1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 社会
  6. >
  7. 政治
  8. >
  9. 天皇
  10. >
  11. 斉明天皇
日本大百科全書(ニッポニカ)

ジャパンナレッジは約1500冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
日本大百科全書(ニッポニカ)
斉明天皇
さいめいてんのう
[594―661]

女帝。第35代とされる皇極(こうぎょく)天皇(在位642~645)が重祚(ちょうそ)して第37代とされる斉明天皇(在位655~661)と諡(おくりな)される。名は宝(たから)。和風諡号(しごう)は天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ)天皇。茅渟(ちぬ)王の皇女。母は吉備(きび)姫王で、孝徳(こうとく)天皇の同母姉。初め高向(たかむこ)王(用明(ようめい)天皇の孫)との間に漢(あや)皇子を生み、その後に田村(たむら)皇子(舒明(じょめい)天皇)との間に葛城(かずらき)皇子(天智(てんじ)天皇)、間人(はしひと)皇女(孝徳天皇の皇后)、大海人(おおあま)皇子(天武(てんむ)天皇)を生んだ。舒明天皇の即位とともにその皇后にたち、天皇の死のあと即位した(皇極天皇)が、645年(大化1)6月の蘇我(そが)本宗家滅亡事件によって譲位。第36代孝徳天皇の没後、皇祖母尊として在(あ)った飛鳥(あすか)でふたたび即位し、飛鳥川原宮、ついで後飛鳥岡本宮(のちのあすかのおかもとのみや)に移った。その後も大土木事業をおこしたが、とくに石上山(いそのかみやま)に通じる大水渠(すいきょ)を、時人は狂心(たぶれこころ)の渠(みぞ)といったという。斉明女帝の政治は、皇太子中大兄(なかのおおえ)の輔(たす)けを受けて進められたが、有間(ありま)皇子の謀殺事件、東北や粛慎(みしはせ)の蝦夷(えみし)征討をはじめ国内政局は安定せず、国際的には朝鮮関係のうち、とくに対新羅(しらぎ)関係が緊迫した。そして、唐・新羅連合の圧力に苦しむ百済(くだら)の救援要請を受け、660年(斉明天皇6)から百済救援軍派遣の準備を進め、翌年には自身も筑紫(つくし)に出陣し朝倉宮を本営とした。しかし、ここで病となり、7月に没した。陵墓は奈良県高市(たかいち)郡の越智崗上(おちのおかのうえ)陵。
[門脇禎二]

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
タブレットやスマホからも利用できます。
斉明天皇の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 648
検索コンテンツ
1. 斉明天皇
日本大百科全書
第35代とされる皇極(こうぎょく)天皇(在位642~645)が重祚(ちょうそ)して第37代とされる斉明天皇(在位655~661)と諡(おくりな)される。名は宝( ...
2. 斉明天皇
世界大百科事典
→皇極天皇 ...
3. さいめい‐てんのう[‥テンワウ]【斉明天皇】
日本国語大辞典
第三七代の天皇。皇極天皇の重祚(ちょうそ)。舒明天皇の皇后。孝徳天皇の死後、飛鳥板蓋宮(あすかのいたぶきのみや)で即位。翌年後飛鳥岡本宮に遷都。在位七年。推古天 ...
4. 齊明天皇(さいめいてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 10ページ ...
5. さいめいてんのう【斉明天皇】
日本人名大辞典
しはせ)を討たせ,朝鮮半島に百済(くだら)救援軍を派遣する(663年白村江の戦いで敗れる)。斉明天皇7年7月24日遠征中の九州朝倉宮で死去。68歳。墓所は越智崗 ...
6. 斉明天皇[文献目録]
日本人物文献目録
人斉明とその復活』阿部寛子『斉明・天智両朝の朝鮮問題』-『斉明天皇の行幸ありし朝倉宮所在地』河田羆『斉明天皇の業績』馬越宮『斉明天皇論』田辺幸雄『中天皇をめぐる ...
