1. 安殿親王・平城天皇・平城上皇
日本史年表
桓武天皇 没し、 安殿親王(平城天皇) 践祚(後紀)。 806年〈大同元(5・18) 丙戌⑥〉 5・18 平城天皇 即位(後紀)。 809年〈大同4 己丑②〉 ...
2. 平城天皇
日本大百科全書
第51代とされる天皇(在位806~809)。名は安殿(あて)。桓武(かんむ)天皇の長子。母は皇后藤原乙牟漏(おとむろ)。785年(延暦4)皇太弟早良(さわら)親 ...
3. 平城天皇
世界大百科事典
774-824(宝亀5-天長1) 第51代に数えられる平安初期の天皇。在位806-809年。名は安殿(あて)。桓武天皇を父とし,藤原良継の女皇后乙牟漏(おとむろ ...
4. へいぜい‐てんのう[‥テンワウ]【平城天皇】
日本国語大辞典
第五一代天皇。桓武天皇第一皇子。名は安殿(あて)。母は皇后藤原乙牟漏(おとむろ)。在位中(八〇六~八〇九)は政治の刷新に努めたが、病弱のため嵯峨天皇に譲位。のち ...
5. へいぜいてんのう【平城天皇】
国史大辞典
弘仁元年(八一〇)九月挙兵したが成功せず薙髪。天長元年(八二四)七月七日崩御。五十一歳。一に奈良の帝ともいう。平城天皇は造都と征夷のために、財政的に弛緩した桓武 ...
6. 平城天皇(へいぜいてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 16ページ ...
7. へいぜいてんのう【平城天皇】
日本人名大辞典
774−824 平安時代前期,第51代天皇。在位806-809。宝亀(ほうき)5年8月15日生まれ。桓武(かんむ)天皇の第1皇子。母は藤原乙牟漏(おとむろ)。参 ...
8. 平城天皇國忌 (見出し語:平城天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1268ページ ...
9. 平城天皇山陵 (見出し語:平城天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 990ページ ...
10. 平城天皇稱二奈良天皇一 (見出し語:平城天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 940ページ ...
11. 平城天皇諱 (見出し語:平城天皇)
古事類苑
姓名部 洋巻 第1巻 601ページ ...
12. 平城天皇諡 (見出し語:平城天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 919ページ ...
13. へいじょうてんのう【平城天皇】
日本人名大辞典
⇒へいぜいてんのう ...
14. 日本漢詩集
日本古典文学全集
4世紀ごろより中国から入ってきた漢籍を訓読によって日本語化し、さらには本家に倣って「漢詩」をつくるようになる。飛鳥時代の大友皇子や大津皇子にはじまり、平安期には ...
15. 平城天皇灌頂文(著作ID:1049021)
新日本古典籍データベース
へいぜいてんのうかんじょうもん 大和尚奉為平安城太上天皇灌頂文 奉為平城太上天皇灌頂文 空海(くうかい) 真言 弘仁一三 ...
16. あおむら【阿保村】大阪府:松原市地図
日本歴史地名大系
書)の長尾街道が東西に通り、西部を道幅九尺(妻屋家文書)の中高野街道が南北に通じる。地名は、平城天皇第二皇子阿保親王が、薬子の変に関係した疑いで大宰権帥に左遷さ ...
17. あきしのでら【秋篠寺】
国史大辞典
でに置かれ、同十六年四月に没した法相宗の碩学、興福寺の善珠は晩年当寺に移り、生前安殿皇太子(平城天皇)の病悩回復を祈修し、没後皇太子は善珠の画像を当寺に安置した ...
18. あさまつりごと【朝政】
国史大辞典
い。官庁の早朝執務は『十七条憲法』を始め、常に強調されるところであるが、『続古事談』一には、平城天皇朝までは「朝マツリゴト」があって天皇が早朝出御して訴を聞いた ...
19. あしやのしょう【葦屋荘】
国史大辞典
摂津国菟原郡葦屋郷の荘園。現在の兵庫県芦屋市付近を中心とする地域。平安時代初期平城天皇の皇子阿保親王の所領であったとも伝えるが不詳。もと院司藤原長方の伝領地で ...
20. あだのはか【阿
墓】 : 藤原良継
国史大辞典
墓(あだのはか) 所在は不明。良継は桓武天皇皇后乙牟漏の父、平城・嵯峨両天皇の外祖父にあたる。平城天皇の即位に際し太政大臣を追贈され、墓は頒幣の例に入った。『 ...
