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国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

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国史大辞典
崇峻天皇
すしゅんてんのう
 - 五九二
『日本書紀』によると五八七―九二在位。諱は泊瀬部、また長谷部若雀命という。欽明天皇の皇子、母は大臣蘇我稲目の娘小姉君。同母兄に穴穂部皇子、異母兄に敏達・用明天皇、異母姉に推古天皇らがいる。五八七年用明天皇の崩後、蘇我馬子と物部守屋が戦端を開くと、諸皇子とともに馬子に加担して従軍し、戦後、炊屋姫尊(推古天皇)や馬子ら群臣に推されて即位し倉梯に都した。在位中は馬子が大臣として政権をもっぱらにしたので、これに不満を覚えた天皇は次第に馬子を憎むに至った。五九一年任那復興のため新羅を撃つべく大軍が筑紫に下向したが、翌年十一月三日その留守を狙った馬子の手先に暗殺され、即日倉梯岡陵に埋葬されてしまったという。皇子蜂子は出羽羽黒の開山と伝える。
(黛 弘道)

倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)

 奈良県桜井市倉橋にある崇峻天皇の霊廟。『日本書紀』崇峻天皇五年十一月乙巳(三日)条には「是日葬〓天皇于倉梯岡陵〓」とあり、『古事記』は「御陵在〓倉椅崗上〓也」とする。『延喜式』諸陵寮は、倉梯岡陵の条に「在〓大和国十市郡〓、無〓陵地并陵戸〓」とし、当時すでに陵は所在不明であった。元禄十年(一六九七)の江戸幕府の諸陵探索では、奈良奉行所は当陵を未分明陵とし、候補地に岩屋山(赤坂山ともいい、現在国史跡の天王山古墳)と天皇屋舗との両所を挙げて決し難しとし、以後幕末まで探索を行なったが、幕末修陵時にも決定できなかった。谷森善臣著『山陵考』は「倉梯岡上陵」の陵名を設けて、岩屋山と天皇屋舗はいずれも古史に合わぬとする。明治九年(一八七六)二月七日教部省は、倉橋村雀塚を記紀の記載に合致するとし、「倉梯岡上陵」と決定、天皇屋舗の地を陵付属地とした。しかし当所は古史に合わぬとの意見があり、同二十二年七月諸陵寮は、『延喜式』撰修時に痕跡を失っていた陵地捜索は不能故、天皇と最も縁故ある地、皇居柴垣宮伝承地と天皇の位牌を安置する観音堂所在の天皇屋舗の両所を一廓として、「倉梯岡陵」と改定し、ここに陵を修営することを建議し、七月二十四日上奏裁可を得た。よって柴垣宮伝承地の小丘を陵主体部として西面する陵を修営し、観音堂背後の宝篋印塔線刻のある自然石を陵前に移建し、陵前北側の観音堂は、天皇と聖徳太子併記の位牌のみを安置する位牌堂に改めた。これが現在の陵で、「倉梯岡上陵」の地は、陵付属地雀塚と改称した。現在拝所にある燈籠には「倉梯岡陵前」と刻まれているが、陵名石標は旧陵のものを移建したものか、改定前の陵名「倉梯岡上陵」となっている。近ごろの論文には、当陵治定の経緯を調査することなく、当陵の考古学上の年代が新しいと当然のことを指摘し、当陵の治定は誤りと論じたものがある。
[参考文献]
『太政類典』二編山陵上、『法規分類大全』二編宮廷門、上野竹次郎『山陵』上
(石田 茂輔)


日本大百科全書(ニッポニカ)
崇峻天皇
すしゅんてんのう
[?―592]

記紀の皇室系譜では第32代の天皇。欽明(きんめい)天皇の皇子で、母は小姉君(こあねのきみ)(蘇我稲目(そがのいなめ)の娘)。泊瀬部(はつせべ)天皇(『日本書紀』)、長谷部若雀(はつせべわかさざき)天皇(『古事記』)、倉橋(くらはし)天皇(『法王帝説』)ともよぶ。倉梯(くらはし)(奈良県桜井市倉橋)に宮居したと伝え、この天皇の代に百済(くだら)から僧恵総(えそう)らが渡来し、また寺工、鑪盤博士(ろばんはかせ)、瓦(かわら)博士、画工らが来朝した。また蘇我氏は法興寺を588年(崇峻天皇1)に造営し始めたという。591年、朝鮮半島の情勢変化に対応しようとして北九州に大軍を集結させたが、592年11月、蘇我馬子(うまこ)は東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)に命じて天皇を暗殺させた。陵墓は倉梯岡上(くらはしのおかのうえ)陵(桜井市倉橋)とする。