7. 宝皇女・皇極天皇・斉明天皇
日本史年表
630年〈舒明2 庚寅〉 1・12 宝皇女 を皇后とする(紀)。 642年〈皇極元 壬寅〉 1・15 皇后宝皇女(皇極天皇) 即位.大臣蘇我蝦夷の子入鹿、国政 ...
8. 齊明天皇山陵 (見出し語:齊明天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 984ページ ...
9. 齊明天皇建川原寺 (見出し語:齊明天皇)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1350ページ ...
10. 齊明天皇薄葬 (見出し語:齊明天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 242ページ ...
11. 齊明天皇重祚 (見出し語:齊明天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 303ページ ...
12. さいめいてんのう【斉明天皇】
国史大辞典
⇒皇極天皇(こうぎょくてんのう)  ...
13. 青森(県)画像
日本大百科全書
この辺境の地に中央勢力が浸透し始めるのは7世紀中ごろで、津刈の蝦夷(えみし)が記録にみえる最初は655年(斉明天皇1)で、『日本書紀』に記されている。また、65 ...
14. あか・す【明】
日本国語大辞典
*万葉集〔8C後〕四・四八五「思ひつつ いも寝かてにと 阿可思(アカシ)つらくも 長きこの夜を〈斉明天皇(舒明天皇説あり)〉」*竹取物語〔9C末~10C初〕「あ ...
15. 秋田(市)画像
日本大百科全書
人口31万5814(2015)。柘植敏朗歴史秋田の地名が歴史に登場するのは『日本書紀』が初めで、658年(斉明天皇4)に阿倍比羅夫(あべのひらふ)が蝦夷(えみし ...
16. あきたぐん【秋田郡】
国史大辞典
出羽国(秋田県)北部にあった郡。現在の秋田・男鹿・大館三市と南秋田・北秋田二郡にあたる地域。斉明天皇四年(六五八)阿倍比羅夫の蝦夷征伐によって郡領が任命され、臨 ...
17. あきたぐん【秋田郡】秋田県:出羽国(羽後国)
日本歴史地名大系
謂企治城即是也」と、企治城を秋田城の別名とする。郡名の初見は「日本書紀」斉明天皇四年の記事に「夏四月、阿陪臣闕名率 ...
18. あきたし【秋田市】秋田県
日本歴史地名大系
の連絡は、いずれも同じ地形の条件に基づくものであるといえよう。秋田の地名の初見は「日本書紀」斉明天皇四年四月に阿倍比羅夫水軍の東征に関し「齶田」とあり、齶田は秋 ...
19. あげばりつくり【幄作】
国史大辞典
呉床〓」とあり、『日本書紀』斉明天皇二年(六五六)条に、天皇が飛鳥岡本に宮地を定め、「張 ...
20. 朝倉(福岡県)
日本大百科全書
ジがある。農村地域工業の導入を進め、国道386号バイパス付近に朝倉北部工業団地もできている。斉明天皇(さいめいてんのう)が、百済(くだら)出兵時に没した場所とい ...
21. 朝倉(市)画像
日本大百科全書
ちまんぐう)、天皇が客死した地とされる朝倉橘広庭宮(あさくらたちばなのひろにわのみや)など、斉明天皇にまつわる伝承地が多い。また、杷木林田(はやしだ)の筑後川を ...
22. 朝倉[市]
世界大百科事典
主産業は農業で,米,麦のほかキュウリなどの野菜の施設園芸が盛ん。また山麓地帯の柿も一大産地をなす。661年,斉明天皇が百済救援の途次病没したといわれる朝倉行宮跡 ...
23. あさくら【朝倉】
日本国語大辞典
現在の奈良県桜井市黒崎付近か。同市岩坂とも。校倉造りの倉庫、または神々を迎える朝の座などにちなむか。〔二〕斉明天皇西征の折に行宮(あんぐう)の置かれた所。現在の ...
