1. 舒明天皇
日本大百科全書
第34代とされる天皇(在位629~641)。名は田村(たむら)。和風諡号(しごう)は息長足日広額(おきながたらしひひろぬか)天皇。押坂彦人大兄(おさかのひことの ...
2. 舒明天皇
世界大百科事典
593?-641 7世紀前半の第34代に数えられる天皇。在位629-641年。名を田村皇子といい,和風諡号(しごう)は息長足日広額(おきながたらしひひろぬか)天 ...
3. じょめい‐てんのう[‥テンワウ]【舒明天皇】
日本国語大辞典
第三四代の天皇。忍坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)の子。母は糠手姫皇女。名は田村皇子。諡は息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみ ...
4. じょめいてんのう【舒明天皇】画像
国史大辞典
儲け、蘇我馬子の娘法提郎媛を夫人として古人大兄皇子を生み、吉備の蚊屋采女に蚊屋皇子を生ませた。舒明天皇二年(六三〇)十月、飛鳥岡本宮に遷る。在位中に第一回遣唐使 ...
5. 舒明天皇(じょめいてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 9ページ ...
6. じょめいてんのう【舒明天皇】
日本人名大辞典
薬師恵日(くすしの-えにち)らを第1回遣唐使として派遣。百済(くだら),新羅(しらぎ)とも関係をふかめた。舒明天皇13年10月9日死去。49歳。墓所は押坂内陵( ...
7. 舒明天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『「舒明紀」論 五行思想を中心としてみたる』渡辺茂 ...
8. 田村皇子・舒明天皇
日本史年表
629年〈舒明元 己丑⑫〉 1・4 田村皇子(舒明天皇) 即位(紀)。 641年〈舒明13 辛丑〉 10・9 天皇 、百済宮で没(紀)。 ...
9. あか・す【明】
日本国語大辞典
*万葉集〔8C後〕四・四八五「思ひつつ いも寝かてにと 阿可思(アカシ)つらくも 長きこの夜を〈斉明天皇(舒明天皇説あり)〉」*竹取物語〔9C末~10C初〕「あ ...
10. あき‐おさ[‥をさ]【商長】
日本国語大辞典
な)の一つ。崇峻天皇の時、呉国から帰朝した久比が呉の権(はかり)を献上したので、その子宗麿は舒明天皇の時「商長」の姓を受けたという。*新撰姓氏録〔815〕左京皇 ...
11. あきつ‐しま【秋津島・秋津洲・蜻蛉洲】
日本国語大辞典
(やまと)」にかかる。*万葉集〔8C後〕一・二「うまし国そ 蜻嶋(あきづしま) 大和の国は〈舒明天皇〉」*万葉集〔8C後〕二〇・四四六五「安吉豆之万(アキヅシマ ...
12. あじむら‐の[あぢむら‥]【味群─】
日本国語大辞典
八五「人多(さは)に 国には満ちて 味村乃(あぢむらノ) 去来(かよひ)は行けど〈斉明天皇・舒明天皇説あり〉」*万葉集〔8C後〕二〇・四三六〇「朝なぎに 楫(か ...
13. 飛鳥画像
日本大百科全書
これに飛鳥川西岸の豊浦(とゆら)宮(推古(すいこ)天皇)、小墾田(おはりだ)宮(同)、田中宮(舒明天皇)などを加えていう場合もある。周辺には渡来人も多く住み、こ ...
14. 飛鳥画像
世界大百科事典
紀のはじめ,推古天皇が豊浦宮で即位し,さらに近くに小墾田宮(おはりだのみや)を造営して以後,舒明天皇の飛鳥岡本宮,皇極天皇の飛鳥板蓋(いたぶき)宮,斉明天皇の飛 ...
15. あすかいたぶきのみや【飛鳥板蓋宮】奈良県:高市郡/明日香村/岡村
日本歴史地名大系
継続して調査が行われている。当地域の遺構は三時期ある。下層から一期、二期、三期とよばれている。一期は舒明天皇の飛鳥岡本宮、(六三〇〜)、二期は皇極天皇の飛鳥板蓋 ...
16. 飛鳥岡本宮
世界大百科事典
舒明天皇の飛鳥岡本宮と,その皇后であった斉明天皇の後飛鳥岡本宮がある。630年(舒明2)10月,舒明天皇は飛鳥岡のそばに,岡本宮を営んだ。宮号は,飛鳥岡と称され ...
17. あすかおかもとのみや・のちのあすかおかもとのみや【飛鳥岡本宮・後飛鳥岡本宮】奈良県:高市郡/明日香村/小山村
日本歴史地名大系
舒明・斉明両天皇の皇居。「日本書紀」によれば、舒明天皇二年一〇月、飛鳥岡のほとりに宮を移し、岡本宮といったが、同八年六月、岡本宮は焼け、田中宮に移った。のち斉明 ...
