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  11. 桓武天皇
国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

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国史大辞典
桓武天皇
かんむてんのう
七三七 - 八〇六
七八一―八〇六在位。天平九年(七三七)天智天皇の孫の白壁王(光仁天皇)の長子として誕生。母は高野新笠。諱は山部。乳母の山部子虫の姓氏によったと考えられる。天平宝字八年(七六四)十月、従五位下を授けられ、天平神護二年(七六六)十一月、従五位上となり、宝亀元年(七七〇)八月、大学頭として従四位下を授けられ、侍従に任ぜられた。同年八月四日、父の白壁王が皇太子になり、十月に即位したので、十一月六日、親王となり、四品を授けられた。同二年三月、中務卿となり、同四年正月二日、皇太子となった。時に三十七歳。前年五月、皇太子他戸親王が廃されたあとを受けたことによる。天応元年(七八一)、父の光仁天皇が病にたおれ、四月三日、四十五歳で践祚。翌二年閏正月、氷上川継の謀反事件が起り政局が不安であったのに加えて、この年、凶作に見舞われ、疫病が流行して世情は不穏となり、同年八月、延暦と改元した。延暦三年(七八四)、長岡に遷都したが、翌年、天皇の寵臣藤原種継が射殺され、皇太子早良親王が廃される事件にまで発展する。早良親王にかわって皇太子に十二歳の安殿親王(平城天皇)がなった。以後、天皇は淡路に移送される途中で死んだ早良親王の怨霊を恐れ、同十二年、平安遷都を決定し、翌年十月、新京に移った。平安遷都を決定した年の八月、佐伯成人が謀殺された事件が起り、成人を殺した山辺春日らの追捕にあたって、「帝大怒募〓求天下〓」させたといい、またこの事件は『類聚国史』によれば、「春日等承〓皇太子密旨〓」たことによるともいわれる。皇太子側の勢力との暗闘がひきつづいて存在していたことをうかがわせる。延暦十六年以降、廃太子早良親王の霊への鎮謝がしきりに行われ、同十九年七月、早良親王へ崇道天皇の名を贈った。同二十三年八月、大暴風雨によって中院西楼が倒壊した時、牛が打死した。天皇は生年が丑であったため、牛の死を恐れ「朕不〓利歟」と歎じた。天皇は牛が殺されたり死んだりするのを特に恐れ、延暦十年・二十年に殺牛祭神の民間信仰を禁止したのもそれにもとづく。同二十四年十二月、参議の藤原緒嗣と菅野真道とに天下徳政のことについて相論させたが、その際緒嗣は「方今天下所〓苦、軍事与〓造作〓也、停〓此両事〓、百姓安〓之」と論じ、真道はこれに異議をさしはさんだ。天皇は緒嗣の意見を採用して、軍事と造作とを停廃した。軍事は蝦夷征討をさすが、天皇の治世の間に三回の蝦夷征討と、一回の征討準備が行われた。延暦二十三年には四回目の蝦夷征討の準備が行われ、坂上田村麻呂が再度征夷大将軍に起用されたが、天皇は緒嗣の意見によって征討を中止させた。造作は平安新京の建設であるが、同二十四年の段階に至ってもなお「営造未〓已、黎民或〓弊」といった状態であった。緒嗣の意見を入れた天皇はただちに造宮職を廃止させた。桓武朝の二大事業であった軍事と造作とを停廃した前年の暮から天皇は病に罹り、大同元年(八〇六)三月十七日崩御。七十歳。同年四月山城国紀伊郡柏原山陵に葬られたが、十月柏原陵に改葬された。陵墓の名により柏原天皇ともよばれる。
[参考文献]
村尾次郎『桓武天皇』(『人物叢書』一一二)、佐伯有清「新撰姓氏録編纂の時代的背景」(『新撰姓氏録の研究』研究篇所収)
(佐伯 有清)