21. あべのまなお【安倍真直】
国史大辞典
平安時代前期の学者、『大同類聚方』の撰者の一人。左京の人。大同元年(八〇六)阿倍朝臣の姓を賜わった。平城天皇の勅命を受けて、出雲広貞らとともに、本邦の民間に伝承 ...
22. あぼしんのう【安保親王】
国史大辞典
七九二―八四二 平城天皇の第一皇子。母は更衣とみられる葛井宿禰藤子。弘仁元年(八一〇)九月、薬子の変に連坐して大宰権帥に貶され、天長元年(八二四)父上皇の崩後 ...
23. 阿保親王
世界大百科事典
792-842(延暦11-承和9) 平安前期の皇族。平城天皇の第1皇子。在原行平・業平,大江音人らの父。810年(弘仁1)父上皇をめぐって起こった薬子の変によっ ...
24. あぼ‐しんのう[‥シンワウ]【阿保親王】
日本国語大辞典
平城天皇の皇子。薬子(くすこ)の変に関係して一時、大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷。天長三年(八二六)上奏して、子行平、業平などに在原姓を与えられた。延暦一 ...
25. あぼしんのうづかこふん【阿保親王塚古墳】兵庫県:芦屋市/打出村
日本歴史地名大系
[現]芦屋市翠ヶ丘町 JR芦屋駅北東約一キロ、宮川左岸の翠ヶ丘台地に位置。標高二八メートル。平城天皇の皇子阿保親王の墓と伝え現在は宮内庁の管理下にあるが、四世紀 ...
26. ありだぐん【有田郡】
国史大辞典
有田川が流れている。現在西北部の一部は有田市域となっている。古くは阿提(あて)郡と称したが、大同元年(八〇六)平城天皇(安殿親王)の諱にわたる故をもって在田郡と ...
27. ありだぐん【有田郡】和歌山県
日本歴史地名大系
の字が用いられたが、大同元年(八〇六)七月七日、時の平城天皇の名「安殿」に近いことから、「在田郡」と改められた(日本後紀)。中世以来、「有田」の文字を混用する ...
28. ありはらうじ【在原氏】画像
国史大辞典
平安時代初期の皇親賜姓の例で、平城天皇を祖とする。在原朝臣は高丘親王系と阿保親王系に分かれる。後者は天長三年(八二六)、阿保親王の上表によって、その子仲平・行 ...
29. 在原氏 系図[図版]画像
国史大辞典
平城天皇 高丘親王 善淵 安貞 音人 (大江氏) 仲平 遠瞻 行平 友于 守平 女子 (清和更衣) 阿保親王 業平 棟梁 元方 師尚 (高階氏) 滋春 (c)Y ...
30. ありはらのなりひら【在原業平】
全文全訳古語辞典
[人名]平安前期の歌人。八二五年(天長二)~八八〇年(元慶四)。六歌仙の一人。平城天皇の第三皇子阿保親王の五子。母は桓武天皇の皇女、伊都内親王。兄の行平とともに ...
31. ありはらのなりひら【在原業平】
国史大辞典
八二五―八〇 平安時代前期の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。在五中将・在五などと称された。平城天皇の皇子阿保親王の子。母は桓武天皇の皇女伊都内親王。天長二年( ...
32. ありはらのゆきひら【在原行平】
国史大辞典
八一八―九三 平安時代前期の公卿。平城天皇の皇子阿保親王の子。母は伊都内親王とされるが、疑問がある。天長三年(八二六)弟業平らとともに在原朝臣の姓を賜わり、承 ...
33. ありわら[ありはら]【在原】
日本国語大辞典
家名(姓氏)の一つ。「尊卑分脈」によると、平城天皇の皇子、阿保親王の嫡子本主が、土師(はじ)、ついで大枝朝臣姓(のちに大江)を賜り、嫡子の本主以外の行平、守平、 ...
34. 在原氏画像
日本大百科全書
平城天皇(へいぜいてんのう)の皇胤(こういん)。高岳親王(たかおかしんのう)の系統と阿保親王(あぼしんのう)の系統との2流に分かれる。薬子(くすこ)の変(810 ...
35. 在原氏
世界大百科事典
平安時代の氏族。平城天皇を祖とする。平城上皇をめぐって810年(弘仁1)に起こった〈薬子の変〉によって皇太子の地位を追われた高岳(丘)親王の子善淵王・安貞王が, ...
