NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 社会
  6. >
  7. 政治
  8. >
  9. 天皇
  10. >
  11. 淳仁天皇

淳仁天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『淳仁天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
淳仁天皇
じゅんにんてんのう
七三三 - 六五
七五八―六四在位。諱は大炊(おおい)。天武天皇の孫、舎人親王の第七子。母は当麻山背。天平五年(七三三)生まれる。藤原仲麻呂の男真従の未亡人粟田諸姉を娶って仲麻呂の田村第に住んだが、天平勝宝八歳(七五六)聖武上皇が崩ずると、翌天平宝字元年(七五七)廃太子道祖(ふなど)王にかわって迎えられて立太子した。同二年八月一日孝謙天皇の譲りを受けて即位。その治世は仲麻呂の専権の時期で、仲麻呂に恵美押勝の名を与え、大師(太政大臣)に任じて種々の特権を許したほか、同五年十月には仲麻呂勢力下の近江の保良宮を副都としてここに遷った。そのころから道鏡を信任した孝謙上皇と対立し、翌年平城に還御すると国家の大事と賞罰の権限を上皇に奪われた。窮地に立った仲麻呂は反乱を企てて上皇方に鎮圧され、同八年十月九日天皇は廃されて淡路に流された。淡路公・淡路廃帝と称される。翌天平神護元年(七六五)十月配所を逃亡して捕えられ、同月二十三日没した。三十三歳。のち宝亀九年(七七八)その墓は山陵と追尊された。
[参考文献]
岸俊男『藤原仲麻呂』(『人物叢書』一五三)
(林 陸朗)

淡路陵(あわじのみささぎ)

兵庫県三原郡南淡町賀集にあり、周囲約九〇〇メートル、高さ二十数メートルの南北に細長い小丘で、水濠に囲繞されている。かつては天王森と称され頂部には牛頭天王社があったという。『続日本紀』によると、淳仁天皇は淡路公としてこの地にあること一年余にして俄に没したが、光仁天皇は宝亀三年(七七二)墓を改葬し、仏事を修して慰霊につとめ、さらに同九年には墓を山陵に列し、近傍の百姓一戸を宛て、母大夫人当麻山背の墓とともに管守せしめた。『延喜式』諸陵寮の制は「在淡路国三原郡、兆域東西六町、南北六町、守戸一烟」で遠陵とする。陵所はのち所伝を失うに至り、元禄十二年(一六九九)の江戸幕府による諸陵探索の折には、三原郡十一箇所村(三原町)の丘の松の地を陵所に擬したが、同郡中島村(同)や津名郡下川井村(一宮町)高島などにも陵所の伝承があった。仲野安雄は享保十五年(一七三〇)に『淡路常磐草』を著わし、丘の松は殯葬の地で天王森が陵所であることを考証した。それ以来この説が世に行われ、津久井清影や小杉榲邨らもこれに従い、明治七年(一八七四)に至り天王森が陵所に治定された。丘の松は陵墓参考地に指定されている。
[参考文献]
上野竹次郎『山陵』上、原義一『淳仁天皇淡路高島陵考』、同『淳仁天皇淡路陵旧説批判』
(戸原 純一)


日本大百科全書(ニッポニカ)
淳仁天皇
じゅんにんてんのう
[733―765]

第47代天皇(在位758~764)。天武(てんむ)天皇の孫。舎人(とねり)親王王子。母は当麻山背(たいまのやましろ)。諱(いみな)は大炊王(おおいおう)。孝謙(こうけん)天皇の皇太子は初め道祖(ふなど)王であったが、天皇のもとで権力を振るった藤原仲麻呂(なかまろ)は、757年(天平宝字1)道祖王を廃し、大炊王を皇太子にたてた。これは、仲麻呂が彼の邸宅田村第に大炊王を迎え、仲麻呂の子真従(まより)の未亡人粟田諸姉(あわたのもろあね)と結婚させていたからである。翌年即位し、天皇のもとで仲麻呂は専権を振るった。しかし762年に天皇は孝謙上皇と対立し、上皇は天皇から国家の大事と賞罰の権を奪い、764年に仲麻呂の乱が起こると、10月淳仁を廃して淡路(あわじ)公とし淡路国(兵庫県淡路島)に幽閉した。翌765年(天平神護1)10月逃れようとして捕らえられ、翌23日薨(こう)じた。淡路廃帝とよばれる。陵墓は兵庫県南あわじ市賀集(かしゅう)の淡路陵(あわじのみささぎ)。
[福井俊彦]