柏原陵(かしわばらのみささぎ)

 京都市伏見区桃山町永井久太郎にあり、陵形は扁平な円丘で周囲は方形に区画されている。『日本後紀』によると、陵所ははじめ山城国葛野郡宇多野の地に定められたが、災異が相ついだのでその地をさけ、大同元年(八〇六)四月七日同国紀伊郡の柏原山陵に葬ったが、『類聚国史』によると、さらにこの年十月十一日に柏原陵に改葬した。『延喜式』諸陵寮の制は「兆域東八町、西三町、南五町、北六町、加〓丑寅角二岑一谷〓、守戸五烟」とあって、広大な陵域を占め、永世不除の近陵として歴朝の厚く崇敬するところであった。『仁部記』によると、文永十一年(一二七四)陵が賊に発かれた際に、使を遣わしてその状況を検分せしめたが、そのときの報告書に「抑件山陵登十許丈、壇廻八十余丈」とあって、その規模を窺うことができる。しかし、のち所伝を失い、豊臣秀吉の伏見城築造の際にその郭内に入ったため陵址はさらに不明となった。元禄年間(一六八八―一七〇四)以降、山陵の研究家は陵所の探索につとめ、深草・伏見の間に陵所を求めて種々なる説が行われたが、幕末の修陵の際にもついに定説を得るに至らなかった。明治十三年(一八八〇)に谷森善臣の考証にもとづいて現陵を陵所と定め、修治を加えた。
[参考文献]
戸田通元『柏原山陵考略』、津久井清影『柏原聖蹟考』、谷森善臣『柏原山陵考』、上野竹次郎『山陵』上
(戸原 純一)


日本大百科全書(ニッポニカ)
桓武天皇
かんむてんのう
[737―806]

日本古代の天皇(在位781~806)。父は天智(てんじ)天皇の孫光仁(こうにん)天皇、母は百済(くだら)系渡来氏族の出の高野新笠(たかののにいがさ)。諱(いみな)は山部(やまべ)。その資質を見抜いた藤原百川(ももかわ)の策謀により、773年(宝亀4)皇太子となり、781年(天応1)45歳で即位した。
 784年(延暦3)には、それまでの平城京から、山背(やましろ)国(京都府)の長岡京への遷都を断行した。翌年、遷都と絡んで、造営の中心人物藤原種継(たねつぐ)が暗殺され、皇太弟早良(さわら)親王が廃位され死亡する事件があった。その後、親王の怨霊(おんりょう)の所為とされる近親の死亡が相次いだため、794年には同じ山背の葛野(かどの)に遷都、平安京と命名した。天皇は他方、蝦夷(えみし)の抵抗を圧服して東北地方の支配を進め、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を起用、802年には胆沢(いさわ)城(岩手県)を築き、その平定に成功した。天皇はまた、地方政治に意を用い、国司・郡司に対する監督を強化し、国司交替の円滑化を図って勘解由使(かげゆし)を置き、また交替式を定めた。班田を励行させ、辺要の地を除いて兵士を廃止して健児(こんでい)を置き、出挙(すいこ)の利率や雑徭(ぞうよう)の日数を軽減して農民の負担を省いたが、造都と征夷の二大事業には惜しみなく人民の労力と国家の財力とを投入した。天皇は貴族勢力を抑えて国政を主導し、政局の転換に成功したが、晩年その政策は行き詰まり、805年、藤原緒嗣(おつぐ)の建議によって造都・征夷の事業を中止、翌年70歳で没し、山城国紀伊郡(京都市伏見(ふしみ)区)の柏原(かしわばら)山陵に葬られた。
[笹山晴生]



世界大百科事典
桓武天皇
かんむてんのう
737-806(天平9-大同1)