36. 在原業平
世界大百科事典
825-880(天長2-元慶4) 平安初期の歌人。六歌仙,三十六歌仙の一人。平城天皇の皇子阿保親王の五男。母は桓武天皇の皇女伊登内親王。826年,阿保親王の上表 ...
37. ありわらのなりひら【在原業平】
日本架空伝承人名事典
平安初期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の一人。平城天皇の皇子阿保親王の五男。母は桓武天皇の皇女伊登内親王。八二六年、阿保親王の上表によってその子仲平・行平・業平らに ...
38. 在原行平
世界大百科事典
818-893(弘仁9-寛平5) 平安初期の歌人。平城天皇の皇子阿保親王の第2子。在原業平の同母兄。826年在原朝臣の姓を賜る。884年正三位。民部卿を兼ねる。 ...
39. ありわらのゆきひら【在原行平】
日本架空伝承人名事典
平安初期の歌人。平城天皇の皇子阿保親王の第二子。在原業平の同母兄。八二六年在原朝臣の姓を賜る。八八四年正三位。民部卿を兼ねる。『古今集』『後撰集』に各四首入集。 ...
40. あんようじ【安養寺】奈良県:奈良市/奈良町/鳴川町
日本歴史地名大系
紫雲山と号し、西山浄土宗。阿弥陀堂・横佩堂ともいう。本尊阿弥陀三尊像(奈良国立博物館委託)。平城天皇の創立で、開基は中将姫という。もと現奈良市東城戸町にあったが ...
41. あんようじ【安養寺】奈良県:奈良市/奈良町/北袋町
日本歴史地名大系
佐保川左岸、北袋町南端にある。寂照山と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。「奈良坊目拙解」によると平城天皇の本願、行基の開基で、もと現奈良市東城戸町にあったが、天文元 ...
42. 医学
世界大百科事典
たことも注目される。9世紀になると,ようやく日本固有の医学を集約しようという気運が生まれる。平城天皇は全国の国司,神社および名族旧家に伝来の薬方を報告することを ...
43. いずものひろさだ【出雲広貞】
国史大辞典
り、侍医となった。延暦二十四年(八〇五)桓武天皇が病気の折、吉水神徳とともに治療を行なった。平城天皇の勅命により安倍真直らと『大同類聚方』を撰し、大同三年(八〇 ...
44. いせじんぐう【伊勢神宮】三重県:伊勢市
日本歴史地名大系
おり、伊勢神宮を中心とした祭祀組織の整備確立を図った。延暦一〇年(七九一)にも皇太子(のちの
平城天皇)が「枕席不
安、(中略)向
...45. 伊勢物語 179ページ
日本古典文学全集
仁明天皇第四皇子人康親王(法性)とされる。親王は貞観元年(八五九)出家、十四年薨ず。別に業平の叔父、平城天皇第三皇子高丘親王(真如)とする説もあり、親王は弘仁元 ...
46. いっぽん‐りゅう[‥リウ]【一品流】
日本国語大辞典
(もとなり)の配下に属したのを契機に、三島流の分派として一流を形成したもの。元就は大江氏で、平城天皇の皇子一品阿保親王の後裔(こうえい)にあたるところからいう。 ...
47. いとないしんのう【伊都内親王】画像
国史大辞典
伊豆(『本朝皇胤紹運録』)にもつくる。桓武天皇の皇女。無品。母は中納言従三位藤原乙叡の女従五位下平子。平城天皇の皇子阿保親王と婚し、在原業平を生む。行平もその子 ...
48. いぬ-しま【犬島】
全文全訳古語辞典
〔名詞〕犬を追放する島。平城天皇の時、宮中の犬を備前(=岡山県)の離れ島に追いやったというが、具体的にどの島かは不明。 ...
49. 伊予親王
世界大百科事典
はじめ反逆の首謀者とみなされた藤原宗成が尋問の過程で伊予親王こそ首謀者であると主張したため,平城天皇は左中将安倍兄雄らをして親王らを捕らえ,母子を大和国川原寺に ...
50. いよしんのう【伊予親王】
国史大辞典
めて不軌を謀っていると聞き、右大臣藤原内麻呂に告げ、親王も宗成が自分にすすめた謀反の状を急ぎ平城天皇に奏したので、宗成を左近衛府に検束した。しかし左衛士府に移さ ...