世界大百科事典
淳仁天皇
じゅんにんてんのう
733-765(天平5-天平神護1)

第47代に数えられる天皇。在位758-764年。天武天皇の皇子舎人(とねり)親王の第7子。母は当麻山背。諱(いみな)は大炊(おおい)王。立太子以前に藤原仲麻呂の長子真従(まより)の未亡人粟田諸姉(あわたのもろあね)を妻とし,仲麻呂の邸宅である田村第に住んでいた。この関係から,仲麻呂は彼の立太子と即位を望んだ。時の皇太子は聖武太上天皇の遺詔によって立太子した道祖(ふなど)王(新田部親王の子)であったが,757年(天平宝字1)3月に廃され,翌4月に大炊王が立太子した。さらに,同年7月の橘奈良麻呂の変によって藤原仲麻呂が権力を確立したあと,758年8月,即位した。762年5月,道鏡の問題を契機に,淳仁天皇と孝謙太上天皇との関係は決裂し,後者が国家の大事と賞罰に関する権限を掌握し,淳仁天皇は常祀と小事に関する権限のみを行うにすぎなくなった。これは仲麻呂政権にとって大きな打撃であった。764年8月の藤原仲麻呂の没落後,天皇の地位を追われて淡路国の一院に幽閉された。これにより淡路廃帝,淡路公などと称された。765年10月,幽憤にたえず逃走を試みたが捕らえられ,翌日死亡した。時に33歳であった。陵は淡路陵(兵庫県南あわじ市賀集字岡ノ前)。
[栄原 永遠男]

[索引語]
大炊(おおい)王 藤原仲麻呂 粟田諸姉 道祖(ふなど)王 淡路廃帝
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