第50代に数えられる天皇。在位781-806年。光仁天皇を父とし,高野新笠を母として生まれ,名を山部(やまべ)王といった。父は天智天皇の孫,施基(しき)皇子の子で白壁(しらかべ)王といい,天武系皇統の世に官人として仕え,大納言に昇ったが,770年(宝亀1)称徳天皇が没したとき,62歳で皇位を継承した。光仁天皇には皇后井上(いかみ)内親王との子とする他戸(おさべ)親王があり,これが皇太子に立てられた。渡来人系の卑母から生まれた山部王は親王として中務卿となっていたが,772年井上皇后と他戸皇太子が位を追われ,非業の死をとげる事件が起こり,代わって山部親王が37歳で皇太子に立てられ,781年(天応1)即位した。ここに至るまでには,藤原氏の永手(ながて)・百川(ももかわ)らの策動があったとされる。桓武朝は奈良時代後期のたびかさなる権力闘争や過度の崇仏などによる政治的混乱,および班田制の矛盾や国司の不正などによる社会不安に直面していたが,天皇は気力,体力ともにすぐれ,また壮年に至るまでの官人としての豊富な体験をもち,治世の間,左大臣を置くことなく,みずから強力に政治を指導し,独裁的権力を行使した。この点歴代天皇の中でも異色の存在である。

 在位の間における最大の事業は平城京からの遷都と蝦夷の征討である。前者はまず784年(延暦3)6月長岡京造営工事をはじめ,11月遷都を行ったが,翌年この事業を推進していた藤原種継が暗殺され,しかも皇太弟早良(さわら)親王が連座して廃され,淡路国へ流される途中死ぬという事件によって,計画の進行がいちじるしく妨げられた。そこで天皇は793年山背国葛野郡宇太村の地を選んで造営工事をはじめ,翌年11月これを〈平安京〉と名付け遷都した。その後も和気清麻呂らを中心に造営事業が続けられた。次に後者は,光仁朝末期の780年(宝亀11)陸奥国上治郡の大領伊治呰麻呂(いじのあざまろ)が反乱を起こして以来,大伴家持,紀古佐美(きのこさみ)らに率いられる征討軍は鎮定の功をあげることができず,ことに789年には蝦夷の将阿弖流為(あてるい)のために1000人余の死者を出して大敗するありさまであった。しかし天皇は渡来人系の坂上田村麻呂を抜擢して征夷大将軍とし,その巧妙な戦略によって801年(延暦20)奥地の胆沢地方まで平定できた。平安京の建設と蝦夷征討の後世に及ぼした影響は大きいが,両者に要した巨額の費用は財政を圧迫し,ひいては民生の窮乏を招き,さらに早良親王の怨霊の祟りによって皇后藤原乙牟漏(おとむろ)の死や皇太子安殿(あて)親王(のちの平城天皇)の病気が起こるなど,桓武朝後半には暗い社会情勢がつのった。そこで天皇は800年早良親王に崇道天皇の号を贈り,井上内親王をも皇后位に復するなど怨霊の慰撫につとめ,また805年参議藤原緒嗣の意見を用いて造都,征夷の両事業を停止した。桓武天皇は渡来人の血をひくため中国文化に心酔し,また鷹狩を愛し,後宮も盛大をきわめるなど,古代帝王的面目を発揮した。その子平城・嵯峨・淳和天皇がつづいて皇位を継承し,葛原(かつらはら)親王の子孫は桓武平氏として栄えた。陵は柏原陵(京都市伏見区桃山町)。
[目崎 徳衛]

[索引語]
光仁天皇 山部(やまべ)王 白壁(しらかべ)王 他戸(おさべ)親王 井上皇后 蝦夷 早良(さわら)親王 阿弖流為 崇道天皇
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検索コンテンツ
1. 桓武天皇
日本大百科全書
日本古代の天皇(在位781~806)。父は天智(てんじ)天皇の孫光仁(こうにん)天皇、母は百済(くだら)系渡来氏族の出の高野新笠(たかののにいがさ)。諱(いみな ...
2. 桓武天皇
世界大百科事典
も皇后位に復するなど怨霊の慰撫につとめ,また805年参議藤原緒嗣の意見を用いて造都,征夷の両事業を停止した。桓武天皇は渡来人の血をひくため中国文化に心酔し,また ...
