
・七草草紙〔室町末〕「正月に筋もなき者を位になし給ふを、あがためしといふことあり」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕職人尽し「是ぞ此大内のあがためしかや諸人に ...
20. あきつ‐みち【秋津道】
日本国語大辞典
〔名〕(秋津島の道の意)古来日本に伝わる正しい教え、道理。また、日本の伝統。*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕一「仏のをしへ、神の法(のり)、皆一すぢの秋津道 ...
21. あく‐おうじ[‥ワウジ]【悪王子】画像
日本国語大辞典
〔名〕(1)強く荒々しい王子。*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕職人尽し「『なふもったいなや、鬼の様なる悪王子。〈略〉まっぴら御免』と逃げ出るを」(2)歌舞伎 ...
22. あく に 強(つよ)きは=善(ぜん)にも強(つよ)し[=善(ぜん)の種(たね)]
日本国語大辞典
漢家はしらで本朝に、かかる兵あらじ」*俳諧・毛吹草〔1638〕二「あくにつよければぜんにもつよし」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕二「悪につよきはぜんのたね ...
23. あく‐ほう【悪法】
日本国語大辞典
*日蓮遺文‐神国王御書〔1275〕「我滅後末代には悪法悪人の国をほろぼし仏法を失ふには失すべからず」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕一「悪法をとく釈迦ならば ...
24. あく‐ましょう[‥マシャウ]【悪魔障】
日本国語大辞典
〔名〕仏道修行を妨げる、悪魔のさわり。魔障。*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕三「何れも申に当る故をもって、とらさる二つのあくま障(セウ)、響に恐れて障礙をな ...
25. あけおでら【明尾寺】大阪府:枚方市/藤坂村地図
日本歴史地名大系
[現]枚方市山田池南町 真言宗御室派、山号多慶山、院号万法蔵院、本尊十一面観音。寺伝によると、本尊十一面観音は用明天皇のとき高麗の沙門徳胤が持ち来り、聖徳太子に ...
26. あけ に 染(そ)む
日本国語大辞典
*日葡辞書〔1603~04〕「Aqueni somu (アケニ ソム)〈訳〉血に染まる、朱色になる」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕二「姫の長刀に心もとをさ ...
27. あさくさまつばちよう【浅草松葉町】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
境内は古跡拝領地(寺社備考)。聖徳太子自作と伝える秘仏の聖徳太子立像は孝養の御影と称され、太子の父用明天皇が病のとき神明仏陀に祈願したところ平癒したことから、一 ...
28. あさくらし【朝倉氏】画像
国史大辞典
るので、孝徳天皇の子孫とされ、また朝鮮出兵に関係しているので、景行天皇に結びつけられ、さらに用明天皇の皇子来目皇子が混入して、表米親王伝説が生まれたものであろう ...
29. あさ‐むらさき【浅紫】
日本国語大辞典
杜若〔1464頃〕「夜もしらしらと明る篠目のあさ紫の杜若の花もさとりの心ひらけて」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕職人尽「またたきもせぬ面色は、あさむらさき ...
30. あじ[あぢ]【味】
日本国語大辞典
1639~40頃〕下・八九「人知れず我が小鼓はあぢも無しいづれの流に打ちも直さん」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕二「是は女筆のちらし書ことになまめく贈り物 ...
31. 飛鳥時代
世界大百科事典
大臣(おおおみ)蘇我稲目が相並んで政治を主導する。しかし仏教崇拝などをめぐって両者は対立し,用明天皇が没すると,物部守屋は穴穂部皇子,蘇我馬子は泊瀬部皇子(崇峻 ...
32. あすかぶっきょう【飛鳥仏教】
国史大辞典
豪族層のなかに根をおろすまでに至らなかった。欽明・敏達の両天皇は、仏教に対する傍観的態度を変えなかったが、用明天皇は病気の平癒を求めて仏教帰依を表明し、かえって ...
33. あたた‐か【暖─・温─】
日本国語大辞典
二「美しいかほをして人の男に心をかけ、ようもようもあたたかに此舟へは乗られたなふ」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕三「我々をしおとしてをのれ一人が銭とらう。 ...