淳仁天皇の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 254
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 大炊王・淳仁天皇
日本史年表
758年〈天平宝字2 戊戌〉 8・1 孝謙天皇 譲位. 大炊王(淳仁天皇) 即位(続紀)。 764年〈天平宝字8 甲辰〉 10・9 淳仁天皇 を廃して淡路国に幽 ...
2. 淳仁天皇
日本大百科全書
第47代天皇(在位758~764)。天武(てんむ)天皇の孫。舎人(とねり)親王王子。母は当麻山背(たいまのやましろ)。諱(いみな)は大炊王(おおいおう)。孝謙( ...
3. 淳仁天皇
世界大百科事典
8月,即位した。762年5月,道鏡の問題を契機に,淳仁天皇と孝謙太上天皇との関係は決裂し,後者が国家の大事と賞罰に関する権限を掌握し,淳仁天皇は常祀と小事に関す ...
4. じゅんにん‐てんのう[‥テンワウ]【淳仁天皇】
日本国語大辞典
第四七代の天皇。舎人(とねり)親王の第七皇子。母は当麻山背(たいまのやませ)。名は大炊(おおい)。天平宝字二年(七五八)即位。在位の間、恵美押勝(えみのおしかつ ...
5. じゅんにんてんのう【淳仁天皇】
国史大辞典
丘の松は陵墓参考地に指定されている。 [参考文献]上野竹次郎『山陵』上、原義一『淳仁天皇淡路高島陵考』、同『淳仁天皇淡路陵旧説批判』 (戸原 純一)  ...
6. 淳仁天皇(じゅんにんてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 14ページ ...
7. じゅんにんてんのう【淳仁天皇】
日本人名大辞典
733−765 奈良時代,第47代天皇。在位758-764。天平(てんぴょう)5年生まれ。父は舎人(とねり)親王。母は当麻山背(たいまの-やましろ)。孝謙天皇の ...
8. 淳仁天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:3件 【逐次刊行物】:1件 『淳仁天皇御遺跡』松本杏治郎(著刊)『淳仁天皇淡路高島陵考』原義一(著刊)『淳仁天皇淡路高島陵考と淡路陵旧 ...
9. 淳仁天皇號淡路廢帝 (見出し語:淳仁天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 951ページ ...
10. 淳仁天皇山陵 (見出し語:淳仁天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 987ページ ...
11. 淳仁天皇退帝位 (見出し語:淳仁天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 583ページ ...
12. 祀淳仁天皇於白峯宮 (見出し語:淳仁天皇)
古事類苑
神祇部 洋巻 第3巻 1533ページ ...
13. 祀淳仁天皇於野部宮 (見出し語:淳仁天皇)
古事類苑
神祇部 洋巻 第3巻 1532ページ ...
14. じゅんにんてんのうりょう【淳仁天皇陵】兵庫県:三原郡/南淡町/賀集中村
日本歴史地名大系
「淡路陵、廃帝、在淡路国三原郡、兆域東西六町、南北六町、守戸一烟」とある。「廃帝」は大炊王(淳仁天皇)をさす。「淳仁」の諡号は明治三年(一八七〇)に追贈されたも ...
15. あしはらおう【葦原王】
日本人名大辞典
(761)賭博(とばく),飲酒中に御使麻呂(みつかいの-まろ)を殺害した。余罪も発覚したが,淳仁天皇のはからいで死罪をまぬかれ,氏を竜田とされて種子島に流された ...
16. あすかだのじょおう【飛鳥田女王】
日本人名大辞典
舎人(とねり)親王の王女。神亀(じんき)4年ごろの生まれ。天平宝字(てんぴょうほうじ)3年弟の淳仁天皇が即位したさい四品,内親王となる。8年天皇の廃位とともに位 ...
17. 阿倍内親王・孝謙天皇・孝謙太上天皇・称徳天皇
日本史年表
758年〈天平宝字2 戊戌〉 8・1 孝謙天皇 譲位. 大炊王(淳仁天皇) 即位(続紀)。 764年〈天平宝字8 甲辰〉 10・9 淳仁天皇 を廃して淡路国に幽 ...
18. あわじこくふ【淡路国府】兵庫県:三原郡/三原町/市村
日本歴史地名大系
北方の榎列大榎列に府中八幡、市十一ヶ所に総社十一明神神社があることなどによる。「常磐草」は奈良時代に淳仁天皇が配流された折、淡路国守佐伯宿禰助の監視下におかれた ...
19. 淡路常磐草(常磐草)[文献解題]兵庫県
日本歴史地名大系
」完成。巻一に一般的歴史的事項、巻二以下で郷別村浦ごとに特記事項を記述、考証博く文章簡潔で、淳仁天皇陵・延喜式内社古蹟地決定の参考史料となった。本書を補うものと ...
20. あわじのきみ【淡路公】
日本人名大辞典
淳仁天皇(じゅんにんてんのう) ...
21. 淡路国
世界大百科事典
国府,国分寺も三原郡(現南あわじ市,旧三原町)におかれた。8世紀中期以後は淡路は皇族の配流の地となり,淳仁天皇,不破内親王,早良(さわら)親王らが流された。直木 ...
22. あわじのくに【淡路国】兵庫県
日本歴史地名大系
路との深い関係が律令制下にも引続いていたのではないかと思われる。奈良時代の後期には淡路は廃帝淳仁天皇をはじめとして、天皇家の人々の配流の地となる。淳仁は天平宝字 ...
23. あわじのはいてい【淡路廃帝】
国史大辞典
淳仁天皇(じゅんにんてんのう)  ...
24. あわじのはか【淡路墓】
国史大辞典
馬目にある。山背は上総守当麻老の女、淳仁天皇の母、天皇即位ののち大夫人となる。天平宝字八年(七六四)淳仁天皇とともに淡路に配され、同地で没した。墓は淳仁天皇淡路 ...
25. あわじのみささぎ【淡路陵】
国史大辞典
淳仁天皇(じゅんにんてんのう)  ...
26. あわじのみささぎ【淡路陵】 : 淳仁天皇
国史大辞典
水濠に囲繞されている。かつては天王森と称され頂部には牛頭天王社があったという。『続日本紀』によると、淳仁天皇は淡路公としてこの地にあること一年余にして俄に没した ...
27. 粟田氏
世界大百科事典
や遣唐使として活躍した粟田真人を出し,また粟田諸姉は夫藤原真従(仲麻呂の長男)の死後大炊王(淳仁天皇)の妻となった。岸 俊男 ...
28. あわたうじ【粟田氏】
国史大辞典
に昇る者はかなり多く、なかで粟田朝臣諸姉は藤原仲麻呂の長男真従の婦となり、夫の死後は大炊王(淳仁天皇)の妻となった。→和珥氏(わにうじ) [参考文献]岸俊男「ワ ...
29. あわたの-もろえ【粟田諸姉】
日本人名大辞典
?−? 奈良時代,淳仁天皇の妃。藤原仲麻呂の子真従(まより)にとつぎ,夫の死後天皇が大炊(おおい)王のときに再婚。天平宝字(てんぴょうほうじ)2年(758)即位 ...
30. いけおうじんじゃ【池王神社】熊本県:鹿本郡/植木町/鈴麦村
日本歴史地名大系
鈴麦集落の西方、玉名郡玉東町との境近くにある。祭神は新耳命、旧村社。「国誌」によると、一説には淳仁天皇の皇女が配流され、松尾谷に築地を築いて住し(平内裏と称する ...
31. 池田王
世界大百科事典
757年(天平宝字1)道祖(ふなど)王廃太子の後,皇太子に推されたが,孝行に欠けると退けられた。759年弟の淳仁天皇即位により親王となり,三品糺政尹に至る。76 ...
32. いけのえのじょおう【池上女王】
日本人名大辞典
?−? 奈良時代の女王。天平(てんぴょう)19年(747)従五位下となる。天平宝字4年淳仁天皇の藤原仲麻呂邸行幸の日から昇格をかさね,8年従三位にすすんだ。天平 ...
33. いんぐうぶんこくせい【院宮分国制】
国史大辞典
納入すると見るのである。こういう例はすでに天平宝字八年(七六四)に見られる。つまり廃位された淳仁天皇に淡路国公を授け、淡路国の調・庸・官物を廃帝の料物にあてたこ ...
34. うさじんぐう【宇佐神宮】大分県:宇佐市/旧宇佐町地区/宇佐村
日本歴史地名大系
〔道鏡事件と和気氏〕天平勝宝八年聖武太上天皇が没し、天平宝字二年(七五八)孝謙天皇は譲位して淳仁天皇が即位する。藤原仲麻呂は橘奈良麻呂らの政敵を退けて引続き専権 ...
35. 江戸繁昌記 3 249ページ
東洋文庫
七七五) (茜)陣法を受けて帰る 吉備真備が軍陣の法を伝えて帰ったことは、『続日本記』二三、淳仁天皇紀に、次の記事があるので知られる。「天平宝字四年十一月丙申。 ...
36. 恵美押勝の乱
世界大百科事典
すなわち,保良宮に滞在中,看病に当たった道鏡を孝謙上皇が寵愛したのを淳仁天皇が批判したことから,両者の間が不和となり,決裂状態のまま平城京に帰って,淳仁天皇は平 ...
37. えみのおしかつのらん【恵美押勝の乱】
国史大辞典
翌年五月まで滞在したが、その間に病み、道鏡が看病して治癒したので、彼を寵するようになった。押勝が擁立した淳仁天皇が、上皇の道鏡寵愛を批判したので、上皇は怒り、国 ...
38. えんみょうじ【円明寺】広島県:佐伯郡/五日市町/三宅村
日本歴史地名大系
[現]五日市町三宅 三宅山山王院と号し、高野山真言宗。本尊如意輪観音。弘法大師の開基と伝える。寺伝によれば、淳仁天皇から三宅山の山号を記した勅額を授けられた勅願 ...
39. おうじむら【王子村】高知県:香美郡/香我美町
日本歴史地名大系
南乃田隴沿山谷各家焉」と記す。村名は、「続日本紀」天平宝字八年(七六四)一〇月九日条にみえる、淳仁天皇の弟池田親王が土佐に配流されたことにちなみ、その折池田親王 ...
40. おうみおおつのみやあと【近江大津宮跡】滋賀県:大津市/中部地域/錦織村
日本歴史地名大系
れる。おそらく「続日本紀」天平宝字五年(七六一)一〇月一一日条に都を保良に移すとあるように、淳仁天皇の保良宮が粟津に造営されたため、新たに粟津が大津となり、かつ ...
41. 近江国
世界大百科事典
立も起工された。また藤原仲麻呂は保良宮(ほらのみや)(大津市)の造営を主唱し,孝謙太上天皇と淳仁天皇を手中にせんとしたが,道鏡の出現をきっかけに両者の関係は決裂 ...
42. おうみのくに【近江国】画像
国史大辞典
同五年に保良遷都が宣言された。保良宮の位置は大津市石山国分町と推定されている。しかし同六年に孝謙上皇と淳仁天皇との不和が表面化して両者とも平城京にかえった。この ...
43. 大炊王
世界大百科事典
淳仁天皇 ...
44. おおいおう【大炊王】
国史大辞典
淳仁天皇(じゅんにんてんのう)  ...
45. おおいおう【大炊王】
日本人名大辞典
淳仁天皇(じゅんにんてんのう) ...
46. 大鏡 336ページ
日本古典文学全集
天平勝宝元年(七四九)七月二日に、わが子孝謙天皇(女帝)に譲位した。第四十六代の孝謙天皇。孝謙上皇は淳仁天皇を廃して、第四十八代称徳天皇として、重祚した。『大鏡 ...
47. 大鏡 338ページ
日本古典文学全集
れた。大臣をつとめた御代を指す。養老元年に参議に任じてから天平九年(七三七)まで。第四十七代淳仁天皇。孝謙上皇に廃されて、淡路に流された。西暦七六〇年。天平宝字 ...
48. 大鏡 345ページ
日本古典文学全集
姉の宮子の子なので甥になる。安倍内親王。天平勝宝元年(七四九)七月二日に践祚。孝謙天皇。→三三六ページ注二。淳仁天皇。淡路廃帝。孝謙天皇が今度は四十八代称徳天皇 ...
49. おおつし【大津市】滋賀県
日本歴史地名大系
古代の行政上の中心たる国府も、大津市の旧栗太郡勢多に造営されていた。天平宝字五年(七六一)に完成した淳仁天皇の保良宮や、近江出身の良弁がかかわった石山寺の造営も ...
50. おはりだ【小墾田】
国史大辞典
に宮を改造しようとしたが果たさなかった。壬申の乱の際、小墾田兵庫があった。平城遷都ののちも、淳仁天皇は天平宝字四年(七六〇)に小治田宮、同五年に小治田岡本宮に幸 ...
「淳仁天皇」の情報だけではなく、「淳仁天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

