1. 弘文天皇
日本大百科全書
、大友は大津宮で即位したと推測されるが明証はない。1870年(明治3)弘文天皇と追諡(ついし)された。672年(弘文天皇1)6月壬申(じんしん)の乱が起こり、大 ...
3. こうぶん‐てんのう[‥テンワウ]【弘文天皇】
日本国語大辞典
「懐風藻」にその伝記と漢詩二首が収められる。明治三年(一八七〇)、正式に天皇の列に加えられ、弘文天皇の諡号(しごう)がおくられた。大化四~弘文元年(六四八~六七 ...
4. 弘文天皇(こうぶんてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 11ページ ...
5. こうぶんてんのう【弘文天皇】
日本人名大辞典
天武天皇元年7月23日自決。25歳。「日本書紀」には立太子や即位の記述はなく,明治3年歴代にくわえられ,弘文天皇と追諡(ついし)された。墓所は長等山前陵(ながら ...
6. 弘文天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【逐次刊行物】:11件 『弘文天皇 壬申の乱に就いて』宮田俊彦『大友天皇考』平出鏗二郎『喜田君の天皇大友本紀の論を読みて』那珂通世『疑問の天皇』本多辰次郎『弘文 ...
7. 大友皇子娶二藤原鎌足女一 (見出し語:弘文天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第1巻 791ページ ...
8. 大友皇子自縊 (見出し語:弘文天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 985ページ ...
9. 大友院子詩 (見出し語:弘文天皇)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 453ページ ...
10. こうぶんてんのう【弘文天皇】
国史大辞典
⇒大友皇子(おおとものおうじ) ...
11. いわいじんじゃ【石坐神社】滋賀県:大津市/中部地域/膳所城下/西ノ庄町
日本歴史地名大系
本殿は三間社流造・檜皮葺で県指定文化財。本殿内に祀る木造の天命開別命坐像・伊賀采女宅子媛坐像・弘文天皇坐像・彦坐王坐像の四体の神像は国指定重要文化財。〈近江・若 ...
12. 宇治拾遺物語 458ページ
日本古典文学全集
、翌年七月、壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)側に敗れて自殺。明治三年(一八七〇)、第三十九代弘文天皇と追贈された。律令制の最高官。太政官の長官で、大友皇子が初任 ...
13. ウメ画像
世界大百科事典
おり,はたして,作者がウメの実物を見て知っていたかどうかさえ疑われてくる。葛野王は大友皇子(弘文天皇)と十市(とおち)皇女との間に生まれた長子であるから,天智天 ...
14. おうみちょうてい【近江朝廷】
国史大辞典
去って吉野にかくれた。同年十二月天智死去のあと、近江朝廷は長子大友皇子(弘文天皇)がついだが、正式に即位するいとまもなく、翌年壬申の乱がおこり、弘文天皇は敗死し ...
15. 淡海三船
世界大百科事典
722-785(養老6-延暦4) 奈良時代の文官。淡三船とも記し,真人元開ともいう。大友皇子(弘文天皇)の曾孫,父は従五位上池辺王。若くして出家し元開と称した。 ...
16. おうみ‐の‐みふね【淡海三船】
日本国語大辞典
奈良前期の漢詩人、漢学者。弘文天皇の曾孫。大学頭、文章(もんじょう)博士、刑部卿。著「唐大和上東征伝」。「懐風藻」の撰者ともいわれる。養老六~延暦四年(七二二~ ...
17. おおきだの-わかみ【大分稚見】
日本人名大辞典
脱出した。伊勢(いせ)(三重県)で大海人皇子と合流,瀬田の戦いで先鋒(せんぽう)として大友皇子(弘文天皇)軍をやぶった。天武天皇8年3月死去。豊後(ぶんご)(大 ...
18. 大友皇子(おおとものおうじ)
日本大百科全書
→弘文天皇 ...
19. おおとものおうじ【大友皇子】
国史大辞典
、江戸時代に『大日本史』や伴信友によって唱えられ、明治三年(一八七〇)七月、明治天皇は皇子に弘文天皇と追諡した。明治以後は、これに対し、皇后倭姫の即位説(喜田貞 ...
