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  11. 光仁天皇
国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

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国史大辞典
光仁天皇
こうにんてんのう
七〇九 - 八一
七七〇―七八一在位。和銅二年(七〇九)十月十三日、天智天皇の皇子施基(しき)親王の第六子として誕生。母は贈太政大臣紀諸人の女橡(とち)姫。諱は白壁。天平九年(七三七)九月無位より従四位下、同十八年四月従四位上、天平宝字元年(七五七)五月正四位下、同二年八月正四位上、同三年六月従三位となる。同四年六月七日、光明皇后の葬儀に際し山作司に任じ、同六年十二月、中納言となる。同八年九月、正三位。天平神護元年(七六五)正月、勲二等を授かった。同年十月十三日、称徳天皇が紀伊国へ行幸した時に御前次第司長官に任じた。同二年正月、大納言となり、神護景雲二年(七六八)十月二十四日、大宰綿一万屯を賜わった。同四年八月四日、称徳天皇の崩御にあたり左大臣藤原永手らによって皇太子に立てられ、同年十月一日、即位し、宝亀と改元した。時に六十二歳。『続日本紀』光仁天皇即位前紀は「自〓勝宝〓以来、皇極無〓(つぎ)、人疑〓彼此〓、罪廃者多、天皇深顧〓横禍時〓、或縦〓酒晦〓迹、以〓故免〓害者数(あまたたび)矣」と伝え、皇太子に立てられるまでの天皇の身辺は危難にとりまかれていた。即位後の十一月六日、妃の井上内親王を皇后とし、宝亀二年(七七一)正月二十三日、他戸(おさべ)親王を皇太子としたが、同三年三月二日、皇后は巫蠱(ふこ)に坐せられて廃され、皇太子もまた同年五月二十七日に廃された。同四年正月二日、他戸親王にかわって山部親王(桓武天皇)が皇太子となった。天応元年(七八一)四月三日、病気により山部親王に譲位、同年十二月二十三日、崩御。七十三歳。天宗高紹天皇と諡され、広岡山陵に葬られた。天皇は道鏡を退けたあとの藤原氏の政界進出に支えられて寺院・僧尼への統制、官制の修正、地方行政の改革、蝦夷問題への対策など政治体制を安固にすることを期する政治を行なった。
[参考文献]
北山茂夫「藤原種継事件の前後」(『日本古代政治史の研究』所収)
(佐伯 有清)

田原東陵(たわらのひがしのみささぎ)

 奈良市日笠町にあり、旧添上郡田原村の地で字をヲヲノツカという。径約五〇メートル、高さ約八メートルの円墳。『続日本紀』によると天皇崩御の翌延暦元年(七八二)正月七日広岡山陵に葬ったが、同五年十月二十八日地を相して田原陵に改葬した。当陵の西南に天皇の父施基皇子の田原西陵があるが、これを前田原山陵というのに対して後田原山陵ともいう。『延喜式』諸陵寮の制は陵号を田原東陵とし、兆域東西八町南北九町、守戸五烟を配し、近陵に班している。陵所は後世所伝を失ったが、元禄十二年(一六九九)江戸幕府によって行われた諸陵探索の折に陵所にあてられ、以来陵所についての異説がない。文久修陵の際この地の領主津藩主藤堂高猷は山陵奉行に願い、藩費を以て当陵の修営を分担した。初葬の地広岡は田原の北一〇キロにあるが、その遺跡は明らかでない。
[参考文献]
上野竹次郎『山陵』上
(戸原 純一)


日本大百科全書(ニッポニカ)
光仁天皇
こうにんてんのう
[709―781]