24. あさくらぐん【朝倉郡】
国史大辞典
旧上座郡内の小石原は英彦山(ひこさん)に近い谷間にあるが、近世陶器の伝統を持つ窯業で知られている。七世紀に斉明天皇が西下されて一時仮宮を建てられ朝倉橘広庭宮(あ ...
25. あさくらぐん【朝倉郡】福岡県
日本歴史地名大系
東部分の南部は前述の河川などが形成する河岸段丘や扇状地的平野と、筑後川中流域平野からなる。郡名は「日本書紀」斉明天皇七年(六六一)五月九日条にみえる朝倉橘広庭宮 ...
26. あさくらごう【朝倉郷】高知県:土佐国/土佐郡
日本歴史地名大系
郷中在〓社神名天津羽々神云云、或曰斉明天皇〓于当国 ...
27. あさくらしや【朝倉社】福岡県:朝倉郡/杷木町
日本歴史地名大系
「日本書紀」斉明天皇七年(六六一)五月九日条にみえる神社。同書によれば同日斉明天皇が朝倉橘広庭宮に遷居したが、宮の造営にあたって朝倉社の木を切り払ったため神が怒 ...
28. あさくらじんじゃ【朝倉神社】
国史大辞典
)天皇(斉明天皇)を祀る。延喜式内社で上下の信仰厚く、土佐国二宮と称せられ、江戸時代には、藩主山内家より社領二石の寄進を受けていた。背後の赤鬼山は神体山とせられ ...
29. あさくらじんじゃ【朝倉神社】高知県:高知市/朝倉村
日本歴史地名大系
鏡川が流れ、南方に本山氏の朝倉城のあった城山がそびえる。祭神は天津羽羽神、天豊財重日足姫天皇(斉明天皇)。旧県社。「延喜式」神名帳に土佐郡五座の一として「朝倉神 ...
30. あさくらのたちばなのひろにわ‐の‐みや[あさくらのたちばなのひろには‥]【朝倉橘広庭宮】
日本国語大辞典
斉明天皇の行宮(あんぐう)。「日本書紀」によれば、斉明天皇の七年(六六一)新羅(しらぎ)征伐のために移り、丸木で建てたという。福岡県朝倉郡朝倉町に跡がある。朝倉 ...
31. あさくらのたちばなのひろにわのみや【朝倉橘広庭宮】
国史大辞典
斉明天皇の行宮。朝倉行宮ともいう。『日本書紀』によれば、斉明天皇七年(六六一)百済の役のため西征し、三月娜大津に至り磐瀬行宮にいたが、同年五月癸卯朝倉橘広庭宮 ...
32. あさくらのたちばなのひろにわのみや【朝倉橘広庭宮】福岡県:朝倉郡/杷木町
日本歴史地名大系
「日本書紀」にみえる斉明天皇の宮。斉明天皇七年(六六一)、百済救援のため中大兄皇子以下全朝廷を率いて筑紫に西征した斉明天皇は、磐瀬行宮(現福岡市南区三宅付近か) ...
33. 朝倉宮
世界大百科事典
斉明天皇(皇極天皇)の行宮(あんぐう)。正式には朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)といい,《新古今集》が天智天皇の作とする〈朝倉や木の丸殿に我が ...
34. あさくらまち【朝倉町】福岡県:朝倉郡
日本歴史地名大系
道福光―朝倉線が接続する。「日本書紀」斉明天皇七年(六六一)八月一日条にみえる朝倉山を当町と杷木町の境の麻底良山一帯に求める説があり、町域内には斉明天皇にかかわ ...
35. あじむら‐の[あぢむら‥]【味群─】
日本国語大辞典
*万葉集〔8C後〕四・四八五「人多(さは)に 国には満ちて 味村乃(あぢむらノ) 去来(かよひ)は行けど〈斉明天皇・舒明天皇説あり〉」*万葉集〔8C後〕二〇・四 ...
36. 飛鳥画像
世界大百科事典
宮(おはりだのみや)を造営して以後,舒明天皇の飛鳥岡本宮,皇極天皇の飛鳥板蓋(いたぶき)宮,斉明天皇の飛鳥川原宮・後飛鳥岡本宮,天武天皇の飛鳥浄御原(きよみはら ...