[上田正昭]



世界大百科事典
崇峻天皇
すしゅんてんのう
?-592

第32代に数えられる6世紀末の天皇。在位587-592年。《日本書紀》によれば,欽明天皇の皇子で母は大臣(おおおみ)蘇我稲目の女の小姉君(おあねのきみ),幼名を泊瀬部(はつせべ)皇子といった。587年用明天皇の死後,大臣蘇我馬子は大連(おおむらじ)物部守屋を攻め滅ぼして,その権力を確立すると,敏達皇后の豊御食炊屋姫尊(とよみけかしぎやひめのみこと)(推古天皇)らとともに,泊瀬部皇子を推して即位させた。天皇は倉梯(くらはし)(奈良県桜井市倉橋)の地に宮を造らせ,また大伴糠手(ぬかて)の女の小手子(こてこ)を妃として蜂子(はちのこ)皇子と錦代(にしきて)皇女をもうけていたが,やがて馬子と疎隔したらしく,592年11月馬子は東漢駒(やまとのあやのこま)に天皇を暗殺させ,その日のうちに倉梯岡陵に葬った。
[関 晃]

[索引語]
泊瀬部(はつせべ)皇子 東漢駒
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1. 崇峻天皇
日本大百科全書
鑪盤博士(ろばんはかせ)、瓦(かわら)博士、画工らが来朝した。また蘇我氏は法興寺を588年(崇峻天皇1)に造営し始めたという。591年、朝鮮半島の情勢変化に対応 ...
2. 崇峻天皇
世界大百科事典
?-592 第32代に数えられる6世紀末の天皇。在位587-592年。《日本書紀》によれば,欽明天皇の皇子で母は大臣(おおおみ)蘇我稲目の女の小姉君(おあねのき ...
3. すしゅん‐てんのう[‥テンワウ]【崇峻天皇】
日本国語大辞典
第三二代の天皇。欽明(きんめい)天皇の皇子。泊瀬部(はつせべ)天皇・長谷部若雀(はつせべのわかささぎ)天皇・倉橋天皇とも。母は蘇我稲目の娘、小姉君(こあねのきみ ...
4. すしゅんてんのう【崇峻天皇】
国史大辞典
(黛 弘道) 倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)  奈良県桜井市倉橋にある崇峻天皇の霊廟。『日本書紀』崇峻天皇五年十一月乙巳(三日)条には「是日葬 ...
5. 崇峻天皇(すしゅんてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 9ページ ...
6. すしゅんてんのう【崇峻天皇】
日本人名大辞典
母は蘇我小姉君(そがの-おあねのきみ)。政治権力をにぎった大臣蘇我馬子(そがの-うまこ)と対立。崇峻天皇5年11月3日東漢直駒(やまとのあやのあたい-こま)をつ ...
7. 崇峻天皇即位 (見出し語:崇峻天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 255ページ ...
8. 崇峻天皇山陵 (見出し語:崇峻天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 984ページ ...
9. 蘇我馬子弑崇峻天皇 (見出し語:崇峻天皇)
古事類苑
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10. あき‐おさ[‥をさ]【商長】
日本国語大辞典
〔名〕(1)古代の氏名(うじな)の一つ。崇峻天皇の時、呉国から帰朝した久比が呉の権(はかり)を献上したので、その子宗麿は舒明天皇の時「商長」の姓を受けたという。 ...