第49代とされる天皇(在位770~781)。諱(いみな)は白壁(しらかべ)、諡号(しごう)は天宗高紹天皇(あまむねたかつぎのすめらみこと)。天智(てんじ)天皇の孫で、施基(しき)皇子の第6子、母は紀諸人(きのもろひと)の女橡姫(むすめとちひめ)。聖武(しょうむ)天皇の没後、聖武の女井上(いのえ)内親王を室とする白壁王は、酒をほしいままにして皇位継承をめぐる争いに巻き込まれることを避けた。770年(宝亀1)称徳(しょうとく)天皇の没後、藤原永手(ながて)・百川(ももかわ)らによって皇太子に擁立され、同年即位。初め皇后井上内親王所生の他戸(おさべ)親王を皇太子としたが、772年大逆を理由に皇后・皇太子を廃し、翌年高野新笠(たかののにいがさ)を母とする皇子山部(やまべ)親王(桓武(かんむ)天皇)を皇太子とし、聖武系の皇統と絶縁した。天皇は、不要の令外官(りょうげのかん)を廃止して財政を緊縮し、また虚弱な兵士にかえて富裕な農民を採用するなど、農民の労役負担を軽減する措置をとった。東北地方の支配の拡大にも努めたが、780年蝦夷伊治呰麻呂(えぞいじのあざまろ)の反乱が起こり、諸問題の解決は次の桓武朝にゆだねられた。陵墓は奈良市田原東(たわらひがし)陵。
[笹山晴生]



世界大百科事典
光仁天皇
こうにんてんのう
709-781(和銅2-天応1)

第49代に数えられる奈良後期の天皇。在位770-781年。天智天皇の孫,施基(志貴)皇子の第6子,母は紀諸人の女橡姫(とちひめ)。諱(いみな)は白壁,和風諡号(しごう)を天宗高紹(あまむねたかつぎ)天皇という。737年(天平9)無位から従四位下に叙せられ,以後累進して正三位大納言に至ったが,その間飲酒をほしいままにして皇位継承の争いに巻き込まれるのを避けていた。しかし770年8月に称徳天皇が没し,天武系の皇統が絶えると,藤原百川,永手らに擁立されて皇太子となり,道鏡を下野薬師寺別当に左遷した。ついで同年10月に即位,宝亀と改元し,井上(いかみ)内親王を皇后に,その子である他戸(おさべ)親王を皇太子と定めたが,まもなく皇后が巫蠱(ふこ)に座したという理由で,廃后・廃太子を断行し,代わって山部親王(母は高野新笠)を皇太子に立て,また楊梅宮を造営して移った。在位中,大中臣清麻呂を右大臣に,藤原良継を内臣,内大臣に任じて重用し,庶政刷新,綱紀粛正をはかったほか,渤海,新羅,唐からの使節来朝が相つぎ,また蝦夷の反乱鎮定にも努めた。781年4月,病によって山部親王(桓武天皇)に譲位,同年12月に没した。はじめ広岡山陵に葬ったが,のち父の施基皇子(春日宮天皇と追称)を葬る大和国添上郡田原の地に改葬した。
[岸 俊男]

[索引語]
白壁皇子 天宗高紹(あまむねたかつぎ)天皇 山部親王
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1. 光仁天皇
日本大百科全書
第49代とされる天皇(在位770~781)。諱(いみな)は白壁(しらかべ)、諡号(しごう)は天宗高紹天皇(あまむねたかつぎのすめらみこと)。天智(てんじ)天皇の ...
2. 光仁天皇
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709-781(和銅2-天応1) 第49代に数えられる奈良後期の天皇。在位770-781年。天智天皇の孫,施基(志貴)皇子の第6子,母は紀諸人の女橡姫(とちひめ ...
3. こうにん‐てんのう[クヮウニンテンワウ]【光仁天皇】
日本国語大辞典
第四九代天皇。天智天皇の子施基(しき)親王の第六子。名は白壁王、天宗高紹尊(あまむねたかつぎのみこと)。宝亀元年(七七〇)藤原永手、百川らに擁立されて即位。先代 ...
4. こうにんてんのう【光仁天皇】
国史大辞典
らによって皇太子に立てられ、同年十月一日、即位し、宝亀と改元した。時に六十二歳。『続日本紀』光仁天皇即位前紀は「自〓勝宝 ...
5. 光仁天皇(こうにんてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 15ページ ...