淳仁天皇と同じ天皇カテゴリの記事
舎人親王(日本大百科全書(ニッポニカ))
天武天皇の第三皇子。母は天智天皇の娘新田部皇女。知太政官事穂積親王の亡きあとは皇親の長老として重んぜられ、新田部親王とともに皇太子首親王(聖武天皇)を輔翼する責務を負った
天皇(改訂新版・世界大百科事典)
日本国憲法に定める日本国および日本国民統合の象徴。天皇の歴史前近代の天皇オオキミとスメラミコト〈天皇〉は〈オオキミ〉とも〈スメラミコト〉とも呼ばれた。しかしこの二つの日本語は決して同義ではなく,むしろ両者の質の違い,それぞれの用いられる次元の相違に注目することが
皇位継承(改訂新版・世界大百科事典)
7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で
摂政(国史大辞典)
天皇に代わって万機を摂り行う者、または摂り行うことをいう。関白に類する職として関白とともに摂関といい、関白と同じく、摂ろく・執柄・博陸などの唐名があり、その地位に因んで一の人・一の所などと称され、殿下ともいわれた
関白(国史大辞典)
万機に関与する重職で摂政に類似する。したがって摂政と合わせて摂関・摂ろく・一の人・一の所などと称し、執柄・博陸・殿下などの唐名がある。関白の語は『漢書』霍公伝に、宣帝が諸事まず霍光に関白してから奏上せしめたとみえているが
天皇と同じカテゴリの記事をもっと見る