3. かんむ‐てんのう[クヮンムテンワウ]【桓武天皇】
日本国語大辞典
第五〇代天皇。光仁天皇の皇子。諱は山部。天応元年(七八一)即位し、在位二五年。平城京から長岡京に、ついで延暦一三年(七九四)平安京に遷都。坂上田村麻呂による東北 ...
4. かんむてんのう【桓武天皇】
国史大辞典
れたが、十月柏原陵に改葬された。陵墓の名により柏原天皇ともよばれる。 [参考文献]村尾次郎『桓武天皇』(『人物叢書』一一二)、佐伯有清「新撰姓氏録編纂の時代的背 ...
5. 桓武天皇(かんむてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 16ページ ...
6. かんむてんのう【桓武天皇】
日本人名大辞典
737−806 奈良-平安時代前期,第50代天皇。在位781-806。天平(てんぴょう)9年生まれ。光仁天皇の第1皇子。母は高野新笠。父の譲位で,天応元年即位。 ...
7. 桓武天皇[文献目録]
日本人物文献目録
明久『桓武天皇の境涯』佐伯有清『桓武天皇の教界革新と伝教大師』辻善之助『桓武天皇の治政における律令財政の実態 不三得七と賑給を中心として』村尾次郎『桓武天皇の梵 ...
8. 山部親王・桓武天皇
日本史年表
病により譲位. 山部親王(桓武天皇) 即位(続紀)。 794年〈延暦13 甲戌〉 10・22 天皇 、新京に移る(紀略)。 806年〈大同元(5・18) 丙戌⑥ ...
9. 伐桓武天皇山陵木 (見出し語:桓武天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1061ページ ...
10. 桓武天皇即位 (見出し語:桓武天皇)
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11. 桓武天皇國忌 (見出し語:桓武天皇)
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12. 桓武天皇山陵 (見出し語:桓武天皇)
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13. 桓武天皇山陵新國 (見出し語:桓武天皇)
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14. 桓武天皇祀天神於交野 (見出し語:桓武天皇)
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15. 桓武天皇羅城門造營逸話 (見出し語:桓武天皇)
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16. 桓武天皇諡 (見出し語:桓武天皇)
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17. 桓武天皇遷都於平安 (見出し語:桓武天皇)
古事類苑
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18. 祀桓武天皇於平安神宮 (見出し語:桓武天皇)
古事類苑
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19. かんむてんのうかしはらのりょう【桓武天皇柏原陵】京都市:伏見区/堀内村地図
日本歴史地名大系
「柏原陵平安宮御宇桓武天皇在山城国紀伊郡、兆或東八町、西三町、南五町、北六町加丑寅角二岑一谷守戸五烟、」とある。しかるに「帝王編年記」には、「四月七日、奉葬天皇 ...
20. かんむてんのうこうごうりょう【桓武天皇皇后陵】京都府:向日市/寺戸村
日本歴史地名大系
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21. 桓武天皇法楽和歌(著作ID:4379175)
新日本古典籍データベース
かんむてんのうほうらくわか 和歌 嘉永四 ...
22. あおのかりみやあと【阿保頓宮跡】三重県:名賀郡/青山町/阿保村
日本歴史地名大系
通って斎王群行があったと推定されるが確証がない。奈良遷都以降南伊賀はもっぱら斎王の退下に用いられた。桓武天皇崩御による布勢内親王退下に関して「日本後紀」大同元年 ...
23. あおはかむら【青墓村】岐阜県:大垣市/旧多藝郡・不破郡地区
日本歴史地名大系
とあるのは、この神社をさすと思われる(「大垣市史」青墓篇)。白髭神社は円興寺の縁起によれば、桓武天皇の時代に最澄が当地に巡錫した時、仏堂を建立したという。天台宗 ...