6. こうにんてんのう【光仁天皇】
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709−782* 奈良時代,第49代天皇。在位770-781。和銅2年10月13日生まれ。施基(しきの)皇子の第6王子。母は紀橡姫(きの-とちひめ)。天智天皇の ...
7. 光仁天皇[文献目録]
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8. 白壁王・光仁天皇・光仁太上天皇
日本史年表
称徳天皇没. 白壁王 を皇太子とする(続紀)。 770年〈宝亀元(10・1) 庚戌〉 10・1 白壁王(光仁天皇) 即位(続紀)。 781年〈天応元(1・1)  ...
9. 光仁天皇即位前童謠 (見出し語:光仁天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第1巻 869ページ ...
10. 光仁天皇號後田原天皇 (見出し語:光仁天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 943ページ ...
11. 光仁天皇國忌 (見出し語:光仁天皇)
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禮式部 洋巻 第2巻 1266ページ ...
12. 光仁天皇山陵 (見出し語:光仁天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 987ページ ...
13. 光仁天皇爲皇太子 (見出し語:光仁天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1358ページ ...
14. 光仁天皇諡 (見出し語:光仁天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 919ページ ...
15. 県犬養姉女
世界大百科事典
とが発覚,犬部と改めて遠流に処せられたが,771年(宝亀2)には誣告(ぶこく)であったとして光仁天皇から罪を許され,本姓に復した。黛 弘道 ...
16. 県犬養広刀自
世界大百科事典
た。安積(あさか)親王,井上内親王,不破内親王を生んだが,安積は744年17歳で急逝,井上は光仁天皇の皇后となったが,772年(宝亀3)大逆罪によって廃され3年 ...
17. あがたのいぬかいの-いさみみ【県犬養勇耳】
日本人名大辞典
?−? 奈良-平安時代前期の女官。白壁王(光仁天皇)につかえ,広根諸勝を生んだ。天応元年(781)従五位下。名は男耳(おみみ)とも。 ...
18. あきしのでら【秋篠寺】奈良県:奈良市/秋篠・富雄地区/秋篠村・本郷村
日本歴史地名大系
「興福寺官務牒疏」には「僧宇十六坊」とあり、寛永九年(一六三二)の秋篠寺書上(春日大社文書)には「光仁天皇御勅願、秋篠寺、寺領百石」として「本堂、薬師、五間四面 ...
19. あさはらの-みちなが【朝原道永】
日本人名大辞典
?−? 奈良時代の官吏。天応2年(782)光仁天皇の山陵をえらぶために派遣された13名のうちのひとり。のち東宮学士,大学頭(だいがくのかみ),文章(もんじょう) ...
20. あさばらむら【朝原村】島根県:簸川郡/佐田町
日本歴史地名大系
「郡村誌」は「古墓村ノ北方王院山ノ嶺上ニアリ、何人ノ墳墓ナルヤ詳カナラズ」と伝える。この山には光仁天皇の皇后選びにちなむ吉祥姫伝説がある。現在山頂には大小一〇基 ...
21. あせりぐん【汗入郡】鳥取県:伯耆国
日本歴史地名大系
簡で、「伯耆国汗入郡尺刀郷」とみえる。「伯耆民談記」には、郡名は古くは「安合郡」と称したが、光仁天皇の時代老父に代わって人夫として当郡から都に上った女性が天皇の ...
22. あたご‐じんじゃ【愛宕神社】
日本国語大辞典
と)、天熊人命(あめくまうしのみこと)ほか。天応元年(七八一)和気清麻呂(わけのきよまろ)が光仁天皇の勅命により社殿を造営、平安京の鎮護の神としてまつられたもの ...
23. あらきむら【荒木村】京都府:綴喜郡/宇治田原町
日本歴史地名大系
基皇子が、初め高尾に住み、のち荒木の地に居住したという伝えがあり、死後その子湯原王や、のちに光仁天皇となった白壁王が創建したという田原天皇社(現在は大宮神社に合 ...