34. あだ‐ばな【徒花】
日本国語大辞典
」*歌謡・閑吟集〔1518〕「ならぬあだ花、まっしろに見えて、うき中垣の、夕顔や」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕鐘入「あだし男のあだ花ならばよそに散る共、 ...
35. あだ‐ぶし【徒臥】
日本国語大辞典
0頃〕三六「行きとまる草のかりほのあだぶしは月にももれて明すなりけり〈賀茂重保〉」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕三「いく夜か我にあだぶしの憂き目をかけて、 ...
36. あっ‐こ[アク‥]【悪虎】
日本国語大辞典
「いつく共なく、あっこ一つとび来り、二人をめかけきばをならし只一くちととびかかる」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕三「此虎(とら)昼の午(むま)の刻より亥( ...
37. あてど も 無(な)い
日本国語大辞典
んにてかしらせんじのあがる時」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕四「ハテ彌あてどもないこと」*読本・春雨物語〔1808〕樊 ...
38. あと から はげる
日本国語大辞典
、跡(アト)からはげる事を、念仏講の同行(どうぎゃう)平野屋の久斎様にだまされた」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕四「おっかない偽り、跡からはげるはげあたま ...
39. あとべごう【跡部郷】大阪府:河内国/渋川郡
日本歴史地名大系
「和名抄」にみえ、東急本に「阿止倍」の訓がある。「日本書紀」用明天皇二年四月条に、物部守屋が大和から別業のある「阿都」に退いたとある。物部氏はおそらくもと跡部郷 ...
40. あとりのおうじ【臘嘴鳥皇子】
日本人名大辞典
−? 記・紀にみえる欽明(きんめい)天皇の皇子。母は蘇我堅塩媛(そがの-きたしひめ)で,兄に用明天皇,妹に推古天皇がいる。「古事記」では足取王。 ...
41. あと を 詰(つ)む
日本国語大辞典
(1)あとの事の約束を固める。後詰めとしてあと始末をする。*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕五「ふと頼まれ奉(たてまつ)り、しさいてはをかれず、裏壁(うらかべ ...
42. あなほべのおうじ【穴穂部皇子】
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皇子に反対する敏達天皇の寵臣三輪君逆(さかう)を殺すが、用明天皇崩後、崇峻天皇を奉ずる敏達皇后(のち推古天皇)・蘇我馬子らの反撃にあい、用明天皇二年六月に皇子は ...
43. あなほべのおうじ【穴穂部皇子】
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母は蘇我稲目(そがの-いなめ)の娘小姉君(おあねのきみ)。用明天皇の没後,物部守屋(もののべの-もりや)の後押しで天皇になろうとしたが,用明天皇2年6月7日蘇我 ...
44. あなほべのはしひとのおうじょ【穴穂部間人皇女】
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45. あなほべのはしひとのおうじょ【穴穂部間人皇女】
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46. 穴穂部間人皇女
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同母の兄弟に穴穂部皇子や崇峻天皇らがいる。父を同じくし,母の同母姉の堅塩媛(きたしひめ)を母とする用明天皇の后となり,聖徳太子,来目皇子,殖栗皇子,茨田皇子を生 ...
47. 穴穂部皇子
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の物部守屋と結んで天下をとろうとし,これに反対する敏達の寵臣三輪逆(みわのさかう)を殺した。用明天皇の没後,のちの推古天皇,蘇我馬子らに攻撃され,587年6月に ...
48. あに‐うえ[‥うへ]【兄上】
日本国語大辞典
敬っていう語。*浄瑠璃・出世景清〔1685〕二「なふ兄上そもや御身はほんきにての給ふか」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕三「『いもうとか』『兄上様かめづらし ...
49. あに‐ぎみ【兄君】
日本国語大辞典
かむとこそ思ひしか」*源氏物語〔1001~14頃〕若菜下「かむの君の御腹のあに君」*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕一「アアさなの給ひそ兄君、正法にきどくなし ...
50. あねはばし【姉歯橋】岩手県:陸前高田市/今泉村
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もと中井の橋元にあったが、明治三六年(一九〇三)下流の現在地に移された。「封内名蹟志」の栗原郡姉歯松の項には用明天皇のとき采女として京に向かった気仙郡高田の美女 ...
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