24. あかなべのしょう【茜部庄】岐阜県:岐阜市/旧厚見郡地区
日本歴史地名大系
に収録されているものは、所蔵先・集合文書名・所収書物名を省略。〔成立〕もと桓武天皇の勅旨田。弘仁九年(八一八)桓武天皇皇女朝原内親王の遺言により、母酒人内親王か ...
25. 茜部荘
日本大百科全書
ちょくしでん)であったが、809年(大同4)立券荘号(りっけんしょうごう)して厚見荘と号し、桓武天皇の皇女朝原内親王に譲られ、818年(弘仁9)その遺言によって ...
26. あかなべのしょう【茜部荘】
国史大辞典
現在の岐阜市南部の茜部を中心とした地域。はじめは厚見荘といった。もと桓武天皇の勅旨田で、大同四年(八〇九)二月二十一日立券荘号。桓武天皇から皇女朝原内親王に譲ら ...
27. あきしの‐でら【秋篠寺】
日本国語大辞典
次いで真言宗、浄土宗西山派に属した。現在は単立宗教法人。宝亀一一年(七八〇)善珠が開創。光仁、桓武天皇の勅願所。国宝の本堂を残すのみだが、伎芸天、帝釈天の立像を ...
28. あきしのでら【秋篠寺】
国史大辞典
、同二十四年には桓武天皇の勅命により善珠の弟子常楼が当寺に移り、七堂伽藍が整備したものと思われる。桓武天皇の五七日の斎会が、特に当寺と大安寺で祈修されたことは、 ...
29. 秋篠安人
世界大百科事典
をへて,805年桓武天皇病のおり菅野真道とともに参議に任じられ,ついで右大弁。806年(大同1)神野親王(のちの嵯峨天皇)の春宮大夫,また北陸道観察使,左大弁と ...
30. 排蘆小船(近世随想集) 296ページ
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31. 排蘆小船(近世随想集) 366ページ
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道の心はなし。神の道、歌の道など云は、文字来て後に道の字につきて云事也」。第五十二代の天皇。桓武天皇の第二皇子。母は藤原良継の女乙牟漏。承和九年没、五七歳。平安 ...
32. あだのはか【阿〓墓】 : 藤原良継
国史大辞典
墓(あだのはか)  所在は不明。良継は桓武天皇皇后乙牟漏の父、平城・嵯峨両天皇の外祖父にあたる。平城天皇の即位に際し太政大臣を追贈され、墓は頒幣の例に入った ...
33. あつみのしょう【厚見荘】
国史大辞典
美濃国厚見郡茜部の荘園。現在の岐阜市茜部を中心とする地域。茜部荘の前身。桓武天皇の勅願によって開かれ、大同四年(八〇九)立券荘号して厚見荘となる。桓武天皇の皇女 ...
34. 安殿親王・平城天皇・平城上皇
日本史年表
使を淡路国に派遣してその霊に謝す(紀略)。 806年〈大同元(5・18) 丙戌⑥〉 3・17 桓武天皇 没し、 安殿親王(平城天皇) 践祚(後紀)。 806年〈 ...
35. あべの-こみな【安倍子美奈】
日本人名大辞典
安倍粳虫(ぬかむし)の娘。藤原良継(よしつぐ)の妻。天平宝字(てんぴょうほうじ)4年藤原乙牟漏(おとむろ)(桓武天皇の皇后)を生む。延暦(えんりゃく)3年10月 ...
36. あぼしんのう【安保親王】
国史大辞典
性謙退で才文武を兼ね、膂力あり、絃歌に妙を得ていたという。密告の功によって一品を追贈された。桓武天皇の皇女伊都内親王との間に第五子在原業平があり、また大江音人・ ...
37. 愛発関
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38. あらちのせき【愛発関】
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39. あらちのせきあと【愛発関跡】福井県:敦賀市/疋田村
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る時三関を閉じる固関が行われ、のち儀式化した。三関は前述したように延暦八年停廃されているが、桓武天皇の没した大同元年(八〇六)三月一七日には「日本後紀」同日条に ...