24. あわじのみささぎ【淡路陵】 : 淳仁天皇
国史大辞典
いう。『続日本紀』によると、淳仁天皇は淡路公としてこの地にあること一年余にして俄に没したが、光仁天皇は宝亀三年(七七二)墓を改葬し、仏事を修して慰霊につとめ、さ ...
25. あわたの-ふかみ【粟田深見】
日本人名大辞典
明皇太后の周忌斎会に奉仕し従四位下となる。のち無位におとされていたためか,宝亀(ほうき)3年光仁天皇によりもとの位にもどされた。名は深身ともかく。 ...
26. いおいのじょおう【五百井女王】
日本人名大辞典
?−817 奈良-平安時代前期,市原王の王女。母は光仁天皇の皇女能登(のと)女王。嵯峨天皇のころ,尚侍(ないしのかみ)をつとめる。天応元年従四位下となり,弘仁( ...
27. いおえのおう【五百枝王】
日本人名大辞典
760−829/830* 平安時代前期の公卿(くぎょう)。天平宝字(てんぴょうほうじ)4年生まれ。光仁天皇の皇孫。市原王と能登女王の王子。延暦(えんりゃく)4年 ...
28. 井上内親王
世界大百科事典
717-775(養老1-宝亀6) 光仁天皇の皇后。井上は〈いのうえ〉〈いのえ〉と称する説もある。父は聖武天皇,母は夫人県犬養広刀自。不破内親王,安積親王の同母姉 ...
29. いかみないしんのう【井上内親王】
日本架空伝承人名事典
光仁天皇の皇后。井上は「いのうえ」「いのえ」と称する説もある。父は聖武天皇、母は夫人県犬養広刀自。不破内親王、安積親王の同母姉。七二一年(養老五)五歳で斎内親王 ...
30. い・ける【生・活・埋】
日本国語大辞典
775〕「いけて置やつでは無いと五両とり」*小学読本〔1874〕〈榊原・那珂・稲垣〉四「翌年光仁天皇御即位有りて道鏡をば命計をいけて下野国の薬師寺を造る別当にせ ...
31. いしかわぐん【石川郡】石川県
日本歴史地名大系
と思われ、現野々市町の末松廃寺の創建者を道君とする説もある。弘仁九年三月二七日に酒人内親王(光仁天皇皇女)は朝原内親王(桓武天皇皇女)の遺領横江庄を奈良東大寺に ...
32. いしかわのなたり【石川名足】
国史大辞典
奈良時代後期の貴族。年足の子。天平宝字五年(七六一)正月従五位下に叙し、父と同じく地方官を歴任した後、ことに光仁天皇即位以後京官として昇進し、延暦七年(七八八) ...
33. いせじんぐう【伊勢神宮】三重県:伊勢市
日本歴史地名大系
多気町)が伊勢大神宮寺と定められた。翌年には初めて禰宜に季禄が与えられた。宝亀元年(七七〇)光仁天皇が即位すると仏教政治に対する反動として、瑞雲を報じた宮司管生 ...
34. 石上宅嗣
世界大百科事典
経て,765年(天平神護1)には参議となった。770年(宝亀1)に称徳天皇が没した際は,藤原氏とともに光仁天皇の擁立に動いた。光仁朝では大宰帥,中納言,中務卿, ...
35. 石上宅嗣
図書館情報学用語辞典
除く藤原良継らの企てに参画したが,良継が一人責めを負い宅嗣らは罪を免れた.後参議を兼ねて式部卿,光仁天皇擁立に参画.その後中務卿兼中納言となり,この頃皇太子傅, ...
36. いちしのおう【壱志濃王】
日本人名大辞典
天平(てんぴょう)5年生まれ。施基(しきの)皇子の孫。湯原親王の次男。延暦(えんりゃく)元年光仁天皇の改葬地の選定にくわわる。6年参議,12年平安遷都を賀茂大神 ...
37. いちはらおう【市原王】画像
国史大辞典
父は安貴王、祖父は春日王。三代続いて『万葉集』に歌を残し、大伴家持との親交が想像されている。妃は光仁天皇の女能登内親王。その間に五百井女王と五百枝王が生まれた。 ...