20. おおとものおうじ【大友皇子】
日本人名大辞典
めぐってあらそい,敗れて自決した(壬申(じんしん)の乱)。明治3年歴代天皇にくわえられ,弘文天皇と追諡(ついし)された。⇒弘文天皇 ...
21. 大友皇子[文献目録]
日本人物文献目録
⇒弘文天皇 ...
22. おおとものふけい【大伴吹負】
国史大辞典
男吹負・小吹負ともいう。姓は連。咋(くい)の子、長徳・馬来田の弟。天智天皇の死後、大友皇子(弘文天皇)が近江朝廷をついだが、吹負は吉野にかくれ住む大海人皇子(天 ...
23. おおとも‐の‐みこ[おほとも‥]【大友皇子】
日本国語大辞典
弘文天皇の名。オートモノミコ
[ミ]
... 24. 大友皇子(おおとものみこ)
日本大百科全書
→弘文天皇 ...
25. 大友皇子
世界大百科事典
648-672(大化4-天武1) 伊賀皇子ともいう。後世,弘文天皇と呼ばれる。天智天皇の皇子,母は伊賀の豪族の娘で伊賀采女宅子(いがのうねめやかこ)。《懐風藻》 ...
26. 園城寺画像
日本大百科全書
1264年(文永1)に山法師に奪われ、3年後に幕府の命によって返却されたものである。寺域には弘文天皇御陵、日本古美術の研究者フェノロサの墓がある。なお、西国三十 ...
27. おんじょう‐じ[ヲンジャウ‥]【園城寺】
日本国語大辞典
【一】滋賀県大津市園城寺町にある天台寺門宗の総本山。山号は長等山。大友皇子(弘文天皇)の子大友与多王の草創という。貞観元年(八五九)智証大師円珍が延暦寺別院とし ...
28. 改訂 京都民俗志 224ページ
東洋文庫
大津市三井寺の境内北方に、僧が亀の甲を投げたら、蓮華が咲いたと伝える亀塚というのがあった。今、弘文天皇長良山前陵となっている辺の地であると伝えられる。 嵯峨松尾 ...
29. かいふうそう【懐風藻】
国史大辞典
『懐風藻』の「藻」は、石上乙麻呂の詩集『銜悲藻』(現存しない)にならったと思われる。詩人は六十四人、大友皇子(弘文天皇)から葛井広成に及び、巻頭あたりの大友・河 ...
30. かどのおう【
野王】
国史大辞典
六六九―七〇五 天智天皇の孫で大友皇子(弘文天皇)の子、『懐風藻』には長子とある。母は天武天皇の皇女十市皇女。池辺王の父、淡海三船の祖父にあたる。天智天皇八年 ...
31. かどののおう【葛野王】
日本人名大辞典
669−706* 飛鳥(あすか)時代,大友皇子(弘文天皇)の王子。天智(てんじ)天皇8年生まれ。天智天皇の孫。母は十市(とおちの)皇女。持統天皇10年(696) ...
32. きの-うし【紀大人】
日本人名大辞典
天智天皇10年(671)御史大夫(ぎょしたいふ)。「日本書紀」によると,天皇の重病に際して大友皇子(弘文天皇)にしたがうことを誓約。しかし没後に正三位をおくられ ...
33. くすの-いわて【樟磐手】
日本人名大辞典
?−? 飛鳥(あすか)時代の武人。大友皇子(弘文天皇)の近江(おうみ)朝廷につかえる。壬申(じんしん)の乱(672)がはじまると,徴兵のため吉備(きび)(岡山県 ...
34. 古今和歌集 425ページ
日本古典文学全集
いう(六臣注『文選』巻二十)。天武天皇の皇子で、四首の詩が『懐風藻』にあるが、同集の詩人としては、大友皇子(弘文天皇)・川島皇子のほうが先輩である。『日本書紀』 ...
35. こせの-ひと【巨勢人】
日本人名大辞典
同年左大臣蘇我赤兄(そがの-あかえ),右大臣中臣金(なかとみの-かね)らとともに重病の天皇の前で大友皇子(弘文天皇)をまもることをちかう。翌年の壬申(じんしん) ...