37. あすかいたぶきのみや【飛鳥板蓋宮】奈良県:高市郡/明日香村/岡村
日本歴史地名大系
大化改新の序曲として知られている蘇我入鹿誅滅事件の舞台となった宮である。また孝徳天皇の死後、斉明天皇元年正月重祚し、飛鳥板蓋宮に即位。この冬、飛鳥板蓋宮は火災に ...
38. 飛鳥岡本宮
世界大百科事典
舒明天皇の飛鳥岡本宮と,その皇后であった斉明天皇の後飛鳥岡本宮がある。630年(舒明2)10月,舒明天皇は飛鳥岡のそばに,岡本宮を営んだ。宮号は,飛鳥岡と称され ...
39. あすかおかもとのみや・のちのあすかおかもとのみや【飛鳥岡本宮・後飛鳥岡本宮】奈良県:高市郡/明日香村/小山村
日本歴史地名大系
舒明天皇二年一〇月、飛鳥岡のほとりに宮を移し、岡本宮といったが、同八年六月、岡本宮は焼け、田中宮に移った。のち斉明天皇二年夫帝舒明の宮跡に後飛鳥岡本宮を造り移っ ...
40. あすかかわらのみや【飛鳥川原宮】奈良県:高市郡/明日香村/川原村
日本歴史地名大系
在所未詳。宮号から川原寺のあった大字川原に比定されている。「日本書紀」斉明天皇元年冬の条に「飛鳥板蓋宮に災けり。故、飛鳥川原宮に遷り居します」と記す。翌年には後 ...
41. あすかきょう【飛鳥京】
国史大辞典
墾田(おはりだ)宮、舒明天皇の飛鳥岡本宮・田中宮・厩坂宮、皇極天皇の飛鳥板蓋(いたぶき)宮、斉明天皇の飛鳥川原宮・後飛鳥岡本宮、天武天皇の飛鳥浄御原(きよみはら ...
42. 飛鳥時代画像
日本大百科全書
のう)の岡本宮(おかもとのみや)、皇極天皇(こうぎょくてんのう)の板蓋宮(いたぶきのみや)、斉明天皇(さいめいてんのう)の川原宮(かわらのみや)、天武天皇(てん ...
43. 飛鳥時代
世界大百科事典
は重祚した斉明天皇のもとで,引きつづき皇太子のまま国政を執った。そのころ東アジアの情勢は緊迫し,新羅は唐と連合して百済を攻め滅ぼしたが,百済はなお抵抗して日本に ...
44. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
)皇極、重祚(斉明天皇)658(斉明4)有間皇子、謀反のかどで殺される659(斉明5)阿倍比羅夫、蝦夷を討つ660(斉明6)新羅・唐の連合軍、百済を滅ぼす661 ...
45. あすか‐の‐いたぶきのみや【飛鳥板蓋宮】
日本国語大辞典
皇極・斉明天皇の皇居。奈良県高市郡明日香村岡にあったといわれる。国史跡。 ...
46. あすかのいたぶきのみや【飛鳥板蓋宮】
国史大辞典
板蓋宮は廃都の状態に置かれたが、孝徳天皇の崩御のあと先帝の皇極天皇が重祚して斉明天皇となり、倭京への復帰を実現した。『日本書紀』によると、斉明天皇元年(六五五) ...
47. あすかのおかもとのみや【飛鳥岡本宮】
国史大辞典
」とあり、同八年六月に岡本宮の火災のため田中宮に遷っている。また斉明天皇二年(六五六)飛鳥岡本に宮地を定め、後飛鳥岡本宮(のちのあすかのおかもとのみや)といい、 ...
48. あすかのかわべのかりみや【飛鳥河辺行宮】
国史大辞典
孝徳天皇に奏請したが許されなかったので、皇祖母(のちの斉明天皇)と間人皇后を奉じて飛鳥河辺行宮に遷ったとある。宮の所在地は飛鳥川原宮を同所とする説が有力で、川原 ...