38. 市原王
世界大百科事典
奈良時代の皇族。生没年不詳。天智天皇の後裔,阿(安)貴王の子。光仁天皇の女能登内親王を妻とし,五百井女王,五百枝王の2子がある。皇后宮職舎人から写経司長官,玄蕃 ...
39. いなばのくに【因幡国】鳥取県
日本歴史地名大系
女にまで絹が与えられた(「日本書紀」同年一一月三〇日条)。以後孝謙天皇即位時の天平勝宝元年、光仁天皇即位時の宝亀二年にも当国は大嘗祭の悠紀国あるいは主基国に卜定 ...
40. いのうえないしんのう【井上内親王】
国史大辞典
七一七―七五 光仁天皇の皇后。聖武天皇の皇女。母は県犬養宿禰広刀自。養老五年(七二一)斎内親王に卜定され、神亀四年(七二七)伊勢大神宮に侍した。のち白壁王(光 ...
41. いばらきむら【茨木村】大阪府:茨木市地図
日本歴史地名大系
承を記した寛元元年(一二四三)五月二一日の奥書をもつ沙弥心空筆勝尾寺古流記(勝尾寺文書)に、光仁天皇施入七ヵ村の一として「蕀切」がみえ、室町時代初期頃の勝尾寺田 ...
42. うげむら【有家村】岩手県:九戸郡/種市町
日本歴史地名大系
境に中野村、東は太平洋に面し、西は大野村(現大野村)。浜街道が通る。北に枝村の小子内村がある。光仁天皇の頃藤原有家なる者が流され、主従一二四人と船で階上浦に上陸 ...
43. 宇佐神宮
世界大百科事典
が造られ,738年現境内地に移った。766年(天平神護2)には比咩神宮寺が建てられた。また,光仁天皇は護国霊験威力神通大菩薩の号を贈った。由原宮は僧金亀により豊 ...
44. うさじんぐう【宇佐神宮】画像
国史大辞典
この事件により比〓神宮寺ができ、光仁天皇は護国霊験威力神通大菩薩の神号を贈り、嵯峨天皇は詔により大帯姫神社を造らしめた。天長四年(八 ...
45. 宇治拾遺物語 406ページ
日本古典文学全集
天文・暦法、音楽、孫子・呉子の兵法をも修めたという(宮田俊彦『吉備真備』)。聖武、孝謙(称徳)、光仁天皇らに登用された。称徳天皇の天平神護二年(七六六)十月、右 ...
46. うちりょう【宇智陵】奈良県:五條市/御山村
日本歴史地名大系
[現]五條市御山町 御山町西南部に所在。光仁天皇皇后井上内親王陵。井上内親王は「続日本紀」宝亀三年(七七二)三月二日条に「皇后井上内親王坐巫蠱廃」とあり、天皇を ...
47. うなたりにいますたかみむすびじんじゃ【宇奈多理坐高御魂神社】奈良県:奈良市/佐保・佐紀地区/法華寺村
日本歴史地名大系
楊梅とも桜梅ともいわれた。中世にも法華寺の前に桜梅の地名が確認できる(東大寺続要録)。付近は光仁天皇の楊梅宮(東院)跡と推定され、当社南接地から楊梅宮に関係があ ...
48. 江戸繁昌記 2 263ページ
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)奇孕珍らしい妊娠。孕は物をふくんでふくらむ貌(三)桓武第五〇代の天皇。柏原天皇とも称する。光仁天皇の皇子。天応元年即位。延暦十三年都を山城宇多に移して平安京と ...
49. 江戸繁昌記 3 83ページ
東洋文庫
諸藩が再興、明治維新後に廃絶した (6)桓武帝 第五〇代の天皇。名は山部(やまべ)。柏原天皇とも称す。光仁天皇の皇子。天応元年即位。坂上田村麻呂を征夷大将軍とし ...
50. えのいのしんのう【榎井親王】
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どべのおう)宅で宴をもよおしたとき,あとから和した歌が「万葉集」巻6におさめられている。兄の光仁天皇の即位とともに親王になったとされる。 ...
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