11. あげまき【総角】画像
国史大辞典
髪巻束之義、後世鬢頬即是」(箋注)という。『日本書紀』崇峻天皇即位前紀に、厩戸皇子の髪の注に「古俗、年少児年、十五六間、束 ...
12. あすか【飛鳥】奈良県:高市郡/明日香村
日本歴史地名大系
画部・錦部などを真神原に置くとあり、同一四年条には漢織・呉織などの衣縫を飛鳥におらしめ、同書崇峻天皇元年条には飛鳥衣縫造の名がみえる。すなわち飛鳥には各各の職能 ...
13. あすかがようし【飛鳥瓦窯址】
国史大辞典
焼成した窯といわれ、全長一〇メートル余り、焼成室には二十の段がつくられたわが国最古の瓦窯である。『日本書紀』崇峻天皇元年条に百済より仏舎利、僧侶、仏寺造営の技術 ...
14. 飛鳥時代
世界大百科事典
物部守屋は穴穂部皇子,蘇我馬子は泊瀬部皇子(崇峻天皇)を擁立しようとして争い,ついに馬子は守屋を攻め滅ぼして政権を掌握するが,やがて擁立した崇峻天皇をも東漢駒( ...
15. あすかじだい【飛鳥時代】
国史大辞典
時代区分の基準にすることに無理があって、飛鳥時代の範囲には諸説がある。(一)推古天皇が飛鳥豊浦宮に即位した崇峻天皇五年(五九二)から元明天皇が平城京に遷都した和 ...
16. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
8(崇峻1)蘇我馬子、法興寺建立開始589(崇峻2)隋、中国を統一592(崇峻5)蘇我馬子、崇峻天皇を暗殺。推古天皇即位593(推古1)聖徳太子、摂政となる。四 ...
17. あすかでら【飛鳥寺】画像
国史大辞典
居院(あんごいん)という。蘇我馬子が創立した寺で、『日本書紀』や『元興寺伽藍縁起』によると、崇峻天皇元年に百済王がおくった僧や寺工・露盤工・瓦工・画工が参画して ...
18. あすかでら【飛鳥寺】奈良県:高市郡/明日香村/飛鳥村
日本歴史地名大系
〈大和・紀伊寺院神社大事典〉〔創建〕飛鳥寺は法興寺・大法興寺・元興寺とも号し、創建について「日本書紀」崇峻天皇元年是歳条に、百済から寺工・露盤博士・瓦博士などが ...
19. あすかのとゆらのみや【飛鳥豊浦宮】
国史大辞典
推古天皇の皇居。『日本書紀』によると推古天皇即位前紀崇峻天皇五年十二月己卯条に「皇后即〓天皇位於豊浦宮 ...
20. あすかのまかみのはら【飛鳥真神原】
国史大辞典
大和国飛鳥にあった地名。『日本書紀』崇峻天皇元年条に、蘇我馬子が飛鳥衣縫造の祖樹葉の家を壊して、法興寺を造り、この地を飛鳥真神原といった、とある。高市郡明日香 ...
21. あなほべのおうじ【穴穂部皇子】
国史大辞典
取らんとし、物部守屋とむすんで、皇子に反対する敏達天皇の寵臣三輪君逆(さかう)を殺すが、用明天皇崩後、崇峻天皇を奉ずる敏達皇后(のち推古天皇)・蘇我馬子らの反撃 ...
22. 穴穂部間人皇女
世界大百科事典
尊像銘では鬼前太后とも記す。母は蘇我稲目の女小姉君(おあねのきみ)。同母の兄弟に穴穂部皇子や崇峻天皇らがいる。父を同じくし,母の同母姉の堅塩媛(きたしひめ)を母 ...
23. 阿倍氏画像
日本大百科全書
崇神天皇(すじんてんのう)10年に大彦命を北陸に、武渟川別(たけぬなかわわけ)を東海に派遣したり、崇峻天皇(すしゅんてんのう)2年に阿倍臣(あべのおみ)を北陸道 ...