18. あすかきょう【飛鳥京】
国史大辞典
次の諸天皇の皇居がおかれ、政治・文化の中心となった。推古天皇の豊浦宮・小墾田(おはりだ)宮、舒明天皇の飛鳥岡本宮・田中宮・厩坂宮、皇極天皇の飛鳥板蓋(いたぶき) ...
19. 飛鳥時代画像
日本大百科全書
避け、取り立てて因縁のない舒明を推したことには、それなりの理由があったのであろう。その舒明天皇が641年(舒明天皇13)に没したのちに皇后が即位し(皇極天皇(こ ...
20. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
王子である豊璋を人質として日本に送る640(舒明12)高向玄理、南淵請安、唐から帰る641(舒明13)舒明天皇没す。蘇我倉山田石川麻呂、山田寺造営開始643(皇 ...
21. あすかのおかもとのみや【飛鳥岡本宮】
国史大辞典
舒明・斉明両天皇の皇居。『日本書紀』によると
舒明天皇二年(六三〇)十月癸卯条に「天皇遷
於飛鳥岡傍
...22. 飛鳥美術
世界大百科事典
,12月には九重の塔が建立された(紀)。仏教に対してなるべく中立的態度をとりつづけた天皇は,舒明天皇にいたって天皇建立の寺院を初めてつくり出し,百済宮の造営もあ ...
23. あすかぶっきょう【飛鳥仏教】
国史大辞典
くつがえすことはできなかった。舒明天皇十一年(六三九)に、百済宮と並んで百済寺の建立が始められた。天皇家の最初の寺であり、宮廷仏教の開始であるが、しかし百済寺も ...
24. 阿曇比羅夫
日本大百科全書
いう。山背に本貫があったのだろう。舒明(じょめい)天皇の末年に百済(くだら)への使節となり、舒明天皇の崩御を聞いて百済からの弔使を伴って帰朝、その応接にあたり、 ...
25. 阿曇比羅夫
世界大百科事典
7世紀中期,対朝鮮半島の行動に活躍した水軍の将。生没年不詳。阿曇山背比羅夫とも称す。642年(皇極1),舒明天皇の死を弔する百済使節とともに帰国,弔使の応対に当 ...
26. あずみの-ひらふ【阿曇比羅夫】
日本人名大辞典
?−? 飛鳥(あすか)時代の武人。百済(くだら)(朝鮮)に使節としていき,舒明天皇の死去の際,弔使をともなって帰国。斉明天皇7年(661)阿倍比羅夫らとともに百 ...
27. あずみのひらぶ【阿曇比羅夫】
国史大辞典
七世紀中ごろの人。阿曇山背連比羅(良)夫とも記す。皇極天皇元年(六四二)正月、百済に遣わされていた比羅夫は舒明天皇の崩御を聞き、百済の弔使とともに帰国、みずから ...
28. あべのうちのまろ【阿倍内麻呂】
国史大辞典
、推古女帝に拒否されたことと、同三十六年に女帝死後の継嗣問題で、山背大兄王を排して田村皇子(舒明天皇)を擁立しようとする大臣蘇我蝦夷の意を体し、蝦夷の邸に大夫ら ...
29. あべのおたらしひめ【阿倍小足
】
国史大辞典
生没年不詳 孝徳天皇の第一の妃。大化の左大臣阿倍内(倉梯)麻呂の娘で、天皇即位以前の舒明天皇十二年(六四〇)に有間皇子を生んだ。『帝王編年記』には男足媛とある ...
30. あべの-まろ【阿倍摩侶】
日本人名大辞典
もらいたいという蘇我馬子の希望を天皇につたえる。推古天皇の死後,蘇我蝦夷(えみし)の命で,田村皇子(舒明天皇)の即位を群臣にはたらきかけた。阿倍倉梯(くらはしの ...
31. あべのみうし【阿倍御主人】
国史大辞典
六三五―七〇三 七世紀の公卿。『公卿補任』『尊卑分脈』にみえる没年から逆算すると舒明天皇七年(六三五)の誕生となる。布勢麿古臣の男。本姓は布勢朝臣であったが持 ...
32. あみだにょらいぞうめい【阿弥陀如来像銘】 : 観心寺
国史大辞典
死者のためにその妻が阿弥陀仏を造り、亡夫と七世父母が浄土に生まれることを願うというものである。阿弥陀信仰は、舒明天皇十二年(六四〇)の恵隠による『無量寿経』講説 ...
33. あめのかぐやま【天香久山】奈良県:橿原市/大和三山
日本歴史地名大系
されている。山の東北は磐余地方、南に飛鳥、西に藤原京を控えるためことに尊崇厚かったと思われ、舒明天皇はここで国見をし、「大和の 青香具山は 日の経の 大御門に ...
34. あやぐん【阿野郡】香川県:讃岐国
日本歴史地名大系
、軍王の山を見て作る歌」として長歌と反歌を載せている。山上憶良の「類聚歌林」によれば、これは舒明天皇一一年に伊予温湯宮(現松山市)に行幸した帰途の歌とされている ...