49. あすか‐の‐かわらのみや[‥かはらのみや]【飛鳥川原宮】
日本国語大辞典
斉明天皇の皇居。板蓋宮(いたぶきのみや)焼失後の仮皇居。奈良県高市郡明日香村川原にあったといわれる。 ...
50. あすかのかわらのみや【飛鳥川原宮】
国史大辞典
斉明天皇の皇居。『日本書紀』斉明天皇元年(六五五)条に、「是冬、災〓飛鳥板蓋宮 ...
「斉明天皇」の情報だけではなく、「斉明天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る

斉明天皇と同じ天皇カテゴリの記事
舎人親王(日本大百科全書(ニッポニカ))
天武天皇の第三皇子。母は天智天皇の娘新田部皇女。知太政官事穂積親王の亡きあとは皇親の長老として重んぜられ、新田部親王とともに皇太子首親王(聖武天皇)を輔翼する責務を負った
天皇(改訂新版・世界大百科事典)
日本国憲法に定める日本国および日本国民統合の象徴。天皇の歴史前近代の天皇オオキミとスメラミコト〈天皇〉は〈オオキミ〉とも〈スメラミコト〉とも呼ばれた。しかしこの二つの日本語は決して同義ではなく,むしろ両者の質の違い,それぞれの用いられる次元の相違に注目することが
皇位継承(改訂新版・世界大百科事典)
7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で
摂政(国史大辞典)
天皇に代わって万機を摂り行う者、または摂り行うことをいう。関白に類する職として関白とともに摂関といい、関白と同じく、摂ろく・執柄・博陸などの唐名があり、その地位に因んで一の人・一の所などと称され、殿下ともいわれた
関白(国史大辞典)
万機に関与する重職で摂政に類似する。したがって摂政と合わせて摂関・摂ろく・一の人・一の所などと称し、執柄・博陸・殿下などの唐名がある。関白の語は『漢書』霍公伝に、宣帝が諸事まず霍光に関白してから奏上せしめたとみえているが
天皇と同じカテゴリの記事をもっと見る


「斉明天皇」は天皇に関連のある記事です。
その他の天皇に関連する記事
太上天皇(国史大辞典・日本国語大辞典)
譲位した天皇の称。「だいじょうてんのう」とも訓む。略して上皇あるいは太皇ともいい、また御在所を意味する院の称も用いられ、さらにその御在所を神仙の居所に擬して仙院・仙洞・藐姑射山(はこやのやま)・茨山(しざん)などとも称された。
上皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
譲位した天皇の尊称。正式には太上(だいじょう)天皇と称する。中国の太上皇(たいじょうこう)、太上皇帝の称に始まり、太上は最上または至上の意。日本では697年(文武天皇1)譲位した持統(じとう)天皇が初めて太上天皇と称し、大宝令(たいほうりょう)
昭和天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一九〇一 - 八九 一九二六―八九在位。明治三十四年(一九〇一)四月二十九日午後十時十分、東宮御所に生誕。皇太子明宮嘉仁親王(のちの大正天皇)と皇太子妃節子(のちの貞明皇后)の第一皇子。五月五日明治天皇より裕仁(ひろひと)と命名され
大正天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八七九 - 一九二六 一九一二―二六在位。明治十二年(一八七九)八月三十一日午前八時十二分、東京青山御所内御産所にて生誕。明治天皇第三皇子、生母権典侍柳原愛子。九月六日、嘉仁(よしひと)と命名、明宮(はるのみや)と称した
明治天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八五二 - 一九一二 一八六七―一九一二在位。嘉永五年(一八五二)九月二十二日、孝明天皇の第二皇子として京都石薬師門内の権大納言中山忠能の邸に生まれる。生母は忠能の娘典侍中山慶子。幼称は祐宮(さちのみや)。幼少時は中山邸で起居したが
天皇に関連する記事をもっと見る
ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額600万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る