24. 阿倍氏
世界大百科事典
彦命と建沼河別命は崇神天皇のとき,四道将軍としてそれぞれ北陸と東海方面へ派遣されており,また崇峻天皇のとき,阿倍臣(欠名)は北陸道に遣わされたという。阿倍氏は6 ...
25. あべうじ【阿倍氏】画像
国史大辞典
本拠地は大和国十市郡安倍が有力視されている。崇神天皇十年に大彦命を北陸に、武渟川別を東海に派遣したり、崇峻天皇二年に阿倍臣を北陸道にやって越などの国境を観させた ...
26. あまでら【尼寺】
国史大辞典
「あま」とは梵語で母をいう。百済に留学し受戒して比丘尼となった善信とその弟子恵善・禅蔵の三尼が、崇峻天皇三年三月帰朝して住した桜井寺を日本における最初の尼寺とす ...
27. ありまかじんじゃ【阿理莫神社】大阪府:貝塚市/久保村地図
日本歴史地名大系
ためで、正応二年(一二八九)書写の「和泉国神名帳」には「従五位上安幕社」とある。「日本書紀」崇峻天皇即位前紀に物部守屋と蘇我馬子が戦ったとき、難波の宅を守ってい ...
28. あん‐しん【安寝】
日本国語大辞典
〔名〕「あんみん(安眠)」に同じ。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・崇峻天皇五年「夜入〓宿衛之中 ...
29. いしかわ【石川】大阪府:総論地図
日本歴史地名大系
書紀」仁徳天皇一四年是歳条で石河と記されるが、「住吉大社神代記」には石川とある。「日本書紀」崇峻天皇即位前紀の、蘇我氏が物部守屋を攻めた時の記事に「餌香川」がみ ...
30. いしひめのおうじょ【石姫皇女】
国史大辞典
大阪府南河内郡太子町大字太子にある。二段の段築の前方後円墳で空濠がある。『日本書紀』には磯長陵と記し、崇峻天皇四年四月甲子、皇后の実子敏達天皇をここに合葬した。 ...
31. いずみぐん【和泉郡】大阪府:和泉国
日本歴史地名大系
で紀氏と同族と称する坂本臣(朝臣)も六世紀末から再び台頭して中央政界で活躍する。「日本書紀」崇峻天皇即位前紀に物部守屋戦争のとき蘇我馬子の側で戦った坂本臣糠手は ...
32. いなき【稲城】
国史大辞典
稲城〓而待戦」とみえ、崇峻天皇即位前紀に「(物部守屋)大連親率 ...
33. 妹背山婦女庭訓(浄瑠璃集) 342ページ
日本古典文学全集
たちまち天地は常闇.かたは者  仏教を推進し、排仏派の物部氏を滅し、天皇家との関係を深めた。が、崇峻天皇を暗殺させるなど、入鹿の造型にも一脈通じる。詰問され。よ ...
34. いもの【鋳物】
国史大辞典
飛鳥時代に入って、仏教文化とともに鋳造の工人も渡来して、在来の工人とともに新しい仏教文化の作品を製作した。崇峻天皇元年に百済国より鑪盤博士らが渡来したが、これは ...
35. うえのみやいせき【上之宮遺跡】奈良県:桜井市/桜井地区/上ノ宮村
日本歴史地名大系
最古の木簡や鼈甲などの希少価値のある出土品が含まれることから、聖徳太子の「上宮」にあてる意見と、崇峻天皇の倉梯柴垣宮にあてる説がある。〈平成一八年三月〉 ...
36. うさじんぐう【宇佐神宮】大分県:宇佐市/旧宇佐町地区/宇佐村
日本歴史地名大系
心荒く、往来者が五人行けば三人、一〇人行けば五人を殺すという祟る神であったため、辛島勝乙目が崇峻天皇三年から三年間その心を和らげ祀り、天智天皇の時代に小山田社に ...
37. えい‐ご[ヱイ‥]【衛護】
日本国語大辞典
〔名〕そばにつき添って守ること。護衛。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・崇峻天皇元年「命〓群臣左右 ...