35. ありま【有間】
全文全訳古語辞典
[地名]現在の神戸市北区有馬町。舒明天皇が六三一年(舒明二)に津国の有間温泉に行幸された記事が『日本書紀』にある。平安時代より山紫水明の温泉地として知られる。「 ...
36. ありま【有馬】兵庫県:神戸市/北区/湯山町
日本歴史地名大系
するが、「和名抄」に有馬の郷名はなく、この地域は春木郷に属したと考えられている。「日本書紀」舒明天皇三年九月一九日条に「津国の有間温湯に幸す」とあるように古代以 ...
37. ありまおんせん【有馬温泉】
国史大辞典
温泉。六甲(ろっこう)山の北麓に湧出し、その名は古くから知られている。『日本書紀』によると、舒明天皇が同天皇三年(六三一)と同十年の二回行幸されたのをはじめ、孝 ...
38. ありまおんせん【有馬温泉】兵庫県:神戸市/北区/湯山町
日本歴史地名大系
〔古代〕有馬温泉は京畿に近いため古くから知られており、「日本書紀」に最も早く登場する温泉である。同書によると舒明天皇は三年九月と一〇年一〇月に、孝徳天皇は大化三 ...
39. ありまぐん【有馬郡】
国史大辞典
、幡多・忍壁の二郷が上下に分かれていたらしい。有馬は古来温泉によって有名であり、『日本書紀』
舒明天皇三年(六三一)九月条に「幸
...40. ありまぐん【有馬郡】兵庫県:摂津国
日本歴史地名大系
此の山の近くに塩の湯あり」と郡名がみえる。有馬温泉(現北区)は古くから知られ、「日本書紀」には舒明天皇が三年九月と一〇年一〇月とに「有間温湯」に行幸した記事がみ ...
41. いきのくに【壱岐国】長崎県
日本歴史地名大系
。「日本書紀」皇極天皇元年一〇月条によれば、この年三月新羅が皇極天皇の即位を祝賀する使いと、舒明天皇の死去を弔う使いを派遣し、使いはその帰途に壱岐島に停泊してい ...
42. いそのかみのまろ【石上麻呂】
国史大辞典
七世紀末・奈良時代前期の貴族。旧氏姓は物部連。衛部大華上宇麻乃の子で乙麻呂の父、宅嗣の祖父。舒明天皇十二年(六四〇)に生まれ、壬申の乱に際し大友皇子側にあって敗 ...
43. 逸文(風土記) 433ページ
日本古典文学全集
」とある。その前の舒明三年(六三一)に行宮が造営されていたはず。改修のことをいうか。あるいは舒明天皇(高市岡本宮御宇天皇)事跡と孝徳天皇事跡との伝承上の錯誤か。 ...
44. い‐・ぬ【寝─】
日本国語大辞典
*万葉集〔8C後〕八・一五一一「夕されば小倉の山に鳴く鹿はこよひは鳴かず寐宿(いね)にけらしも〈舒明天皇〉」*源氏物語〔1001~14頃〕夕顔「はなれたる所に心 ...
45. いぬかみぐん【犬上郡】滋賀県
日本歴史地名大系
一日条)、対外関係に活躍している。とりわけ犬上御田鍬は著名で、推古天皇二二年六月には遣隋使、舒明天皇二年八月には遣唐使として二度も中国への公式使節に任命されてい ...
46. いぬかみ‐の‐みたすき【犬上御田鍬・犬上三田耜】
日本国語大辞典
飛鳥時代の官人。推古天皇二二年(六一四)遣隋使として中国に渡り、翌年帰国。舒明天皇二年(六三〇)には遣唐使となり渡航、唐の使者高表仁、僧旻らとともに帰朝した。生 ...
47. いぬかみのみたすき【犬上御田鍬】
国史大辞典
(『旧事本紀』に名を御嬬とするが未詳)らとともに出発、翌年九月、百済使を伴って帰国した。また舒明天皇二年(六三〇)八月、初代の遣唐使として薬師恵日(くすしのえに ...
48. 犬上御田鍬
日本大百科全書
矢田部某とともに第五次遣隋使(けんずいし)となる。翌年百済(くだら)使を伴い帰国。630年(舒明天皇2)8月、薬師恵日(くすしえにち)とともに第一次遣唐使となる ...
49. いわゆのかりみや【石湯行宮】
国史大辞典
この時の斉明天皇の作としている。宮の所在地は今の松山市の道後温泉。立花町に宮址を伝えるが不詳。また『日本書紀』舒明天皇十一年(六三九)十二月壬午条に「幸 ...
50. 宇治拾遺物語 458ページ
日本古典文学全集
とと 一 清見原天皇と大友皇子との合戦の事 第三十八代天皇(六二六~六七一)、中大兄皇子。舒明天皇の子、母は皇極(斉明)天皇。公地公民制と律令制による中央 ...