36. さかいべの-くすり【坂合部薬】
日本人名大辞典
関係して捕らえられ,尾張(おわり)(愛知県)へ流される。壬申(じんしん)の乱の際,大友皇子(弘文天皇)側の将として村国男依(むらくにの-おより)の軍と近江(滋賀 ...
37. さかもとの-たから【坂本財】
日本人名大辞典
側の将軍大伴吹負(おおともの-ふけい)の命により,河内(かわち)(大阪府)からくる大友皇子(弘文天皇)の軍を大和(奈良県)竜田で阻止,ついで高安城を攻略した。天 ...
38. 続日本紀 1 317ページ
東洋文庫
八月条以降は船親王と書く。宝字八年の藤原仲 麻呂の変に連座して、隠岐国に流される。 一一 池辺王 大友皇子(弘文天皇)の孫、葛野王 の子、淡海三船の父であっ ...
39. 持統天皇
世界大百科事典
廷を去って吉野山に隠れ,持統もそれに従った。同年12月に天智は没し,大友皇子があとを継いだ(弘文天皇)が,翌672年(天武1)6月,大海人は反乱をおこして弘文の ...
40. じとうてんのう【持統天皇】
国史大辞典
宮に移る。大海人は天智の政治を助け、次期の天皇と目されたが、天智の晩年、天智が子の大友皇子(弘文天皇)に皇位を譲る意のあることを察し、同十年吉野山に隠れ、持統は ...
41. 壬申の乱画像
日本大百科全書
672年(弘文天皇1)壬申の年6月、天智天皇(てんじてんのう)の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)(後の天武天皇)が、天智の子である大友皇子(弘文(こうぶん)天 ...
42. じんしんのらん【壬申の乱】画像
国史大辞典
起った皇位継承をめぐる大規模な内乱。壬申の年にあたるので壬申の乱という。なお、『日本書紀』は弘文天皇(大友皇子)の即位を認めず、この年を天武天皇元年とする。乱の ...
43. すえよしむら【末吉村】千葉県:君津市/旧望陀郡地区地図
日本歴史地名大系
水懸りであった(吉田家文書)。字壬申山に鎮守の末吉神社がある。古くは飯縄神社と号した。社伝に弘文天皇の随身蘇我大炊を祀るという(君津郡誌)。嘉永二年(一八四九) ...
44. そがの-はたやす【蘇我果安】
日本人名大辞典
天智(てんじ)天皇10年御史大夫(ぎょしたいふ)となる。壬申(じんしん)の乱(672)がおこると,大友皇子(弘文天皇)を支持して大海人(おおあまの)皇子(天武天 ...
45. 増訂 工芸志料 3ページ
東洋文庫
人々その初め、僅かに身を掩うに起こり、雄略天皇の、業を勧むるに至りて漸く開らけ、孝徳天皇、天智天皇、弘文天皇、天武天皇、持統天皇、文武天皇の間に ...
46. 増補 山島民譚集 381ページ
東洋文庫
以て入日を招き返したと老人たちは語って居るといふ。蘇 我は故地であり又此地方の旧姓であった。弘文天皇の御事蹟の年を逐うて精細に語られるに至ったのは、 ...
47. 太平記 22ページ
日本古典文学全集
「推敲」の故事で知られる。天智天皇の皇太弟。天智天皇が重病の際、出家して吉野山に入るが、天皇の死後、弘文天皇を滅ぼして即位。西源院本・梵舜本・流布本・義輝本「天 ...
48. 太平記 217ページ
日本古典文学全集
神田本「七万」。玄玖本「六万」。西源院本「三千」。俗称三井寺。大津市園城寺町にある天台宗寺門派総本山。弘文天皇の皇子大友与多王が天武九年(六八〇)ごろ創建、天智 ...
49. 太平記 285ページ
日本古典文学全集
天武二年(六七三)即位。天智天皇の皇子(六四八~六七二)、壬申の乱に敗れ、近江で自害。明治三年に弘文天皇と追諡された。岡山県吉備郡真備町上二万、下二万。「後冷泉 ...
50. 太平記 424ページ
日本古典文学全集
して、不退の行学を妨げんとしけれども、上人の定力堅固なりければ、隙を伺ふ事を得ず。さ た。弘文天皇(大友皇子)との壬申の乱(六七二)に勝利した翌年、飛鳥浄御原 ...