「淳仁天皇」は天皇に関連のある記事です。
その他の天皇に関連する記事
豊明節会(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
新嘗祭の翌日の辰日、および大嘗祭においては午日に、天皇が出御して行われる公儀の宴会。荷田在満『大嘗会儀式具釈』に「豊明トハ宴会ヲ云、古クハ宴会豊楽等ノ字ヲ直ニトヨノアカリト訓ズ、大嘗新嘗ノ後ニハ必宴会アリ、仍テ大嘗ノ豊明、新嘗ノ豊明ナドトハイヘド
文官分限令・文官懲戒令(日本大百科全書)
1899年(明治32)3月に第二次山県有朋(やまがたありとも)内閣の手で公布された、一般文官の身分および職分の保障に関する規定と、懲戒に関する規定。前者では、官吏の身分保障、免官、休職、降任、休職中の俸給、復職などについての原則が規定され、官吏の身分
太上天皇(国史大辞典・日本国語大辞典)
譲位した天皇の称。「だいじょうてんのう」とも訓む。略して上皇あるいは太皇ともいい、また御在所を意味する院の称も用いられ、さらにその御在所を神仙の居所に擬して仙院・仙洞・藐姑射山(はこやのやま)・茨山(しざん)などとも称された。
上皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
譲位した天皇の尊称。正式には太上(だいじょう)天皇と称する。中国の太上皇(たいじょうこう)、太上皇帝の称に始まり、太上は最上または至上の意。日本では697年(文武天皇1)譲位した持統(じとう)天皇が初めて太上天皇と称し、大宝令(たいほうりょう)
昭和天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一九〇一 - 八九 一九二六―八九在位。明治三十四年(一九〇一)四月二十九日午後十時十分、東宮御所に生誕。皇太子明宮嘉仁親王(のちの大正天皇)と皇太子妃節子(のちの貞明皇后)の第一皇子。五月五日明治天皇より裕仁(ひろひと)と命名され
天皇に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