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前者はそれより以前に、高丘親王の子善淵・安貞らに賜姓があった(『三代実録』元慶四年(八八〇)五月二十八日条)。桓武天皇の嫡流にもかかわらず、薬子の変および承和の ...
41. ありはらのなりひら【在原業平】
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42. ありはらのなりひら【在原業平】
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825-880(天長2-元慶4) 平安初期の歌人。六歌仙,三十六歌仙の一人。平城天皇の皇子阿保親王の五男。母は桓武天皇の皇女伊登内親王。826年,阿保親王の上表 ...
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平安初期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の一人。平城天皇の皇子阿保親王の五男。母は桓武天皇の皇女伊登内親王。八二六年、阿保親王の上表によってその子仲平・行平・業平らに ...
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46. あん‐ちん【安鎮】
日本国語大辞典
国、家などが安らかにしずまること、また、安らかにしずめること。*東宝記〔1352〕「或記云、桓武天皇御宇延暦十三年〈甲戌〉平安城遷都。同十五年〈丙子〉〈略〉建 ...
47. あんようじ【安養寺】京都市:東山区/粟田口村/南畑地図
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阿弥陀三尊立像(「都名所図会」は安阿弥作と伝える)。寺伝によれば、延暦年間(七八二―八〇六)桓武天皇の勅命により最澄が創建し、その後良源が止住したとする。〈京都 ...
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安置して大宝元年(七〇一)に創立されたという。延暦年中(七八二―八〇六)火災によって伽藍が失われ、桓武天皇によって再建された。長寛年中(一一六三―六五)再び焼失 ...
49. いけだじんじゃ【伊居太神社】大阪府:池田市/池田村地図
日本歴史地名大系
呉織の社を秦下社と称したのが当社の始まりという。その後も代々天皇の崇敬を受け、延暦四年(七八五)には桓武天皇の勅により社殿が再建され、応神・仁徳両天皇が相殿とし ...
50. いしかわぐん【石川郡】石川県
日本歴史地名大系
現野々市町の末松廃寺の創建者を道君とする説もある。弘仁九年三月二七日に酒人内親王(光仁天皇皇女)は朝原内親王(桓武天皇皇女)の遺領横江庄を奈良東大寺に施入してい ...
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三条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇一一―一六在位。貞元元年(九七六)正月三日、冷泉天皇の第二皇子として誕生。母は藤原兼家の女超子。諱は居貞。天元元年(九七八)十一月二十日、親王宣下。寛和二年(九八六)七月十六日、十一歳で兼家の南院第において元服。同日、立太子
花山天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
九八四―八六在位。諱は師貞(もろさだ)。出家ののち入覚と号した。冷泉天皇の第一皇子、母は太政大臣(一条摂政)藤原伊尹の女の女御懐子。安和元年(九六八)十月二十六日誕生、同二年八月十三日立太子、永観二年(九八四)八月二十七日叔父円融天皇
円融天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
九六九―八四在位。諱は守平。天徳三年(九五九)三月二日村上天皇の第五皇子として生まる。母は藤原師輔の女安子。康保四年(九六七)九月一日、同母兄冷泉天皇の皇太弟となり、安和二年(九六九)八月十三日受禅、同九月二十三日即位。永観二年(九八四)
冷泉天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
第63代天皇(在位967~969)。村上(むらかみ)天皇第二皇子。母は藤原師輔(もろすけ)の娘安子。諱(いみな)は憲平(のりひら)。藤原元方(もとかた)の娘元子の生んだ広平親王を越えて皇太子となったので、元方は落胆のあまり病死し、天皇が物の怪
村上天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第62代天皇(在位946~967)。醍醐(だいご)天皇第14皇子。名は成明(なりあき)、母は太政(だいじょう)大臣藤原基経(もとつね)の女(むすめ)穏子(おんし)。朱雀(すざく)天皇の同母弟。944年(天慶7)19歳で皇太子となり、946年禅を受け即位
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