38. えかきべ【画部】
国史大辞典
した伴部。六十人置かれていた。画部の名は『日本書紀』雄略天皇七年条に「画部因斯羅我」がみえ、崇峻天皇元年条にも百済が画工白加を献じたとある。これらにより大化前代 ...
39. えが【会賀】大阪府:藤井寺市
日本歴史地名大系
遂に餌香の長野邑を以て、物部目大連に賜ふ」、顕宗天皇即位前紀に「旨酒餌香の市に直以て買はぬ」とみえ、崇峻天皇即位前紀は蘇我氏が物部守屋を攻めた時の記事中に「餌香 ...
40. えそう【恵聡】
国史大辞典
慧聡・恵〓にも作る。『日本書紀』崇峻天皇元年条に令斤(りょうこん)・恵寔(えしゃく)らとともに来朝して仏舎利を献上したとあり、また推 ...
41. えばらぐん【荏原郡】東京都:武蔵国
日本歴史地名大系
姓としていた。荏原地域の物部らも物部直の管下にあったと考えられる。椋椅部は倉椅宮を宮号とした崇峻天皇の名代部であり、六世紀中葉以降の朝廷による支配秩序の再編過程 ...
42. おう‐し[ワウ‥]【横死】
日本国語大辞典
天命を全うしないで死ぬこと。不慮の死。非業の死。*平家物語〔13C前〕四・通乗之沙汰「聖徳太子の崇峻天皇を、『横死(わうし)の相在(まし)ます』と申させ給ひたり ...
43. おうみのくに【近江国】滋賀県
日本歴史地名大系
梃子として勢力を貯えた氏族であることがよくわかる。後者の満は崇峻天皇時代に蝦夷を制圧するためにその国境まで派遣されているが(同書崇峻天皇二年七月一日条ほか)、こ ...
44. おうみはちまんし【近江八幡市】滋賀県
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同所には古代部民の倉橋部、つまり崇峻天皇の名代がおかれていたと思われる。崇峻天皇は倉梯宮(倉橋、「古事記」では倉椅柴垣宮)を宮都として営んだが(「日本書紀」崇峻 ...
45. おおともの-おてこ【大伴小手子】
日本人名大辞典
?−? 6世紀後半,崇峻(すしゅん)天皇の妃。大伴糠手子(ぬかてこ)の娘。崇峻天皇元年(588)に結婚,蜂子(はちこ)皇子(能除太子),錦代(にしきての)皇女を ...
46. おおとものくい【大伴咋】
国史大辞典
六世紀前半に活動した金村の子にしては年代の差が大きすぎる感がある。用明天皇二年物部守屋討伐の軍に加わり、崇峻天皇四年任那再興のため、大将軍として筑紫に出陣したが ...
47. おりいじんじゃ【下居神社】奈良県:桜井市/桜井地区/下村
日本歴史地名大系
授けたことがみえ、下居神が「椋橋」の域内にあったことがわかる。倉橋の南に下居の大字があり、下居原と称して崇峻天皇が庭を作らせて四季に叡覧したという伝説を残すが( ...
48. 神楽歌 62ページ
日本古典文学全集
いう。「古ノ俗、年少児ノ年、十五六ノ間ハ、束髪於額ス。十七八ノ間ハ、分ケテ角子ニス」(日本書紀・崇峻天皇即位前)。早稲を作る田。「石上布留の早稲田を秀でずとも縄 ...
49. かずらきうじ【〓城氏】画像
国史大辞典
めぐって天皇家との対立が決定的となり、葛城氏が没落したことを示すものである。以後この氏は振わず、『日本書紀』崇峻天皇即位前紀・同四年十一月紀に葛城臣烏那羅(烏奈 ...
50. かみみのちぐん【上水内郡】長野県
日本歴史地名大系
同郡人倉橋部広人、出私稲六万束、償百姓之負稲、並免其田租終身」とあって、允恭天皇皇后忍坂大中姫の御名代部、崇峻天皇の御名代部の在住があり、同書宝亀三年正月条に「 ...
「崇峻天皇」の情報だけではなく、「崇峻天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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